「坂道のアポロン」 独自の視線による新しいノスタルジーの発見

まだ3話までしか観ていないが、現在、ノイタミナ枠で放映中の「坂道のアポロン」が素晴らしい。

もともとは『月刊flowers』で連載されていた少女漫画であるが、『このマンガがすごい! 2009』オンナ編で1位を獲得したほどの評判作のアニメ版だ。
舞台は1966年の佐世保。横須賀から転向してきた西見薫が、土地の高校(佐世保東高校)に転向してきて、同級生のバンカラ学生・川渕千太郎や、その千太郎の幼馴染・迎律子と出会い、学園生活とジャズを通して友情や恋愛をはぐくんでいく物語である。

最近、「輪廻のラグランジェ」「Fate/Zero」「電脳コイル」「天空の城ラピュタ」「コードギアス」「トップをねらえ!」「マクロスf」といったSFモノ、戦闘モノ、ロボットモノ、あるいは冒険モノを連続して観ていたので、たまに、こうした平凡な物語に出会うとホッとした感じがしないでもない。
元々、僕は青春映画(例えば、「BU・SU」とか「青春デンデケデケデケ」)が大好きなので、このアニメも見事にストライクだった。しかも、1966年の佐世保といえば、反射的に村上龍の「69」も連想させてくれるもんだから、この作品に対する評価は、観る前から出来上がっていたと言っても過言ではない。

さて、世の中には、いつの間にか無くなっているのだけど、すぐ近くにあるかのように感じてしまうような物事が多い。このアニメにはそんな”幻想としての親近感のある過去”が沢山出てくる。
例えばそれは...

無線部に誘う内気な少年だったり...
すぐに手が出るバンカラ高校生だったり...
本物の笹に包んだ大きなオニギリだったり...
遊んでくれと近寄ってくる弟妹だったり...
水面から顔を上げているためのノシ泳法だったり...
上手く漕げない和船だったり...
剣道の竹刀を使った苛めだったり...
「日曜日に一緒に勉強しよう」というデートの誘い方だったり...
娘の男友達だと急に無愛想になる父親(レコード店主)だったり...
喧嘩した二人が、楽器で音を合わせていると段々笑顔になってくるあの瞬間だったり...
レコード針を何度も同じ溝に落としながらするミミコピだったり...
「ファッションセンスのいい」先輩に”真知子巻き”(実はほっかむり?)をしてもらって喜ぶ少女だったり...
しかもその娘が「花を摘んでくる」と言って走り去って陰で泣いているような少女だったり...

この物語には、そんな、1960年代地方都市のディテイルが、一つ一つ見事に描きこまれていて、それは「サザエさん」とも「三丁目の夕日」とも違った角度から、僕らに新しいノスタルジーを感じさせてくれる。
もちろん、それらは、自分の体験から照らしてみると、現実的にあったのか、なかったのか、わからないようなノスタルジーではあるのだが、それは、最近、よく繁華街で見かける水原弘や浪花千栄子の大塚製薬系の看板を入り口近くに掲げて典型的な昭和を演出するタイプの飲み屋の凡庸なセンスとは比べ物にならないほど繊細であり、おそらく、作者独自の視線による新しいノスタルジーの発見こそ、この物語の一つの見所であるに違いない。

まだ、序盤が終わったばかりのこのアニメの先に待っている”幻想としての親近感のある過去”が楽しみだ。

さて、僕がこのアニメにおぼえたもう一つの親近感は、ここで描かれている高校生達がかかえる無自覚な衝動(おそらく性衝動)を、喧嘩や音楽といったものにぶつけるそのぶつけ方から来ている。
例えば、バンカラ学生の千太郎は、学校では授業にろくに出ないような不良で、帰宅後は、地下室にこもってドラムを叩きまくる。それは、誰かの役にも、社会の役にも、そしておそらく、自分の将来の役にも立っていないただの衝動の吐き出しなのだが、その利己的な情熱こそが、人生におけるこの季節のリアリティとしては極めて平凡ではあるが、最も説得力がある。

音楽をやっている時だけは、今、ここから抜け出せたような気がした、あの甘美な一瞬とでもいおうか。

例えば、人類のためにロボットに乗る「マクロスf」のアルトや「トップをねらえ!」のノリコ、妹のため、母の復讐のために体制を破壊しようとする「コードギアス」のルルーシュ、あるいは友人や学校や鴨川のために走り回るジャージ部の京乃まどか(「輪廻のラグランジェ」)など、誰かのために命を賭けつづける高校生ヒーロー(ヒロイン)を観続けてきた僕の目には、時に、それがインフレを起こし、逆に、千太郎の利己的なドラミングがむしろ、健全に見えたりもするから不思議だ。

勿論、そういうのは実写でやればいいのに!という心持が僕の心の中にないわけではないが、迎律子ともう一人のヒロイン・深堀百合香、二人の美少女の顔の微妙で繊細な描き分けなどを見ていると、ただ髪の毛の色や長さだけで女の子を記号的に区別させようとするタイプのアニメに比べて、もしかしたら、このアニメはリアリティの地平において、新しい領域にまで到達しようとしているのではないか?などと期待もしたくなるのであった。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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