人間とは一体、何なんだろうか。
その本質とは、肉体なのだろうか、意識なのだろうか、愛情なのだろうか。
『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の続編『イノセンス』は、前作に引き続き、そんな問いを僕らに突きつける。
前作で、「人形使い」と融合して、ネットの広大な世界に旅立った素子(少佐)へのほのかな想いを抱きながら、公安9課の任務をこなすバトー。ほとんど全身を義体化したサイボーグである。その心を癒してくれるのは、愛犬のガブリエルだ。
一方、彼のパートナーには、トグサが就いていた。トグサは9課の中でも最も生身の人間に近く(義体化した部分が少なく)、妻と娘がいる。
この二人が、突然、暴走殺人をするロクス・ソルス社製の同型ガイノイド(要はダッチワイフ)の謎を解明しながら、事件を解決するというのが『イノセンス』の大まかなストーリーである。
その過程で、人間と人形の狭間の存在である自分に葛藤を抱くバトーと、人間として、命や家庭を第一に考えるトグサとの心のすれ違いが描かれる。
例えば、ヤクザとの銃撃戦の後、「自分の妻や娘の顔が思い浮かんでしまった」とつぶやくと、バトーは、それはお前にとっては死神だなどというようなことを言う。二人は協力をしながら、しかし、根本的なところでの価値観が異なっているのである。
そして、ロクス・ソルス社の工場で、救済に現れた素子と一緒に、人形(ガイノイド達)を制圧し、ゴーストコピーされそうになっていた少女を救ったバトーだが、そこで、実は人間よりも人形にシンパサイズしてしまっている自分を見出す。
「自分が人形になりたくなかった」という人間の少女に対して、「犠牲者が出ることは考えなかったのか。人間のことじゃねぇ。魂を吹き込まれた人形がどうなるかは考えなかったのか。」と怒鳴ってしまうのだ。
そして、少女は泣く。僕は今まで、これほど少女を醜悪に描いたアニメを見たことが無い。
そんなバトーに対して、おそらく唯一の理解者が、既にネットの広大な海に偏在する存在となっている素子だ。
彼女は、逆に人形の立場になり「人形達に声があれば、人間になりたくなかったと叫んだでしょうね。」と言う。
既に素子は、人間だったことを過去のものとしているのだ。
バトーは、素子に問う。
一つ聞かせてくれ。今の自分を幸福だと感じるか。
僕は、『イノセンス』の前作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を観た後、素子は少女となり、ネットの海に旅立つ時に、幸せを捨て、希望を手に入れたのではないかというようなことを述べたが、まさしく、彼女の答えはそれに沿ったものであった。
懐かしい価値観ね。少なくとも今の私に葛藤は存在しないわ。
・・・(中略)・・・
バトー忘れないで。あなたがネットにアクセスするとき、私は必ずあなたのそばにいる。
行くわ。
一方で、事件を解決し、無事に家庭に帰ることのできたトグサは、お土産にと人形を渡し、玄関口で娘を抱き上げる。このシーンは、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』『イノセンス』を通した唯一の幸せのシーンである。ある意味、人間=トグサが、それまで散々後塵を拝して来たバトーに対して優越感を抱く場面と言ってもいい。それは、バトーには決して味わうことの出来ないシーンだからだ。
しかし、犬を肩にかつぐバトーの視線は、娘やトグサではなく、娘が抱える人形に向けられる。しかも、それを補強するかのようにトグサの娘は、人形の輝きと真逆に醜悪に描かれている(ように見える)。
この人形の輝きと娘の醜悪は、おそらく、バトーが、トグサの人間的な幸せとは別な価値観を持っていることを表現しているのだ。
もしかしたら、バトーは、その人形に素子の面影を見たのかもしれないし、その人形に別の魂を感じたのかもしれないし、あるいは人形自体に愛情を抱いたのかもしれない。それはよくわからないが、その余韻の中で『イノセンス』はエンドロールになるのである。
古来、人間は人間に真似て人形を作り、それを神あるいは悪霊の依代としてきた。例えば、日本の風習でいうならば、田んぼの案山子とは、山の神を田の神として降臨させるための依代であり、一方、流し雛とは、本来だったら人間に憑くはずだった悪霊を人形に肩代わりさせる生贄だったとされる。
『イノセンス』では、そんな古来の観念が、電脳社会においてこそ「実現」している世界観を描いている。バトーが窮地に陥った時に、必ず現れる「守護天使」の素子は、まさに守護霊そのものだろう。一方、暴走して凶器と化したガイノイド達は、まるで悪霊が憑いたかのようにバトーに襲い掛かるのである。
しかし、人形自体は、無垢な(イノセントな)存在である。それは、善でも悪でもない。
「人形達に声があれば、人間になりたくなかったと叫んだでしょうね。」という素子の言葉は、人形という視点から、人間中心主義を反転させる。確かに、サイボーグのバトーの中では、人形→犬→人間という愛情的序列すら芽生えているようにも思える。
ネットが発展し、そこに記憶や情報を出すことにした人類が、その果てに人間性をも危うくさせるというのが『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』のテーマだとしたら、『イノセンス』のテーマは、その依代である人形にすら嫌悪される存在かもしれないというところにまで行き着く。
そうなったとしたら、人間は、その先、どこに行けばいいのだろうか。
素子のように、幸せなき旅を永遠に続けなければならないのだろうか。
まさむね
この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。