安室奈美恵は何故、MacのCMで自分に頭突きをするのか

頭突きというのは哀しい技である。
これは、奴隷達(抑圧された者)が最後の抵抗を示す技として歴史に刻印されてきた。
そして、それは、手足をもがれた人々の意地の象徴として、我々の記憶の中にある。
例えば、戦後のプロレス史を見てみても、黒人のボボ・ブラジル(左画像)や朝鮮人の大木金太郎等の得意技として、そして、実力があってもその容姿でトップに立てなかった藤原喜明、一度、どん底に落ちていた大仁田厚といった抑圧されてきた面々の、華麗さよりも情念を伝える技として、あるいはまた、その技を繰り出すレスラーたちの「頭の固さ」すなわち、かたくなさをも表現する技として伝えられてきたであった。

先日、マクドナルドの新CMに安室奈美恵が自分自身に頭突きをする姿が公開された。
彼女の頭突きにはどういった意味が込められているのだろうか。

ご存知の通り、安室奈美恵は、沖縄という日本の中でも抑圧された土地から出てきた。
しかし、その沖縄は、日本でありながら、日本ではない。
敢えて極言するならば、沖縄という土地は、一面では、アメリカ軍に蹂躙されると同時に、別の一面では、アメリカ軍に依存しなければ生きていけない土地になってしまっている。
そして、沖縄が米軍に対して持つ抑圧感は、同時に、日本人にとって、「こんなモノ食ってて大丈夫か?」と思いながら、それでも止められないマックのハンバーガーという存在に対する感情、そして、心のどこかで憎しみながら、それでも依存せざるをえないアメリカという存在への想いとパラレルなのではないだろうか。
だから、戦後の抑圧された日本人は、その感情=想いを自分自身にしかぶつけることができなかったのかもしれない。

沖縄、マック、依存、アメリカ、抑圧。いろんなものが複雑にからみあった戦後日本のある側面を、安室の自分自身に対する頭突きは表現していると言ったら言いすぎだろうか。

評論家の中森明夫氏は1995年の文章で、こう述べている。

思えば、安室奈美恵は南沙織以来の沖縄発のトップアイドルだが、二十余年前、返還直前の沖縄から彗星のように現れたのがシンシアなら、今、基地問題で揺れるその場所から安室が、そして彼女に続く少女らが次々と踊りだそうとしてる。つまり沖縄が揺れる時、いつもそこから象徴的な少女たちが現れるのだ。

-女の読み方-(朝日新書)

それ以来、安室奈美恵は常に闘い続けてきた。90年代はツッパッたストリート小ギャルのファッションリーダーとして、その後は離婚、母の死などといった苦境を乗り越え、自分の好きな音楽を追求し、一時はヒットチャートから嫌われた時期もあったが、自分を貫き通すことによって、現在ではカリスマと言われるまでに成長した。(「安室奈美恵は孤高の戦士だ」参照の事)
彼女の頭突き姿は、自分自身と戦い続けてきた安室の出自から現代までの一貫した戦闘体勢を表現しているのである。

さらに言えば、このCMで彼女は「バラ色でいこう」というもう一つのメッセージを僕たちに投げかけている。バラ、それは美しさと同時に、棘を隠そうとしない象徴的な花である。その美しさで人を惹きつけると同時に、決して人を近づけないという屹立した存在感、それが現在の安室の立ち位置そのものではないのか。

頭突きとバラ。抑圧と抵抗、魅力と拒絶...
90年代のストリート系文化の一つの象徴であるバーチャファイターで二人の安室が戦うカットの挿入、さらに大きな口(BIG MOUTH)というこれまた安室の態度的、身体的特徴を絡めた肉食系女子の「主食」=ダブルクォーターパウンダーのCM。

久々に明快で痛快、しかし、微妙に物悲しく複雑な15秒の世界である。

まさむね

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