今から74年前の1942年(昭和17年)11月10日、当時・首相、陸軍大臣、大政翼賛会総裁を兼ねて独裁色を強めていた東條英樹に反抗した中野正剛は、大政翼賛会を脱退。早稲田大学大隈講堂にて「天下一人を以て興る」という歴史的大演説を行い、激しく東條英機を批判した。時はまさに大東亜戦争の真っ最中である。講堂を埋め尽くした早稲田大学の学生に向かって「諸君は自己に目覚めよ。天下一人を以て興れ、これが私の親愛なる同学諸君に切望する所である。」と叫んだ中野正剛に対して、学生達は起立し、校歌「都の西北」を合唱して答えたのである。
勿論、大隈講堂には、いざという時のためにこの演説を抑え込まんと、東條の命により憲兵隊が多数待機していたが、学生達の熱気に気圧されて一歩も動けなかったという。
ちなみに、翌年、中野正剛は、自宅にて割腹自殺を遂げる。自決の原因はいまだに不明であるが、当時、中野の家には憲兵が常駐しており、一説によれば、憲兵に追い詰められての自決ではなかったのではないかと疑う向きもある。
さて、そんな昭和激動の時代の舞台となった大隈講堂にて、昨日、高校生が作った一つの映画が上映された。
それが、「校内憲兵隊」である。この映画は神奈川県立大磯高等学校SF研究会・齋藤竜一君が監督した作品で、簡単に言えば、「風紀乱れるとある学校で、校長をはじめとする教師陣から洗脳を受けた一人の青年(監督と同一人物)が校内秩序を回復すべくあらゆる手段を用いて、荒れる高校生たちを鎮圧していく」という痛快アクション映画である。
この作品は、NPO法人映画甲子園主催「高校生のためのeiga worldcup2016」では入選作に選出され、それがきっかけで、今回の早稲田大隈講堂で上映されることになったのであるが、そのあまりにも無邪気でハチャメチャな作風に対して同大会・審査員の奥田誠治氏(「三丁目の夕日シリーズ」「杉原千畝」「海賊とよばれた男」等のプロデューサー)から、当時の時代背景をもっと勉強して欲しいという苦言(?)を受けたといういわくつきの作品でもあった。
僕は、この「校内憲兵隊」がよりにもよって早稲田大隈講堂にて上映されるという歴史的瞬間に立ち会ったわけであるが、残念ながら上映後のトークセッションにおいて、「早稲田大隈講堂と憲兵隊」の因縁について、現役の早大生から話題にされることはなかった。ただ、『歴史は繰り返される。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として』というマルクスの言葉が奇妙な形で再現されたにとどまったのであった。
それにしても、もし、中野正剛が時空を超えて、今回、大隈講堂で上映された「校内憲兵隊」を観たらどのように感じたであろうか。僕の想像の泉は尽きない。
ちなみに、この「校内憲兵隊」を制作した「齋藤會映像制作會社」の社章は、山形に撫子紋である。この撫子紋は藤原利仁流・齋藤家の代表紋であり、美濃の守護大名斎藤氏をはじめ、幕末の土佐藩家老・斎藤利行、「ギヨエテとは おれのことかと ゲーテ云ひ」で有名な斎藤緑雨、新興俳句運動の俳人「西東三鬼」(本名:斎藤敬直)等の家紋でもあり、恐らく齋藤竜一君の家紋もそうなのであろう。
しかし同時に東條英樹の家紋でもあることはもう一つの面白い符号として心にとめておいてもいいのかもしれない。
まさむね