日本人にとって伝統を守るということはそれほど厳密なことではないのではないか

最近、少し考えていることがあります。
もしかしたら、日本人にとって伝統を守るということはそれほど厳密なことではないのではないかということです。
いや、むしろ、曖昧に、いい加減に伝えて、でも、「まぁいいか!」というような、その伝え方自体が伝統ではないのかということです。

例えば、先日、青山霊園の一条実良の墓へ行きました。一条実良という方は、幕末から明治にかけての公家で、明治天皇の正妻・昭憲皇太后のお兄様にあたる方で、当時の一条家の当主、右大臣にもなっています。それで、この人のお墓には家紋が彫ってあるのですが、それが一般的に紋帳に出ている一条下り藤(一条藤 左図)とは微妙に違うんですね。
葉っぱの形状がまばらな感じではなくて、普通の下り藤紋と同様の形状でした。ただ、中央から下に垂れ下がる蔓の部分の形状は同じです。
藤原五摂家という、人臣では最高位の家柄が使用する家紋にして、このように微妙な変化を、寛容している、僕はなんとなく、そういったところに日本の文化の伝承の特徴があるのではないかと想像したのでした。
勿論、これはあくまでも想像ですので、その変化にはなんらかの意味や意図があったのかもしれませんが、とりあえず、探求はしないでおきます。
ちなみに、昭憲皇太后の名前についてこんな話があるのをご存知でしょうか。本来であったら、天皇の正妻ですから、昭憲皇后となるべきなのですが、それが内宮大臣のミスによって、皇太后になってしまったというお話です。こちらの経緯に関しては、明治神宮のHPのQ&Aコーナーでも取り上げられています。

そういえば、以前も、多磨霊園にある西園寺公望の墓の巴紋が、左三つ巴ではなく、右三つ巴であることがちょっと気になったことがありました。西園寺家の巴紋といえば、11世紀の「愚管抄」にも著されており、最も古い家紋の一つといわれているのですが、それにして、いつの間にか、左が右となっておりました。

まぁ、日本の伝統の根源たる人々ですら、こういった感じなので、私達のような一般人は、それほど、形式にこだわって伝統を守ろうとしなくてもいいのかもしれないですね。

まさむね

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