目結紋 -人と人との団結の強さの象徴- 京極高次、宮沢賢治、貴乃花光司...

目結とは、人と人との団結を意味する。
もともとは、コウケチという染めかたの事を目結染と言った。そこから来ている。

目結紋は、宇多源氏=近江源氏・佐々木一族の代表紋として知られているが、それは同時に一族の結束の強さをも表現しようとしていたのである。
絆への願望というのは現代の一つのテーマである。
それは、崩れつつあるものへのノスタルジーではないか。

そのノスタルジーは、この紋が持っている、無骨な安定感へのそこはかとない親しみに通じているようにも思える。

この紋は、全国で10位。特に青森県、岩手県で2位、宮城県で3位、北海道で4位。
これらの地域は、佐々木一族が移り住んだ地である。
逆に少ないところは、山梨県、愛媛県で19位。長野県で18位、兵庫県、岡山県で17位。

有名人では以下。

佐々木道誉。1296年 – 1373年9月12日、武将。
近江国の地頭である佐々木京極氏に生まれる。外祖父である佐々木宗綱の後を継いで家督を継承する。南北朝時代の社会的風潮であるばさらを好んだとされる。『太平記』(NHK大河ドラマ)では、陣内孝則が演じた。家紋は四つ目結紋。


尼子経久。1458年12月25日 – 1541年11月30日、武将・大名。
尼子清定の嫡男として生まれる。幼名は又四郎。本姓は源氏。室町幕府の四職で出雲守護でもある京極政経の寺社領を横領、勢力を広げる。一代で尼子氏を中国地方11ヶ国の太守にのしあげた。中国の三大謀将の一人とと称される。家紋は平四つ目。


佐々成政。1536年2月6日 – 1588年7月7日、武将。
尾張国春日井郡出身。宇多源氏佐々木氏の一族。織田信長に仕え頭角を表す。秀吉から肥後国を与えられたが統治に失敗し改易される。直系子孫に佐々宗淳(「水戸黄門」の助さんのモデル)、評論家・佐々淳行がいる。家紋は隅立て四つ目、棕櫚。


京極高次。1563年 – 1609年6月4日、武将、大名。
名門京極氏に出生。妻は豊臣秀吉の側室・淀殿(茶々)の妹で徳川秀忠の妻・崇源院(江)の姉である常高院()。関ヶ原の戦いで功を上げ若狭国小浜藩初代藩主となる。家紋は平四つ目結。画像は谷中霊園の京極高国(高次の弟・高知の直系子孫)の墓所にて撮影。


木村重成。1593年 – 1615年6月2日、武将。
木村重茲の子。母、宮内卿局は豊臣秀頼の乳母となり重成自身も幼少から秀頼の小姓として育ち秀頼にとってはほとんど唯一の幼馴染であった。大坂冬の陣では今福砦攻防戦を展開。大坂夏の陣が勃発すると豊臣軍の主力として出陣。家紋は四つ目菱。


佐々木小次郎。生年不詳 – 1612年5月13日、剣客。
豊前国田川郡副田庄に生まれ、副田庄の有力豪族佐々木氏の一族とされる。「秘剣燕返し」は福井市にある一乗谷で身につけ、中条流富田勢源、或いは富田勢源門下の鐘捲流の鐘捲自斎の弟子とされている。宮本武蔵と巌流島で決闘し、敗死したとされる。


丸橋忠弥。生年不詳 – 1651年9月24日、武士。
長宗我部盛親の側室の子として生まれ、母の姓である丸橋を名乗ったとも言われる。由井正雪の片腕として幕府転覆計画に加担(慶安の変)。家紋は三つ目結と丸に片喰紋。顔画像は歌舞伎「花菖蒲慶安実記」の丸橋忠弥。家紋画像は慈眼寺・金乗院にて撮影。


桂昌院。1627年 – 1705年8月11日、3代将軍・徳川家光の側室。
京都の大徳寺付近で産まれる。大根売りの娘説もある。兄の北小路道芳は後に本庄姓を賜る。御小姓として家光の側室のお万の方に仕え、春日局の部屋子として家光に見初められ、綱吉を産んだ。女性最高位の従一位の官位を賜る。家紋は繋ぎ九つ目。


堀部安兵衛。1670年- 1703年3月20日、武士。
越後国新発田藩溝口家家臣の中山弥次右衛門の長男。赤穂浪士四十七士の一人。堀部氏は滋賀県に栄えた近江源氏。四十七士の中では一番の剣客。江戸急進派勢力のリーダー格。家紋は家紋は捻り四つ目二ツ。画像は泉岳寺の墓所にて撮影。


鳥山石燕。1712年- 1788年9月22日、画家、浮世絵師。
本名は佐野豊房。狩野派門人。『画図百鬼夜行』により妖怪絵師としての地位を確かなものとする。続けて『今昔画図続百鬼』を刊行。弟子も多く喜多川歌麿、恋川春町などを育てた。顔画像は石燕が描いたぬらりひょん。家紋は丸に隅合せ三つ目結紋。


間宮林蔵。1780年 – 1844年4月13日、探検家。
常陸国筑波郡上平柳村の農民の子に生まれる。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。間宮海峡を発見。水戸藩へも出入りし川路聖謨らと交友し徳川斉昭や藤田東湖にも献策した。画像は浄心寺安立院管理の墓所にて撮影。


武田斐三郎。1827年11月4日 – 1880年1月28日、科学者。
伊予大洲藩出身。甲斐武田の末裔という。読みは、たけだあやさぶろう。佐久間象山から洋式兵術を修業。日本初の洋式城郭五稜郭の立案・設計。日本初のストーブを考案。維新後は、陸軍大学校教授、陸軍士官学校主任教授、陸軍幼年学校長などを歴任。


小林虎三郎。1828年9月26日 – 1877年8月24日、武士。
長岡藩士小林又兵衛の三男として誕生。佐久間象山の門下。長岡藩大参事となる。戊辰戦争の戦災によって壊滅的な打撃を受けた長岡で寺の本堂を借り仮校舎として国漢学校を開校させた。米百俵の逸話で知られる。家紋は隅立て四つ目結紋。


津田真道。1829年7月25日 – 1903年9月3日、官僚、啓蒙学者。
美作国津山藩林田の生まれ。読みは、つだまみち。幕府の目付役になり、大政奉還に際しては徳川家中心の憲法案を構想。福澤諭吉、森有礼、西周、中村正直、加藤弘之らと明六社を結成。1896年(明治29年)に勅選貴族院議員となる。男爵、法学博士。


佐々木高行。1830年11月26日 – 1910年3月2日、土佐藩士、官僚。
土佐国吾川郡瀬戸村出身。藩主山内豊信の側近として藩政をリードし大政奉還の建白を協議。岩倉使節団の一員として欧米各国に渡りその後、宮中や元老院を舞台に天皇親政運動を主導。家紋は七つ割り隅立て四つ目結紋。画像は青山霊園にて撮影。


加藤弘之。1836年8月5日 – 1916年2月9日、政治学者。
但馬国出身。出石藩士加藤正照の長男。福沢諭吉、森有礼、西周らと、明六社を結成。はじめは啓蒙思想の傾向が強かったが後に社会進化論の立場をとる。終生、唯物論者であった。哲学館(現東洋大学)創立時の顧問。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


成島柳北。1837年3月22日 – 1884年11月30日、ジャーナリスト。
武蔵国浅草御廐河岸の松本家の3男として出生。成島稼堂の養子となり成島姓となる。『朝野新聞』を創刊、初代社長に就任。自由民権運動の中では、社論は大隈重信の改進党に近く早稲田大学の初代の議員にも就任。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


大山巌。1842年11月12日 – 1916年12月10日、政治家、陸軍軍人。
薩摩国鹿児島城下加治屋町に生まれた。西南戦争をはじめ相次ぐ士族の反乱を鎮圧した。陸軍大臣を長期にわたって勤め参謀総長、内務大臣なども歴任。陸軍では山縣有朋と並ぶ実力者となった。最終階級は元帥陸軍大将。家紋は丸に隅立四目結紋。


箕作麟祥。1846年9月19日 – 1897年11月29日、思想家、法学者。
箕作省吾の長男として江戸に出生。東京学士院会員・元老院議官・法典調査会主査委員・貴族院議員等を歴任。ナポレオン法典を5年間の歳月をかけて全訳した『仏蘭西法律書』が著名。家紋は平四目。画像は多磨霊園にて撮影。


松田正久。1847年5月25日 – 1914年3月4日、政治家。
肥前国小城郡牛津に小城藩士横尾只七の次男として生まれた。陸軍省に入省。欧州留学後に佐賀にて自由民権運動に参加し自由党に入党。『東洋自由新聞』を創刊。大蔵大臣、文部大臣、法務大臣などを歴任。家紋は三つ目紋。画像は青山霊園にて撮影。


上原勇作。1856年12月6日 – 1933年11月8日、陸軍軍人。
日向国都城出身。都城島津家家臣・龍岡資弦の次男として生まれ上原家の養子となる。工兵近代化に尽力し日本工兵の父と称される。陸軍大臣、教育総監、参謀総長を歴任。最終階級は元帥陸軍大将。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像は青山霊園にて撮影。


植木枝盛。1857年2月14日 – 1892年1月23日、啓蒙思想家。
土佐国土佐郡井口村出身。土佐藩士・植木直枝の子。私擬憲法の中では最も民主的、急進的な内容とされる『東洋大日本国国憲按』を起草。著作に『民権自由論』『言論自由論』などがある。家紋は、丸に剣三つ目紋。画像は青山霊園にて撮影。


有松英義。1863年7月25日 – 1927年10月24日、官僚。
備前国御野郡に岡山藩士有松正義の子として生まれる。内務省書記官兼法制局参事官として治安警察法・行政執行法等の起草に関わる。枢密院書記官長、拓殖局長官、枢密顧問官を歴任。家紋は石持ち地抜き隅立て四つ目結紋。青山霊園の墓所にて撮影。


金杉英五郎。1865年8月23日 – 1942年1月26日、医学者。
千葉県出身。東京病院で勤務する傍らで、東京慈恵医院医学校にて、講義を行い東京慈恵会医科大学の初代学長となる。耳鼻咽喉科という専門科を創設し日本耳鼻咽喉科学会の創設者となる。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像は青山霊園にて撮影。


丘浅次郎。1868年12月31日 – 1944年5月2日、動物学者。
遠江国掛塚生まれ。進化論の啓蒙活動に貢献し、旧制中学の生物学教科書を多く執筆した。帝国学士院会員、日本動物学会会長。また、日本人初のエスペランティストでもある。家紋は隅立て四つ目結紋。画像は谷中霊園にて撮影。


政尾藤吉。1871年12月8日 – 1921年8月11日、外交官、政治家。
愛媛県大洲出身。藩の御用商人の長男として生まれる。外務省からシャムに派遣され、のちに同国の法律顧問として刑法・民法・商法を起草する。タイ国王より信頼を受け白象第三勲章、王冠大綬章を受ける。家紋は丸に隅立て四つ目紋。青山霊園にて撮影。


佐佐木信綱。1872年7月8日 – 1963年12月2日、歌人、国文学者。
三重県鈴鹿郡石薬師村出身。歌人佐々木弘綱の長男。孫の佐佐木幸綱は俵万智の師匠。与謝野鉄幹らと新詩会をおこし新体詩集『この花』を刊行。岩波文庫『新訓・万葉集』、『新古今和歌集』等の編者。画像は谷中霊園にて撮影。


平福百穂。1877年12月28日 – 1933年10月30日、日本画家。
秋田県角館出身。本名は貞蔵。読みは、ひらふくひゃくすい。日本美術院のロマン主義的歴史画とは対照的な自然主義的写生画を目指し自然主義と古典が融合した作品を生み出す。家紋は陰亀甲に隅立て陰四つ目結紋。画像は多磨霊園にて撮影。


西尾寿造。1881年10月31日 – 1960年10月26日、海軍軍人。
現在の鳥取市吉方温泉3丁目に生まれた。鳥取県士族・西尾重威の四男。読みは、にしおとしぞう。戦後、A級戦犯容疑者として逮捕され、1948年12月まで拘留された。最終階級は陸軍大将。家紋は五瓜に四つ目結紋。画像は多磨霊園にて撮影。


田部重治。1884年8月4日 – 1972年9月22日、英文学者・登山家。
富山県富山市出身。旧姓は南日。19世紀の英文学を研究。登山家として日本アルプス、秩父山地を歩き、『日本アルプスと秩父巡礼』を刊行。後に『山と渓谷』として出版される。隅立て四つ目結紋。画像は多磨霊園にて撮影。


佐々紅華。1886年7月15日 – 1961年1月18日、作曲家。
東京都台東区生まれ。本名は佐々一郎。読みは、さっさ こうか。妻は元・浅草オペラの歌手・高井ルビー。浅草オペラの草分的存在で脚本も担当。代表作は『君恋し』『神田小唄』など。家紋は七宝に隅立て四つ目結紋。画像は谷中・妙雲寺にて撮影。


佐々木喜善。1886年10月5日 – 1933年9月29日、伝承研究家。
土淵村(現在の岩手県遠野市土淵)の裕福な農家に育つ。柳田國男に知己を得、喜善の語った遠野の話を基に柳田が『遠野物語』を著す。代表作は『奥州のザシキワラシの話』『オシラ神に就いての小報告』等。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。


東龍太郎。1893年1月16日 – 1983年5月26日、官僚、都知事。
大阪府出身。結核予防会理事、厚生省医務局長等を歴任。自由民主党の推薦で東京都知事を2期務める。IOC委員を務めるなど国際スポーツ界に通じ東京オリンピックの誘致に深く関わる。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像は多磨霊園にて撮影。


獅子文六。1893年7月1日 – 1969年12月13日、小説家、演出家。
横浜弁天通の岩田商会に生まれる。本名は岩田豊雄。岸田國士、久保田万太郎と共に劇団文学座を創立。日本芸術院賞受賞、芸術院会員、文化勲章受章。代表作は『てんやわんや』『自由学校』『ちんちん電車』など。画像は谷中霊園にて撮影。


片岡鉄兵。1894年2月2日 – 1944年12月25日、小説家。
岡山県苫田郡鏡野町に生まれる。新感覚派の一員として文学活動に入るが後に左傾化し、プロレタリア作家として活動。主著は『左傾について』『朱と緑』。郷里の鏡野町には胸像も建てられている。家紋は重ね四つ目車。画像は多磨霊園にて撮影。


佐々木味津三。1896年3月18日 – 1934年2月6日、小説家。
愛知県北設楽郡下津具村出身。本名・光三。1919年『大観』に載せた「馬を殴り殺した少年」で菊池寛に見出される。代表作は『右門捕物帖』『旗本退屈男』など。旗本退屈男は映画やテレビドラマ化され高い人気を得た。画像は小平霊園にて撮影。


宮沢賢治。1896年8月27日- 1933年9月21日、詩人・童話作家。
岩手県稗貫郡里川口村に質・古着商の長男として出生。独特の魅力にあふれた作品群によって没後世評が急速に高まり国民的作家となる。代表作は『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『雨ニモマケズ』等。家紋の隅立て四つ目結紋は記念館にて確認。


斎藤達雄。1902年6月10日 – 1968年3月2日、俳優。
東京市深川区佐賀町に米の仲買人の息子として出生。小津安二郎監督の2作目『若人の夢』の主役に抜擢されて以来、小津映画に次々と主演。代表出演作は『そよかぜ』『獄門島』等。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像は谷中・長運寺にて撮影。


櫻内義雄。1912年5月8日 – 2003年7月5日、政治家。
島根県能義郡広瀬町出身。櫻内家は江戸時代、代々広瀬藩士として松平家に仕えた。外務大臣、農林大臣、建設大臣、第67代衆議院議長等を歴任。世界連邦運動の推進団体である世界連邦日本国会委員会第9代会長。画像は池上本門寺にて撮影。


荒正人。1913年1月1日 – 1979年6月9日、文芸評論家。
福島県生まれ。マルキシズムの学生運動に熱中。戦後、埴谷雄高・平野謙・本多秋五らと『近代文学』を創刊。漱石の生涯を詳細に調べた『漱石研究年表』で毎日芸術賞を受賞。第14回までの江戸川乱歩賞の選考委員をつとめた。画像は小平霊園にて撮影。


名寄岩静男。1914年9月27日 – 1971年1月26日、大相撲力士。
北海道名寄市出身。本名、岩壁静雄。最高位は大関。立浪部屋の双葉山、羽黒山と「立浪三羽烏」と称された。大関から二度の陥落を経験したが、関脇まで返り咲き40歳になるまで土俵に上がり続けた。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。丸に隅立四つ目結紋。


岡晴夫。1916年1月12日 – 1970年5月19日、流行歌手。
千葉県木更津市出身。本名は佐々木辰夫。「国境の春」でデビュー。「上海の花売娘」「港シャンソン」のヒットを飛ばす。代表曲は「東京の花売娘」「啼くな小鳩よ」「憧れのハワイ航路」。家紋は丸に隅立て四目結紋。画像は深川・本立院墓所。


横山新次郎。昭和期、五代目山崎家一家・総長。
稲川会総裁(初代会長)稲川聖城の兄貴分。横綱の大鵬と力道山を招いて素人相撲大会を開催したという。松方弘樹主演「修羅の群れ」(東映1984年)では鶴田浩二が演じている。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像は鎌倉霊園にて撮影。


千秋実。1917年4月28日 – 1999年11月1日、俳優。
北海道中川郡恩根内村出身。本名は佐々木勝治。黒澤明監督から映画出演を勧められ『野良犬』でデビュー。代表出演映画は『七人の侍』『隠し砦の三悪人』等。『花いちもんめ。』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。画像は冨士霊園にて撮影。


柏戸秀剛。1918年5月3日-1982年12月11日、力士、親方。
岩手県九戸郡種市町出身。本名佐々木秀剛。現役時代は前頭止まりだったが、年寄(10代目伊勢ノ海)として日本相撲協会の発展に尽力。幾多の海外興行を実現し角界のキッシンジャーと呼ばれた。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。


福井謙一。1918年10月4日 – 1998年1月9日、化学者。
奈良県奈良市出身。京都大学名誉教授。日本学士院会員。フロンティア軌道理論でノーベル化学賞を受賞。生涯、基礎学問重視、独創的研究の必要性、科学と人間の平和的共存を訴えた。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。


日沼倫太郎。1925年7月3日 – 1968年7月14日、文芸評論家。
栃木県出身。本名は生沼正三。独自の生活実感にもとづく批評を展開。著作に『横光利一論』『文学の転換』『病める時代』がある。「理解は誤解だ」という有名な言葉を残している。家紋は丸に平四つ目結紋。画像は八柱霊園にて撮影。


若乃花幹士(初代)。1928年3月16日 – 2010年9月1日、力士。
青森県弘前市青女子(あおなご)出身。土俵の鬼と呼ばれた。第45代横綱となり栃錦とともに栃若時代を築く。引退後、双子山部屋を創設し弟である大関・初代貴ノ花、横綱・2代若乃花、横綱・隆の里(現:鳴戸)等を育て日本相撲協会の理事長も務めた。


竹腰美代子。1930年10月5日 – 2001年3月1日、美容研究家。
神奈川県逗子市出身。夫はクレイジーキャッツの安田伸。日本のテレビ体操の草分け。1954年から日本放送協会の「美容体操」の専属講師に就任。1958年から香淳皇后に美容体操を教えた。著書「いつもお陽さま家族」。家紋は平七つ割四目結紋。


亀井静香。1936年11月1日 – 、警察官僚、政治家。
広島県庄原市で農業・亀井素一の次男として生まれる。自民党出身ながら、社会民主主義傾向が強くチェ・ゲバラの思想に心酔。運輸大臣、建設大臣、自由民主党政務調査会長、国民新党代表、郵政改革担当大臣などを歴任。家紋は、四目結紋。


さだまさし。1952年4月10日 – 、ミュージシャン、タレント。
本名は佐田雅志。長崎県長崎市出身。佐田家は元々島根県浜田市の大地主の家系。「グレープ」でデビュー。「精霊流し」がヒット。ソロとなっても、「雨やどり」「関白宣言」「親父の一番長い日」など数々のヒット曲・有名曲を生み出す。


沼澤尚。1960年4月19日 – 、ドラマー。
父は元プロ野球選手の沼澤康一郎。様々なアーティストのレコーディング、ライブサポートを行う傍ら自身のバンドでも精力的に活動し日本で一番忙しいドラマーと称される。家紋は丸に隅立て四つ目結紋。画像は多磨霊園の康一郎の墓所にて撮影。


亀井亜紀子。1965年5月14日 – 、政治家。
国民新党幹事長亀井久興の長女。東京都生まれ。本籍地は島根県鹿足郡津和野町。旧津和野藩藩主亀井家の子孫にあたる。亀井静香は遠縁。2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で前職・景山俊太郎を破り初当選を果たした。家紋は隅立て四つ目結。


貴ノ浪貞博。1971年10月27日 – 、元大相撲力士。
青森県三沢市出身。本名は浪岡貞博。二子山部屋所属。1994年(平成6年)1月場所は大関となる。大関時代には部屋では「浪大関」と呼ばれていた。幕内戦歴 647勝473敗8休。幕内最高優勝2回。現在は年寄・音羽山。家紋は丸に隅立て四目結。


貴乃花光司。1972年8月12日 – 、第65代横綱
父は元大関の貴ノ花利彰、母は女優の藤田憲子。本名は花田光司。優勝22回は歴代5位で、平成の大横綱と称される。引退後は貴乃花部屋師匠、日本相撲協会の役員待遇委員、審判部副部長。家紋は丸に隅立て四目結。画像は天桂寺花田家墓所にて撮影。


和泉元彌。1974年6月4日 – 、能楽師狂言方。
和泉流19世宗家・和泉元秀(画像は本願寺・和田堀廟所の元秀の墓)の長男として出生。本名は山脇元彌。和泉流宗家宗家会在籍。妻はタレントの羽野晶紀。大河ドラマ「北条時宗」で主役を務める。和泉家の門には雪輪に平四つ目結の家紋が見られる。

まさむね