巴紋 -水が渦巻いている姿を表現- 山本勘助、土方歳三、松田聖子...

巴というのは水が渦巻いている姿を文様にしたものである。
古来、人間にとって最も重要な物質が水である。
ある時は、水不足にならないように、ある時は、火除けのために、人々はこの巴紋に願いを込めたのである。
また、この文様は武士の弓手の装着する鞆(トモ)から来たとも、人の魂を形象化したものとも、勾玉から来たとも言われている。
おそらく、巴紋の形の普遍性は、それらの様々な由来を全部汲み取っているのであろう。
全国では、13位。
特に多い地域は無いが、栃木県、鳥取県、愛媛県、高知県、大分県での6位が最高。
続いて、島根県で7位、愛知県、岐阜県、和歌山県、広島県、福岡県で8位に入っている。
少ないところでは滋賀県、京都府が19位、長野県が22位。
巴紋を持つ有名人は以下。

赤松満祐。1381年 – 1441年9月25日、守護大名。
播磨・美作・備前の守護大名・赤松義則の子。二度に渡って侍所頭人を務め、幕府内の長老格として権勢を振るう。1441年に結城合戦の祝勝会として足利義教を自邸に招き暗殺、いわゆる嘉吉の乱を起こすが、幕府方が派遣した細川氏、山名氏などに敗北。


山本勘助。1501年 – 1561年9月10日、戦国武将。
三河国宝飯郡牛窪(愛知県豊川市牛久保町)出身。武田家家臣。二十四将の一人で、武田の五名臣の一人でもある。2007年NHK大河ドラマ「風林火山」の主役となった(内野聖陽が演じる)。写真は勘助がしていたといわれる巴紋付きの眼帯。


氏家卜全。1512年 – 1571年6月4日、戦国時代の武将。
美濃守護の土岐頼芸の家臣として仕えたが、斎藤道三によって頼芸が追放されると、道三の家臣として仕えた。美濃三人衆の中では最大の勢力を有していた。伊勢国長島攻めで柴田勝家に従軍し戦死。家紋は左三巴紋。


小早川隆景。1533年 – 1597年7月26日、武将・大名。
毛利元就と妙玖夫人の三男として生まれる。幼名徳寿丸。毛利両川の1人として元春と共に毛利氏の発展に尽くした。毛利水軍の指揮官としても活躍している。豊臣政権下では秀吉の信任を受け、文禄年間に五大老の一人に任じられた。家紋は左三巴。


九鬼嘉隆。1542年 – 1600年11月17日、武将・大名。
志摩の国衆の一員として身を起こし、織田信長・豊臣秀吉のお抱え水軍(九鬼水軍)の水軍武将として活躍し、3万5000石の禄を得た。九鬼氏の第8代当主である。後に関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れて自害した。家紋は左三巴紋と七曜紋。


板倉勝重。1545年 – 1624年6月14日、大名、京都所司代。
三河国額田郡小美村に生まれる。父の家督を継いで家康に従う。関ヶ原の戦い後の三河国3郡に6,600石を与えられるとともに京都所司代に任命され京都の治安維持を担当。禁中並公家諸法度に基づいて朝廷の指導と監視に当たった。家紋は九曜巴。


宇都宮広綱。1545年 – 1576年8月30日、戦国大名。
上野の守護大名、宇都宮氏二十一代当主、宇都宮尚綱の子。父が那須高資と戦って敗死した時、幼少だったため家臣の芳賀高定に守られて宇都宮城を落ち延びる。上杉謙信と同盟を結んで関東制覇を目指す後北条氏と対立したが独立を保持。家紋は右三巴紋。


田中吉政。1548年 – 1609年3月23日、武将、大名。
近江国・高島郡田中村の出身。先祖は近江源氏高島氏の一族田中氏で田中城の城主。転封の過程で居城とした近江国・八幡、三河国・岡崎、筑後国・柳河などに現代でも高く評価できる都市設計を行った。家紋は左三巴紋と釘抜紋。


蒲生氏郷。1556年 – 1595年3月17日、武将。
蒲生氏は奥州藤原氏・藤原秀郷の系統に属する鎌倉時代からの名門。織田氏家臣から、豊臣家(羽柴家)家臣となる。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。またキリシタン大名で洗礼名はレオン。家紋は蒲生対い鶴と左三巴。


別所長治。1558年 – 1580年2月2日、大名。
別所氏は早くから織田信長に従う。中国方面総司令官が成り上がりの羽柴秀吉であることに不満を感じ、丹波の波多野秀治と呼応して信長に反逆した。三木城に籠もって徹底抗戦して秀吉を手こずらせるが「三木の干し殺し」戦法で自害。家紋は左三巴。


不破光治。生年不詳 – 1580年12月14日、斎藤氏・織田氏の家臣。
藤原直家の後裔とする説や清和源氏の棟梁・源為義の後裔とする説がある。稲葉一鉄安藤守就氏家卜全の3人と共に西美濃四人衆と言われる。越前一向一揆を平定後は、佐々成政前田利家と共に府中三人衆と呼ばれた。画像は不破光治が拠った龍門寺。


糟屋武則。1562年 – 1607年、大名。
糟屋氏は播磨加古川城を拠点に鎌倉時代から続く武家。賤ヶ岳の戦いで賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられ、その戦功により播磨国に二千石、河内国に一千石など合わせて三千石余を拝領する。関ヶ原の戦いに西軍として参戦した。家紋は三つ盛三巴。


有馬晴信。1567年 – 1612年6月5日、大名。
肥前・有馬氏当主。有馬義貞の次男。キリシタン大名として知られ大友宗麟や大村純忠とともに天正遣欧使節を派遣。関ヶ原の合戦では東軍に寝返り小西行長の居城であった宇土城を攻撃。その功績により旧領を安堵された。家紋は左三巴と五瓜に唐花。


結城秀康。1574年3月1日 – 1607年6月2日、武将、大名。
家康の次男として遠州浜松で生まれた。下総国結城の大名・結城晴朝の姪と婚姻して結城氏の家督と結城領10万1千石を継ぎ、「結城秀康」と名乗る。関ヶ原の後、秀康は家康より下総結城藩から越前北庄67万石に加増移封される。家紋は右三つ巴。


宮本武蔵。1584年 – 1645年6月13日、剣豪。
播磨国出身。二刀で有名な二天一流兵法の祖。家系に関しては諸説ある。吉岡一族との決闘、巌流島の決闘など60余回の勝負を行い全てに勝利したという。主著は「五輪の書」。また、工芸家、水墨画家としても名高い。家紋は九曜巴紋。


安松金右衛門。1611年 – 1686年10月24日、武蔵川越藩士、郡代。
本国は河内国、生国は播磨国。安松九左衛門の子。旧姓を神吉(かんき)と称し,名は吉美(よしざね)、金右衛門は通称。玉川上水・野火止用水の開削を行う。「算術の達人」と称された。家紋は一重亀甲に左三つ巴紋。平林寺の墓所にて撮影。


大石内蔵助。1659年 – 1703年2月4日、播磨国赤穂藩の筆頭家老。
播磨国出身。大石家は藤原秀郷の末裔小山氏の一族。代々近江国守護佐々木氏のもとで栗太郡大石庄の下司職をつとめていた。元禄赤穂事件で名を上げ、これを題材とした忠臣蔵で有名になった。家紋は右二つ巴紋。画像は泉岳寺の墓所にて撮影。


石田梅岩。1685年10月12日 – 1744年10月29日、思想家。
丹波国桑田郡東懸村に百姓の次男として生まれる。45歳の時に無料講座を開き、石門心学と呼ばれる思想を説いた。思想の根底にあるのは宋学の流れを汲む天命論である。主な著書に『都鄙問答』『倹約斉家論』がある。家紋は左三つ巴紋。


葛城彦一。1818年11月5日 – 1880年1月23日、武士。
大隅加治木の郷士。本姓は竹内。島津家の家督相続の内紛では斉彬を推して久光に対抗したが,脱藩して筑前にのがれた。加治木島津家から近衛家に嫁した貞姫の付け人として近衛家につかえた。家紋は右三つ巴紋。画像は青山霊園にて撮影。


大木喬任。1832年4月23日 – 1899年6月26日、政治家。
肥前国佐賀藩士・大木知喬の長男。読みは、おおきたかとう。大木氏は筑後国の蒲池氏の一族。江藤新平、大隈重信らと共に義祭同盟に参加。東京奠都に尽力。東京府知事、民部大輔、元老院議長を務めた。家紋は左三つ巴。画像は青山霊園にて。


橋本実梁。1834年5月13日 – 1885年9月16日、公家。
橋本実麗の子。読みは、 さねやな。条約勅許に反対する有志堂上88名の列参に参加。八月十八日の政変後は差控に処せられたが王政復古によって参与となり戊辰戦争に従軍。左画像は麻路さき(宝塚歌劇団)。家紋は右尾長巴紋。青山霊園にて撮影。


土方歳三。1835年5月31日 – 1869年6月20日、幕臣。
武蔵国多摩郡石田村出身。新選組鬼の副長として恐れられた。戊辰戦争では榎本武揚率いる旧幕府海軍と合流。蝦夷共和国においては陸軍奉行並箱館市中取締裁判局頭取に就任。函館戦争中に銃弾に戦死。家紋は左三つ巴。


谷干城。1837年3月18日 – 1911年5月13日、陸軍軍人、政治家。
高知城下に土佐藩上士・谷万七の第4子として生まれた。幕末時代は、攘夷から倒幕派へ。西南戦争の際には西郷軍の攻撃から熊本城を死守した。最終階級は陸軍中将。その後、学習院院長から政治家に転身。農商務大臣も務めた。家紋は左三つ巴紋。


西園寺公望。1849年12月7日 – 1940年11月24日、政治家。
清華家の一つ徳大寺家の次男として誕生し、西園寺家へ養子に入り家督を相続した。第12・14代内閣総理大臣。思想的にリベラルを自称し、衆議院での多数派政党が内閣を組織する憲政の常道を慣例にした。家紋は右三つ巴。多磨霊園での墓所にて撮影。


角田秀松。1850年3月25日 – 1905年12月13日、海軍軍人。
会津藩医、角田良智の二男。父の蝦夷地赴任に同行した。戊辰戦争で朝敵とされた会津藩出身者として初めて海軍将官となった。日露戦争時には竹敷要港部司令官を務めた。最終階級は海軍中将。家紋は五瓜に右三つ巴紋。青山霊園にて撮影。


浅田信興。1851年11月5日 – 1927年4月27日、陸軍軍人。
武蔵国出身。川越藩士・坂口朗忠の三男として生まれ、同藩士・浅田順信の養子となる。歩兵第2連隊長、屯田兵参謀長、陸軍大佐、近衛師団長、教育総監、陸軍大将、軍事参議官兼東京衛戍総督を歴任。家紋は結び三つ巴紋。画像は青山霊園にて撮影。


中村雄次郎。1852年3月18日 – 1928年10月10日、陸軍軍人。
伊勢国一志郡波瀬村出身。大庄屋・中村一貫の二男。陸軍省軍務局砲兵事務官長、陸軍士官学校校長、陸軍次官兼軍務局長等を歴任。日清、日露戦争の功により男爵を受勲。最終階級は陸軍中将。家紋は右金輪巴紋。画像は青山霊園にて撮影。


北里柴三郎。1853年1月29日 – 1931年6月13日、医学・細菌学者。
熊本県阿蘇郡小国町に生まれる。破傷風菌純粋培養法に成功、血清療法の開発、ペスト菌の発見などの偉業がある。「日本の細菌学の父」として知られる。北里研究所、慶應義塾大学医学部を創設する。家紋は檜扇に巴紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


江木千之。1853年5月21日 – 1932年8月23日、官僚、政治家。
周防国岩国藩出身。読みは、えぎかずゆき。内務省で大臣秘書官、県治局長、愛知・広島などの県知事を、晩年には枢密顧問官、文政審議会副総裁、大東文化協会副会頭、皇典講究所所長などを務めた。家紋は左三つ巴紋。画像は青山霊園にて撮影。


高嶺秀夫。1854年10月5日 – 1910年2月22日、教育学者。
陸奥国若松城下出身。会津藩主松平容保の小姓。会津戦争では籠城の末、降伏。米留学帰国後、東京高等師範学校長、東京女子高等師範学校長、東京美術学校長、東京音楽学校長を歴任。家紋は左三つ巴紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


大岡育造。1856年7月4日 – 1928年1月27日、政治家。
長門国豊浦郡小串村に医師大岡尚斎の長男として出生。国民協会、帝国党立憲政友会、立憲政友会の設立に関わる。第1次山本内閣には文部大臣として入閣。3年間、衆議院議長を勤める。家紋は右金輪巴紋。画像は谷中霊園にて撮影。


土肥慶蔵。1866年7月20日 – 1931年11月6日、医学者。
越前武生領の医者五世石渡宗伯の次男として、越前府中松原に出生。読みは、どひけいぞう。実質的に西洋医学に入る皮膚科を日本に導入し日本皮膚科学会を発足させた。主著は『世界黴毒史』。家紋は丸に左三つ巴紋。画像は多磨霊園にて撮影。


服部宇之吉。1867年6月2日 – 1939年7月11日、中国哲学者。
福島の二本松藩士服部藤八郎の三男。哲学科出身で西洋哲学やその方法論を学び中国哲学を講じた。東京帝国大学教授、ハーバード大学教授、東方文化学院院長を歴任。代表著作『孔子教大義』『孔子及孔子教』等。画像は護国寺にて撮影。


梶田半古。1870年-1917年、日本画家。
彫金家梶田政晴の長男として東京下谷御徒町で生まれる。日本画の革新を目指す日本青年絵画協会の結成発起人の一人として加わった。新な写実表現を用い、『春宵怨』『豊年』などを発表する。家紋は尾長右三つ巴紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


吉岡彌生。1871年4月29日 – 1959年5月22日、教育者、医師。
遠江国城東郡土方村に漢方医・鷲山養斎の娘として出生。東京女医学校・東京女子医科大学創立者。日本女医会会長、日本医師会参与を歴任。画像は東京女子医大隣の月桂寺東京女子医大の水桶の校紋。ただし本人の墓所の巴は三つ左巴。


広田弘毅。1878年2月14日 – 1948年12月23日、外交官、政治家。
福岡県那珂郡鍛冶町の石材店の息子。旧名は丈太郎。外交官を経て二二六事件で倒れた岡田内閣の後を受け第32代内閣総理大臣となり日独防共協定を締結。戦後、A級戦争犯罪人として死刑となる。家紋は右二つ巴紋。墓所は福岡市の聖福寺にて撮影。


鮎川義介。1880年11月6日 – 1967年2月13日、実業家、政治家。
山口県氷川郡出身。読みは、あいかわよしすけ。父は旧長州藩士・鮎川弥八。母は井上馨の実姉の長女。日産コンツェルン (日産自動車、日立製作所、日産火災等)の創始者。杉田かおるとの結婚で話題になった鮎川純太の祖父。画像は多磨霊園にて撮影。


朝比奈泰彦。1881年4月16日 – 1975年6月30日、薬学者。
東京本所出身。読みは、あさひなやすひこ。東京帝国大学教授。「漢薬成分の化学的研究」で帝国学士院恩賜賞、文化勲章受章、文化功労者を受賞。著書は「日本隠花植物図鑑」「私乃たどった道」「正倉院薬物」。家紋は尾長巴紋。青山霊園にて撮影。


小山内薫。1881年7月26日 – 1928年12月25日、劇作家、演出家。
父は陸軍軍医・小山内建で、母は旗本・小栗家の出。二代目左團次と「自由劇場」を開始、「築地小劇場」を土方与志と起こし新劇運動の中心的存在となる。「新劇の父」の異名がある。家紋は左三つ巴紋。画像は多磨霊園にて撮影。


山本五十六。1884年4月4日 – 1943年4月18日、海軍軍人。
新潟県長岡市出身。旧越後長岡藩士・高野貞吉の六男。旧長岡藩家老の家柄・山本家を相続し山本五十六を名乗る。日米開戦には反対していた。最終階級は海軍大将(戦没後に元帥海軍大将を追贈)。家紋は左三つ巴紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


荻原井泉水。1884年6月16日 – 1976年5月20日、俳人。
東京芝区神明町生まれ。荻原家は越後国高田の出。本名:荻原幾太郎。東大文学部卒後、新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰。「層雲」には河東碧梧桐、尾崎放哉種田山頭火などが参加。代表作は『流転しつつ』『無所在』『奥の細道ノート』等。


吉井勇。1886年10月8日 – 1960年11月19日、歌人、脚本家。
東京芝区出身。祖父は旧薩摩藩士の吉井友実、父は海軍軍人吉井幸蔵。『明星』に歌を発表。北原白秋とともに新進歌人として注目される。歌集『祇園歌集』を発表。後に里見弴、田中純、久米正雄らと『人間』を創刊。家紋は左巴紋。青山霊園にて撮影。


阿南惟幾。1887年2月21日 – 1945年8月15日、陸軍軍人。
大分県竹田市出身。読みは、あなみこれちか。平均的な軍務官僚で陸軍大臣就任以前は目立ったエピソードも少ない。誠実な人柄で人望が厚く今日でも人気の高い。ポツダム宣言の受諾返電の直前に自刃。最終階級は陸軍大将。画像は多磨霊園にて撮影。


九鬼周造。1888年2月15日 – 1941年5月6日、哲学者。
東京都出身。父は明治を代表する文部官僚の九鬼隆一。祖先は九鬼嘉隆。京都帝国大学文学部哲学科教授としてフランス哲学の教鞭をとる。代表作は『「いき」の構造』。仏留学中、サルトルから個人的にフランス語を教わっていたという。家紋は左巴紋。


和辻哲郎。1889年3月1日 – 1960年12月26日、哲学者、倫理学者。
兵庫県神崎郡砥堀村出身。日本的な思想と西洋哲学の融合、あるいは止揚とでもいうべき境地を目指した稀有な哲学者と評価される。その倫理学は和辻倫理学と呼ばれる。代表作は『風土 人間学的考察』『倫理学』『古寺巡礼』。家紋は左一つ巴。


白鳥省吾。1890年2月27日 – 1973年8月27日、詩人・文人。
宮城県北部栗原郡築館町出身。ヒット曲『星影のワルツ』で知られる作詞家の白鳥園枝は二女。民衆の内面を描き、“民衆派詩人”と称されている。代表作は「耕地を失う日」「殺戮の殿堂」。家紋は右三つ巴紋。画像は多磨霊園にて撮影。


尾形藤吉。1892年3月2日 – 1981年9月27日、調教師、騎手。
北海道有珠郡伊達町出身。近代日本競馬における調教師の草分け的存在。調教師成績通算1670勝、JRA重賞189勝はJRA発足以後の最多勝利数。調教師顕彰者としてJRA殿堂入り。騎手としても帝室御賞典に13回優勝するなど活躍。画像は多磨霊園にて撮影。


大塚博紀。1892年6月1日 – 1982年1月29日、空手家。
茨城県下館市出身。読みは、おおつかひろのり。昭和期を代表する空手家の一人であり近代空手の基礎を築いた。和道流空手道の開祖。自身が修行した柔術に空手を加味して和道流柔術拳法も開いた。家紋は五瓜に左三つ巴紋。画像は多磨霊園にて撮影。


桂文治(9代目)。1892年9月7日 – 1978年3月8日、落語家。
東京日本橋小伝馬町に生まれ実家は魚屋。本名は高安留吉。通称「留さん文治」。4代目橘家圓蔵に入門。落語協会顧問就任。語界屈指の吝嗇家であり「ケチの文治」として有名だった。家紋は尾長巴紋。また、桂文治一門の定紋は結三つ柏紋。


若杉鳥子。1892年12月25日 – 1937年12月18日、小説家。
本名旧姓、田上とり。茨城県古河の芸者置屋の養女となるが上京し新聞記者になる。「文芸戦線」に発表した「烈日」がみとめられ,女性プロレタリア作家の草分けとなった。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は九曜巴紋(夫・板倉勝忠の紋)。


細谷省吾。1894年10月22日 - 1957年4月16日、細菌学者。
東京出身。旧姓は中村。読みは、ほそやせいご。東京帝大医学部教授、台北帝大教授。抗生物質の研究、ペニシリンの開発、トリコマイシンを発見。著作は「化膿性疾患の細菌叢と免疫療法」など。家紋は丸に左太巴紋。画像は文京区吉祥寺にて撮影。


市川忍。1897年1月9日 – 1973年11月2日、実業家。
茨城県出身。伊藤忠商事に入社後、大同貿易を経て、丸紅商店に移る。丸紅の初代社長に就任。「正・新・和」の精神で「丸紅」発展の基礎を築く。大阪商工会議所会頭となる。家紋は五つ瓜に右巴紋。画像は多磨霊園にて撮影。


丸山薫。1899年6月8日 – 1974年10月21日、詩人。
大分県大分市で生まれる。12歳で母方の祖父の地であった愛知県豊橋市に移る。代表作は詩集『帆・ランプ・鴎』。豊橋市は彼の業績を記念して、丸山薫賞を設けている。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に左二つ巴。


河上徹太郎。1902年1月8日 – 1980年9月22日、文芸評論家。
長崎出身。本籍は山口県岩国市。先祖は岩国藩士。経済学者の河上肇は親類。戦中はシンポジウム近代の超克のまとめ役となり、戦後に批判を受ける。代表作は『私の詩と真実』『日本のアウトサイダー』。家紋の情報は、文学者掃苔録図書館より。


曽祢益。1903年12月5日 – 1980年4月25日、官僚・政治家。
東京都出身。建築家曽禰達蔵の三男として誕生。妻は五島慶太の長女。片山内閣で内閣官房次長。のち、連絡調整中央事務局長官。日本社会党に入党し初当選後、民主社会党(後の民社党)の結党に参加し、初代書記長に就任した。家紋は左三つ巴紋。


古賀忠雄。1903年12月6日 – 1979年6月10日、美術家。
佐賀市に生まれる。彫刻を中心に陶器・絵画など様々な分野の作品を発表。佐賀城公園に「古賀忠雄 彫刻の森」として常設展示されている。代表作は「岬の男」「現代を見つめる西郷隆盛」「起つ大東亜」。家紋は左三つ巴紋。画像は染井霊園にて撮影。


尚道子。1920年2月9日 – 2002年2月15日、料理研究家。
琉球王国第二尚氏3代尚真王の長男・尚維衡の後裔。読みは、しょうみちこ。夫は琉球王国最後の国王・尚泰の孫の尚明。NHKの長寿番組『きょうの料理』の講師。子供向け弁当の定番アイテムたこさんウィンナーを考案。画像は多磨霊園にて撮影。


塚本邦雄。1920年8月7日 – 2005年6月9日、歌人、小説家。
滋賀県神崎郡出身。第一歌集『水葬物語』でデビューし、三島由紀夫に絶賛される。歌集の他にも多くの文芸作品を発表。短歌は、昭和30年代以降の前衛短歌運動に決定的な影響を与えた。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。折敷に左三つ巴紋。


江戸屋猫八。1921年10月1日 – 2001年12月10日、物真似師。
本名は岡田六郎。古川緑波一座に入団し、俳優となる。三遊亭金馬・一龍斎貞鳳とNHK「お笑い三人組」(八ちゃん役)に出演。その物真似は、昭和名人芸として今でも称えられている。家紋は左三つ尾長巴。雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


平岩弓枝。1932年3月15日 – 、脚本家、小説家。
東京・代々木にある代々木八幡宮の一人娘として生まれた。『鏨師』が第41回直木賞を受賞。代表作は『御宿かわせみ』シリーズ、『はやぶさ新八御用帳』シリーズ、テレビドラマ『ありがとう』等。家紋は生家の代々木八幡宮の左三つ巴紋とした。


レオナルド熊。1935年6月27日 – 1994年12月11日、お笑い芸人。
北海道樺戸郡新十津川町出身。高校を中退し上京。『ラッキー・パンチ』(後にコント・レオナルド)で一世を風靡。サントリービール「生樽」のテレビCMの「いかにも一般大衆が喜びそうな」は流行語となる。画像は本願寺・和田堀廟所にて撮影。


米沢嘉博。1953年3月21日 – 2006年10月1日、漫画評論家。
熊本県熊本市出身。中学時代に同人活動を始める。1980年から2006年までのコミックマーケット(通称コミケ)準備会代表。『劇画アリス』『マンガ奇想天外』等で編集者を務める。死後、明治大學で米沢嘉博記念図書館が開館。家紋は左三つ巴紋。


渕正信。1954年1月14日 – 、プロレスラー。
福岡県北九州市出身。全日本プロレス所属レスラー。カール・ゴッチ直伝の拷問技に定評がある。世界ジュニアヘビー級王座を五度獲得。団体生え抜きとして全日本プロレスの看板を守り通す重鎮。墓マイラーとしての一面も持つ。家紋は左三つ巴紋。


松田聖子。1962年3月10日 – 、アイドル歌手。
出生名は蒲池法子。蒲池宗家の定紋は巴紋であるが上り藤を定紋として使用する蒲池家系統もある。生家は九州柳川城の城主だった蒲池氏第十六代目蒲池鑑盛の子孫に当たり江戸時代は柳川藩家老格だった。代表曲は「青い珊瑚礁」「白いパラソル」等。


舞の海秀平。1968年2月17日 – 、元大相撲力士。
青森県西津軽郡鰺ヶ沢町舞戸町出身。本名は長尾秀平。最高位は小結。技能賞を5回受賞。関取時代は、「平成の牛若丸」「技のデパート」と称された。現在はスポーツキャスター、タレント、NHK大相撲解説者として活躍。家紋は左三つ巴紋。


お岩。江戸時代、元塩冶藩士・四谷左門の娘。
元禄時代の侍・田宮伊右衛門の妻。夫・伊右衛門は、高家仕官のため婿入りを画策。邪魔になったお岩を離縁しようとする。岩は自害。このお岩を主人公とした怪談が四谷怪談。家紋は、陰陽勾玉巴紋。画像は巣鴨の妙行寺の田宮家墓所にて撮影。

まさむね



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