三沢が馬場を超えた瞬間の憂鬱を思い出す

三沢光晴が亡くなって一週間が経った。
いまだに、心の中の穴は埋まりきれていない。
それだけ、彼の存在は僕の中で大きかったということなのだろう。
僕は90年代、副業でプロレスライターをやっていた。
当時、UFWや新日本プロレスについて書くライターは多かったが全日本プロレスをメインターゲットにしたライターは少なかった。

村松友視氏が、新日本プロレスを過激なプロレス、全日本プロレスをプロレス内プロレスと表現したのは、けだし名言である。猪木のアジテーションやその生き方、そしてそこから派生した長州力や前田日明のプロレスはライターたちにとって、恰好のネタだったが、旧態然とした全日本プロレスは、そもそも書くことがない世界だったんだと思う。でも逆に言えば、僕のようなただの一ファンに仕事がまわってきたのもそんな事情からだったのだ。

そんな僕の執筆の中で三沢についての文章をいくつかを読み返してみた。
そして今日は、その中から三沢が馬場に勝ったあの日に関する文章をそのまま転用することにする。
初七日も過ぎ、自分の中の三沢という存在を少しでも整理したい。そんな気持ちからである。
少々長いがご容赦ください。

禅譲という儀式を拒絶した二代目の憂鬱(平成プロレス名勝負!宝島)
三沢光晴、小橋健太組 × ジャイアント馬場、スタン・ハンセン組★1994年3月5日☆日本武道館

その日、馬場が最初に繰り出した技は頭突きであった。緊張する場内を一気に生暖かい雰囲気にしてしまう馬場の挙動を見ながら我々は、この日からちょうど二ヶ月前に東京ドームで行われた猪木と天龍の試合を思い出さざるを得なかった。
あの試合も確か猪木の頭突きから試合が始まったのだ。そして、あの時も場内一杯にどよめきが広がった。頭突きという技は、追い詰められた者の最後の抵抗を表すと同時に、時として、レスラーの頑固な生き方をも表現する。明らかにレスラーとしての死期が近づいている二人の巨頭レスラーが呼応するかのように、その頭の固さを誇示している。彼等は、頭突きによってこれからはじまろうとする試合で何を我々に伝えようとしていたのであろうか。
プロレスという一見、野蛮なやりとりの中に過剰な意味を読み込むこと、レスラーたちののっぴきならない性(さが)を発見し、自分に重ね合わせてみること。プロレスと最初に遭遇した時の少年の目の輝きを失ってしまった我々マニアと呼ばれるファンは、このようにしてプロレスにすがって生きているのだ。そしてそんな追いすがるファンたちをこの両巨頭はある時は突然に突き放し、そしてある時は暖かく迎い入れてくれる。その超然とした態度に我々は心をゆり動かされるのだ。だからこそ、その他、凡百のレスラーとは違って彼らはスーパースターと呼ばれるのである。
★父超えの儀式★
さて、馬場の頭突きで始まったこの試合、老巨体を駆使する馬場の頑張りと馬場を気遣うハンセンの優しさ、小橋のやみくもな汗と三沢の美意識あふれる技が交錯する。それは、平成の名勝負と呼ぶにふさわしい内容であった。それぞれが持てる技をすべて出し尽くす展開。後で馬場自身が「この試合で自分が誇れるのは同じ技を二度出さなかったことだ」と語っていたが、おそら馬場は、この試合で体を張って己のプロレス観を提示しようとしたのである。しかも、それは、二ヶ月前に猪木が提示した「キラー猪木」像とは対極に位置する価値観であった。先ほどの馬場のコメントは、猪木の現在の試合スタイルに対するアンチテーゼとしても捉えることが出来るのではないだろうか。
多彩な技をすべて封印し、相手の背後に回り、霊魂のように己の存在感を消し去ったところで相手を仕留める武術のようなスリーパーにこだわりつづける猪木のスタイルと、若手の技を全て受けきった上で、結果として至上の存在感を誇示する馬場のスタイル。二人が同時にプロレスという枠の中の両極端に走っているそれらの姿を目の前にする時、我々は彼らの頑固さとお互いのライバル心の強固さをひしひしと感じ、この緊張感こそが目には見えないがプロレスの醍醐味なのだと実感するのである。
彼らが試合の冒頭で見せた頭突きは偶然にも正確に、彼らの価値観のかたくなさを見せようとするその試合に対する姿勢になっていたのである。
そして、この試合、馬場は三沢にトップロープからのフライングネックブリーカードロップでフォール負けを喫する。三沢にとっては、天龍に続いて史上二人目の快挙となるわけである。しかし、この結果について馬場は「あの技でフォールを取られたことに関してはむしろ嬉しい」というようなコメントを残している。誰が見ても全日本の跡目を禅譲する格好となったあの一瞬。試合後の馬場の満足そうな笑みは、ようやく納得の出来る跡取りの出現に対する隠しようのない家長の笑みだったのである。
おそらく、その背景として、自分をフォールしたまま裏切って出て行った天龍が二ヶ月前にあの猪木にも勝っているという事実が大きく横たわっていたに違いない。
馬場にしてみれば、ある意味では自分を超えて行った天龍が猪木に負けなかったことでどれだけ安心したことであろうか、二ヶ月前のあの結果があったからこそ、馬場はこの日、これほど美しい「父超え儀式」を万人の前に披露することが出来たのである。
しかし、馬場コール一色の場内でのこの禅譲を、一方の三沢はどのように受け止めたのであろうか。試合後、疲労に耐えつつ、両手で馬場に握手を求める三沢は誰よりも早くリングを降りようとする。リングを後にするその後姿には、勝者の雄雄しさというようりは、あやつり人形の憂鬱すら感じられた。本当の勝者はどっちだったのであろうか。俺は勝ったのだろうか。それとも、勝たされただけなのであろうか。三沢の後姿はそのことを訴えていた。我々はそこに、二ヶ月前の試合後、まるで敗者のようだった情けない天龍の姿をダブらせてしまったかもしれない。と同時に、馬場と猪木という両巨頭の偉大さをも同時に感じてしまったのである。
三沢はこう語っている「あの試合に関しては、100%満足しているわけではない。馬場超えを果たしたと思ってはいない」「『週刊プロレス』ファンが選ぶ年間最高タッグマッチ」に選出されるほどこの年、突出して印象深いこの試合をサラリとこう言い切る三沢の言葉に、プロレスという摩訶不思議な世界に向き合う一人の青年の意地が見え隠れしている。

僕にとっての、三沢はその美しさと同時に憂鬱な後ろ姿としてあった。北海道の小さな炭鉱町で生まれ、子供の頃に、飲んだくれの父親が兄の手を引いて家を出ようとした時、兄のもう片方の手を母と一緒に引っ張って抵抗した光晴少年。当然、力の強い父親が兄だけを奪って、彼を捨てて家を出る。その辛い思い出を優しさに替え、リングに上がり続けた三沢光晴の時に見せる憂鬱が好きだった。

しかし、何を思っても、彼はもういない。

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三沢光晴が死亡。僕の90年代は終わった。

まさむね

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