歌のあり方について、松田聖子は平成の陰の歌姫、持続するディーバである(その二)

これも少し時間が立ってしまっているのだけれど、大晦日に松田聖子のカウントダウン・コンサートに出かけた。今回で3回目、3年連続である。よくもまぁもの好きということかもしれないが、毎年のことながら会場には結構アラフォーならぬアラフィフ世代も多く男性ファンも相当数見受けられるのだ。おそらく根強い固定ファンがいて、毎年来ているのだと思う。そういえばぼくが通っている理髪店のマスターも松田聖子のファンで、カウントダウンにはぜひ行ってみたいと言ってたっけ。
ぼくは根っからの聖子ファンだったことはない。じゃ何故カウントダウンに来ているかといえば、もともとは家内に誘われて来始めたのだが、その後は松田聖子という持続する現象に興味があるからだということになる。いわゆる歌謡界のアイドル出身で今も現役の第一線で頑張っている歌手といえば彼女くらいしかいない。

松田聖子がアイドル全盛の花盛りだったのは、言わずと知れた80年代だ。アイドルという観点からみて70年代後半が山口百恵の時代だったとすれば、80年代前半は松田聖子の時代。山口百恵や中森明菜にくらべて、その家庭環境や出自をふくめて彼女の特徴はより普通っぽい=普通の女の子に近かったことだろう。なによりも松田聖子は蒲池法子という女の子が歌手になった、のである。
だが、その普通っぽいイメージとは異なり、そのブリっ子ぶりといい、歌のうまさといい、したたかさといい、けっして平均的だったわけではないだろう。だからこそ現在まで長く生き延びてきたとも言える、山口百恵は結婚即引退し、中森明菜はその後フェードアウトしていく中にあって・・・・。
ぼくが松田聖子に今でも興味があるとすれば、それは世の同世代の疲れた男どもよりも、ある意味でよほど個として自立しているから、と答えるだろう。結婚やその前後のスキャンダルを経て、90年代以降はどちらかというと表舞台から離れて潜行しつつ歌手活動を続けていくわけだが、その個としての生き方もふくめて評価したい。

思えば、彼女の歌は80年代当時から、か弱い男に対して、それをしずかに激励(?)しつつ、お互いの関係はけっして進展せず、成就しないという間柄を歌ったものが多かった。そして結局は、お互いにひとりであること。「渚のバルコニーで待ってて。・・・ひとりで来てね。・・・」こうした歌詞で歌われた世界は、その後の80年代の風潮(おたく文化やさびしい個の時代等々)をどこか先取りするものだったと思う。それには作詞家松本隆の功績もあっただろうが。
世の男どもがますますオタク化してゆく中で(最近では草食系男子が流行りだという)、女性たちは強くなり文化史的には女性の時代が続いて現在に至っていると思われるのだが、松田聖子はある意味でその一つの先陣の風となって先行してきたのだと思う。彼女は90年代以降自分で作詞するようになるが、それらの歌も一貫して別れた男に対して、ひとりで生きていくことをしずかに宣言し相手にエールを送るような歌になっている。

松田聖子は今年デビュー30周年だという。「みんな元気?」とカウントダウンの会場で、彼女がステージ上から呼びかける。そして男も女もみんな自分の来し方行き方を投影しながら一緒に彼女の歌を歌うのだ、多分ね。
前回の小田和正の「クリスマスの約束」が歌のリレーという続きだったとすれば、こちらはひとりの女性歌手がとにもかくにもいろんな荒波のなかでも歌い続けてきたというその持続のエネルギーにある。どちらも同じ持続にかかわるもの、そして歌のあり方にかかわる、あり様。歌い続けること、続けることの積み重ね。松田聖子の歌を聞きながら、ぼくは今年も改めてそんなことを思った。

よしむね

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