「ビートルズ都市論」(2) 野生と知性の街ハンブルグ

ハンブルグとビートルズ。「ビートルズ都市論」(福屋利信著)がリバプールに次いで取り上げているのが、ビートルズが修行時代に過ごしたハンブルグだ。

実は、ここでも僕は一つ告白しなければならない。僕はハンブルグに行ったことがあるかもしれないのだ。いや、実はフランクフルトだったかもしれない。土曜日の朝に成田を発ち、13時間かけてドイツに着き、現地で打ち合わせをして一晩して、月曜日の朝に成田に戻るという出張をしたことがあるのだ。
そんなバタバタの旅だったから、しかもそれは15年も前の話だから、そこがフランクフルトだったのか、ハンブルグだったのか曖昧なのだ。ただ、その町には確実にポルノ街があった。現地の会社の人にタクシーの中でそんな話を聞いた記憶がある。
もしかしたら、そのあたりは、ビートルズが修行したレパーバーンだったのかも...これはあくまでも願望だが。

ビートルズがハンブルグで修行をした時代、そのレパーバーンは、船乗り、不良、売春婦達のたまり場だったという。ビートルズはストリップ小屋でストリッパーの前座としてステージに上がっていたのだ。客の視線をなんとか自分達に惹きつけるため、あらゆることをしたとジョンは述懐している。

イギリスにこもっていたら、絶対にあんなに成長しなかったね。ハンブルグじゃ思いついたことを何でもやるしかなかった。

しかし、彼らがハンブルグで得たものはそうした最悪の状況で身についたバンドとしての「腹」、パワー、テクニック...そうしたものだけではなかった。

この本では、ハンブルグで彼らが出会ったイグシスという前衛的な中流階級の若者からの影響について丹念に描かれている。
アスリット・キルヒヘア、クラウス・フォアマン、ユンゲン・フォルマー...。
ビートルズは、彼ら彼女らから、ファッション、芸術、実存主義という全く新しい刺激を受けた。そしてそれはかけがいのないものとなっていくのである。

ビートルズは、この葛藤のすえに、ハンブルグの下層階級のロッカーとも、中産階級のイグジスとも共有できる価値観を育て、双方から「野生と知性」を吸収しつつ、リバプールのテディ・ボーイから世界のオピニオンリーダーに成長していったのである。

ここの話で興味深いのは、このイグジスに対するメンバー一人一人のスタンスがその後の彼らの進路を必然的に決めていったということである。
イグシスの価値観と最も自分を同化させたのがスチュワートサトクリフである。彼はアスリットの家に住み込み、絵画の勉強に専念することを選択し、ビートルズから足を洗った。
一方で、どうしてもイグシス的な前衛性を自分の中に取り入れることができなかったのがピートベスト(左絵)である。それは彼がずっとリーゼントを通したことでもうかがい知れる。その後、ピートベストと他のメンバーとの間に徐々に溝が出来ていったのはご存知の通りである。結局、デビュー直前に彼はビートルズをクビになるのであった。

エネルギーと前衛性、感性と知性、音楽と思想。
ビートルズはその後、世界に飛躍するために必要だった両輪の武器(の萌芽)をこのハンブルグで得たのである。
60年代、ビートルズは、ロックンロールをロックへと成長させたとはよくいわれることだ。それは、彼らがハンブルグで得た極端なニ面性があって初めて可能なことだったのである。これは歴史の必然とでもいうべきなのだろうか、この二面性の吸収に失敗したメンバーはビートルズになれなかったということなのであろうか。
それも残酷な現実である。

言ってみれば当たり前のことではあるが、出会いと好奇心、そして夢、それらはいつの時代もどの場所でも大切なものだということを、ハンブルグ時代のビートルズは、僕らに教えてくれる。

まさむね
「ビートルズ都市論」(1) 労働者の町・リバプール
「ビートルズ都市論」(2) 野生と知性の街ハンブルグ
「ビートルズ都市論」(3) 彼らには冷たかったロンドン

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