かなり以前、友人と話をしているときに、「一体、教養とは何だ?」という話になったことがありました。もう、30年も前の話です。
確かに、「あの人は教養がある」というような言い方をするとき、その定義は曖昧ですね。
物知りというのは、教養というのに近い気がしますが、最近は、スマフォを携帯している人が多くて、知識の多さや、正確さは、ネットにはかないません。
なので、知識を頭の中に持つということの価値が以前に比べて、落ちてきているようにも思えます。
そこで、Wikipediaの「教養」の項を見てみることにしました。すると、このように書かれてあります。
一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。
なるほど、知識に加えて、人間力が必要ということでしょうか。これはなかなかハードルが高そうです。
また、日本における教養の箇所を見ると以下のように書かれてありました。
古代中国の影響を強く受ける形で、日本でも四書五経や漢詩は伝統的に重要視されてきている。やがて、日本独特の諸文芸や和歌がこれらと並ぶようになった。文人画などの絵画を自ら描く事も教養の一部を担っている。
それにしても、、現在の日本人に漢詩や和歌や文人画などを理解している人はどれだけいるのでしょうか。
でも、いつになるのかわかりませんが、出来れば、死ぬ間際に和歌(いわゆる辞世の歌)を残すというようなことぐらいはしてみたいものです。
夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ 山ほととぎす 柴田勝家
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢 豊臣秀吉
嬉しやと 再びさめて ひとねむり 浮き世の夢は あかつきの空 徳川家康
これらは、現在放送されている大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の主人公・江の義父達がそれぞれ残した辞世の歌ですが、どの歌にも夢という言葉が入っているのが目に付きます。
あんなに激しい人生を生きた人々が最期に行き着く場所に、「この世は夢だった」という観念があるというのが極めて日本的ではないですか。
その和歌に関してなのですが、以前、どこかで渡部昇一先生が「日本には和歌の元の平等がある」というようなことを書かれていました。つまり、万葉の昔から、日本人は、歌を詠む歌人としては、庶民も天皇も平等だという意味でしょうか。これも日本文化のある側面を言い当てた言葉だと思いますね。
さて、最後に僕が数日前から話題にしている『忘れられた日本人』からの話です。
この本には、幕末から明治にかけての、何人かの庶民(特に放浪民)のインタビューで成り立っているのですが、そこに世間師という人々が登場します。
世間師というのは、旅から旅へと、様々なところに移動しながら情報や新しい知識を得たり、村々に伝えていった人々のことで、宮本先生も本の中で「こうした人々の存在によって村が遅ればせながらもようやく世の動きに着いていけたとも言える。そういうことからすれば過去の村々におけるこうした世間師の姿はもうすこし掘り起こされたによいように思える。」と述べておられます。
おそらく、彼らはその知識と人格によって、人々の役に立っていたのでしょう。その意味で、世間師と呼ばれた名も無き人々は、十分に教養人だったといえるのかもしれません。
そんな世間師からのインタビューには、以下のような気になるような箇所があったので記しておきます。
京都あたりにはおっとりとして風流のわかる女がたくさんいた。あるとき宿屋で気品のある女中がきたので、歌を書いてお膳の上にのせておいた。するとお膳をひきにきたとき、それをちょっと見て帯の間へはさんで出ていった。何も言わなんだが、夜ねていると、そっとやってきた。気品のある女には恋歌を書いてわたすと大抵は言うことをきいてくれたものである。
まるで、「源氏物語」のような男と女の関係が、昭和の時代にまで残っていたということでしょうか、なんとなく羨ましい限りです。
「いざというときに、さっと和歌が書けるような人が教養のある人である」
とりとめのない話で恐縮でしたが、とりあえず、今日の結論はこのくらいにしておきたいと思います。
まさむね