鷹の羽紋 -爪を隠した優美な紋- 浅野長矩、菊池寛、小泉純一郎...

ヨーロッパのファミリークレスト(紋章)と日本の家紋を比べて大きく3つの点で異なっている。

1)ファミリークレストは貴族階級のみ所持するが、家紋は一般庶民にまで広まった。
2)ファミリークレストの図柄は写実的なものが多いが、家紋はデザインが洗練され、抽象化されているものが多い。
3)ファミリークレストでは動物、猛禽類が素材に使われるが、日本ではそれらが使われるのは稀である。

そんな日本の家紋の中で、例外的に猛禽類を家紋として、かなり広まっているのが、この鷹の羽なのである。
しかし、鷹は鷹でもこの紋は、鷹の姿ではなく、鷹の羽を家紋化するところが特徴だ。

獰猛、精悍な姿(いわゆる爪)を隠して、その羽を優美な紋所とする、そのセンスは、どこか、軍隊を自衛隊と言い繕う感覚と通底している。
ごまかしと言うのか、慎み深いと言うのかは、立場によって違うとは思うがいずれにしても日本的といえるだろう。

しかも、この家紋は全国では3位だ。
目立つ地域は、群馬県、千葉県、神奈川県、大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県で1位。
茨城県、栃木県、埼玉県、東京都、山梨県、長野県、愛知県、滋賀県、奈良県、京都府、兵庫県、福岡県、佐賀県、長崎県で2位。
関東と九州で特に多いことがわかる。一方で、比較的少ないのが、青森県(10位)、石川県(8位)、浅野家、阿部家のお膝元広島県の9位。

九州では名族・菊池一族の家紋だったことが大きく影響しているからと言われているが、一方、関東に多いのは、この地域では比較的広い荘園を支配した武士の紋を、そのまま農民が多く使用したからでないだろうか。
それに対して、関西、中国四国の村々では、それぞれの家紋を持った比較的力の強い家族が集まった共同体的性格が強かったのではないだろうか。

さて、鷹の羽を持つ有名人は以下。


菊池武光。1319年 – 1373年12月29日、武将。
菊池氏の第15代当主。南朝・後醍醐天皇の皇子で、征西将軍として九州へ派遣された懐良親王を隈部山城に迎え、九州における南朝勢力として征西府の拡大に努める。一色、少弐、両者を倒して九州における南朝勢力の隆盛を確立した。家紋は並び鷹の羽。


阿蘇惟豊。1493年 – 1559年12月5日、阿蘇氏の18代当主。
阿蘇惟憲の子。阿蘇惟将・惟種の父。甲斐親宣・親直父子の補佐を受け阿蘇氏の最盛期を築く。阿蘇五ヶ所衆の一人。阿蘇神社大宮司でもある。後奈良天皇宸筆の「般若心経」を受納し阿蘇上宮に社納。家紋は違い鷹の羽。画像は阿蘇神社の神紋。


浅野長矩。1667年9月28日 – 1701年4月21日。大名、赤穂藩主。
播磨赤穂浅野家は広島浅野家の傍流の一つで浅野長政の三男長重を祖とする家柄。殿中刃傷を起こし切腹させられ赤穂浪士の復讐へと繋がる。後に「忠臣蔵」等の歌舞伎や映画で扱われる。家紋は浅野鷹の羽紋。画像は別の浅野家の浅野鷹の羽紋。


高松喜六。1600年代 – 1713年、名主。
江戸浅草阿部川町の名主(なぬし)。元禄11年、あたらしい宿場開設を幕府に願いでて、内藤氏屋敷前に内藤新宿をひらき、甲州街道をとりしまる名主となった。家紋は抱き鷹の羽に変わり「高」の文字紋。画像は四谷・愛染院にて撮影。


勝川春章。1726年 – 1793年1月19日、浮世絵師。
本姓不詳。画姓は初め宮川、後に勝川と称した。写実的でブロマイド的な役者似顔絵を完成させた。代表作の「東扇」は大首絵の先駆的作品。肉筆画では「雪月花図」が代表作。葛飾北斎(勝川春朗)をはじめ、多数の弟子がいた。家紋は丸に鷹の羽紋。


歌川国芳。1798年1月1日 – 1861年4月14日、浮世絵師。
江戸日本橋本銀町に生まれる。父は京紺屋を営む柳屋吉左衛門。武者絵、名所絵、美人画、役者絵、狂画など多彩な作品を残す。幕府を風刺することで絶大な人気を得る。代表作は『役者似顔絵六歌仙図』『忠臣蔵十一段目夜討之図』等。


阿部正弘。1819年12月3日 – 1857年8月6日、老中首座。
福山藩・第5代藩主・阿部正精の五男として江戸西の丸屋敷にて出生。幕末の動乱期にあって改革を断行。老中首座在任中にペリーが来航、日米和親条約締結を行う。洋学所、長崎海軍伝習所等を創設。家紋は阿部鷹の羽紋。画像は谷中霊園にて撮影。


中村正直。1832年6月24日 – 1891年6月7日、啓蒙思想家。
江戸で幕臣の家に出生。サミュエル・スマイルズの『Self Help』を『西国立志篇』の邦題で出版、100万部以上を売り上げる。同人社創立者。また福澤諭吉、森有礼、西周らと明六社を結成。家紋は下り藤に違い鷹の羽紋。画像は谷中霊園にて撮影。


福沢諭吉。1835年1月10日 – 1901年2月3日、教育者、著述家。
豊前国中津藩の蔵屋敷で下級藩士福澤桃介・於順の次男として生まれる。東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長、慶應義塾創設者。代表作品は「学問のススメ」「西洋事情」「福翁自伝」など。画像は元麻布・善福寺の墓所にて撮影。


ジョセフ彦。1837年9月20日 – 1897年12月12日、通訳、貿易商。
播磨国加古郡出身。本名は浜田彦蔵。紀伊半島の大王岬沖で難破。米商船に救助されて渡米。神奈川領事館通訳を務めた。後に英字新聞を日本語訳した「海外新聞」を発刊。新聞の父と言われる。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は青山霊園にて。


長與專齋。1838年10月16日 – 1902年9月8日、医学者、官僚。
長与氏は肥前国大村藩に代々仕える漢方医の家系。オランダ人医師ポンペのもとで西洋医学を修める。文部省医務局長に就任。また東京医学校の校長を兼務。衛生思想の普及に尽力。衛生の語は、Hygieneの訳語として長与が採用した。画像は青山霊園。


坂田警軒。1839年6月15日 – 1899年8月15日、漢学者、政治家。
備中国川上郡九名村出身。肥後国に遊学し、木下犀潭に入門。井上毅・竹添進一郎と共に木門の三才と称される。岡山藩家老池田氏の賓師から第2代興譲館(岡山藩藩校)館長に就任。家紋は五瓜に違い鷹の羽紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


小牧昌業。1843年10月5日 – 1922年10月25日、官僚、政治家。
薩摩藩(鹿児島県)で生まれた。明治期に官僚として黒田清隆に仕え、開拓使幹事・大臣秘書官・内閣書記官長、奈良県知事、愛媛県知事などを歴任した。後に、貴族院議員に勅選された。家紋は丸に鷹の羽紋。画像は青山霊園にて撮影。


日比谷平左衛門。1848年3月25日 – 1921年1月9日、実業家。
越後国蒲原郡三条町の旅宿営業者の3男として生まれ、日比谷家の養子となる。日清紡績、鐘淵紡績の設立に関わり日本紡績界の巨人といわれた。また、第一生命、九州電力などの設立にも寄与。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は青山霊園にて撮影。


日高壮之丞。1848年4月26日 – 1932年7月24日、海軍軍人。
鹿児島県出身。薩摩藩士・宮内清之進の次男。日高籐左衛門の養子となり家督を相続。NHKドラマ「坂の上の雲」では中尾彬が演じた。最終階級は海軍大将。幾多の軍功によって男爵位を受勲。家紋は割り杏葉菊に違い鷹の羽紋。画像は青山霊園にて撮影。


川村景明。1850年4月8日 – 1926年4月28日、陸軍軍人。
薩摩藩士・野崎吉兵衛の三男として薩摩に生まれ川村家の養子となる。戊辰戦争、日清戦争、日露戦争に従軍。東京衛戍総督、鴨緑江軍司令官、帝国在郷軍人会会長を歴任。最終階級は元帥陸軍大将。家紋は丸に並び鷹の羽紋。画像は青山霊園にて。


大蔵平三。1853年1月30日 – 1911年8月25日、陸軍軍人。
岡山県出身。医師・大野意俊の二男として生まれ、大蔵建安の養子となる。西南戦争に出征し、陸軍大学校教授、参謀本部第2局員、陸大教官、騎兵第1大隊長、騎兵課長、騎兵監を歴任。最終階級は陸軍中将。画像は青山霊園にて撮影。


飯沼貞吉。1854年4月22日 – 1931年2月12日、白虎隊士。
会津藩士・飯沼時衛一正の二男として出生。年齢を偽り白虎隊に参加したが戦い利あらず飯盛山にて他の十九士と共に自刃に及んだが死に切れなかった。日清戦争にも従軍、77歳で生涯を終えた。家紋は環に違い鷹の羽紋。画像は仙台輪王寺にて撮影。


大井成元。1863年10月22日 – 1951年7月15日、陸軍軍人。
山口県出身。大井又平の三男。読みは、おおいしげもと。シベリア出兵に従軍した。最終階級は陸軍大将。除隊後は貴族院議員となり、恢弘会会長に就任し、内閣参議も務める。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は多磨霊園にて撮影。


浅川範彦。1865年 – 1907年1月10日、細菌学者、医学博士。
土佐国土佐郡秦村に生まれる。中江兆民の従兄弟。旧高知藩士。ジフテリア破傷風などの血清研究に功績を残した。免疫学の第一人者として活躍。日本細菌学会賞の一つ、浅川賞に名前を残す。家紋は上り藤に違い鷹の羽紋。青山霊園の墓所にて撮影。


原嘉道。1867年3月23日 – 1944年8月7日、法学者、政治家。
信濃国須坂に原茂作の長男として出生。父はもともとは庄屋格の農家。中央大学学長として「法律の中大」の基礎を作る。政治家としては、司法大臣、枢密院議長などを歴任。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は多磨霊園にて撮影。


一木喜徳郎。1867年5月7日 – 1944年12月17日、法学者、政治家。
遠江国佐野郡倉真村に岡田良一郎の二男として生まれ一木家の養子となる。内務省に入省。ドイツに留学し行政法を学ぶ。法制局長官、文部大臣、内務大臣、宮内大臣、枢密院議長を歴任。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は谷中霊園にて撮影。


五島清太郎。1867年8月18日 – 1935年7月20日、動物学者。
長門国阿武郡川島村に長州藩藩士五島守篤の次男として出生。歌人・五島美代子の父。寄生虫関連の研究で知られる。東大理学部長を務め、日本寄生虫学会創立。初代会頭就任した。家紋は丸に違い鷹の羽。画像は染井霊園の五島家の墓所にて撮影。


正岡子規。1867年10月14日 – 1902年9月19日、俳人・歌人。
伊予国温泉郡藤原新町に松山藩士・正岡常尚の長男として出生。本名は常規。俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に渡り創作活動を行い日本の近代文学に多大な影響を及ぼす。家紋は丸に鷹の羽紋と丸に三つ鱗紋。画像は子規系図より。


尾崎紅葉。1868年1月10日 – 明治36年10月30日、小説家
江戸芝中門前町出身。父は根付師。本名、徳太郎。幸田露伴と並称され明治期の文壇の重きをなした。代表作は「金色夜叉」「多情多恨」「二人比丘尼 色懺悔」など。泉鏡花、小栗風葉、徳田秋声などは門下生。画像青山霊園にて撮影。


広瀬武夫。1868年7月16日 – 1904年3月27日、海軍軍人。
岡藩士・広瀬友之允の次男。日露戦争・旅順港閉塞作戦に従事。部下を助けるため敵軍砲弾の直撃を受け戦死。日本初の軍神となり出身地の大分県竹田市に広瀬神社が創建された。最終階級は海軍中佐。家紋は丸に並び鷹の羽。画像は青山霊園にて撮影。


大砲万右エ門。1869年12月30日 – 1918年5月27日、第18代横綱
角田県刈田郡大鷹沢村出身。本名は角張萬次。現役引退後は年寄・待乳山を襲名。98勝29敗51分4預138休。優勝相当成績2回。当時史上最長身の横綱。常陸山ですら彼には苦戦し当の本人も常陸山が相手だと聞けば安心していたと伝えられている。


大下藤次郎。1870年7月9日 – 1911年10月10日、水彩画家。
東京で馬宿、馬車問屋を営む家に出生。家業を手伝う傍ら美術界へ進むことを決意し絵画を学ぶ。技法書の『水彩画之栞』を刊行しベストセラーとなる。美術雑誌『みづゑ』を刊行。家紋は、丸に並び鷹の羽紋。画像は雑司が谷の墓所にて撮影。


内田良平。1874年2月11日 – 1937年7月26日、右翼運動家。
旧福岡藩士内田良五郎の三男。叔父の平岡浩太郎の影響により国家主義運動の指導者となった。日本の朝鮮、中国への勢力拡大に強い関心を持ち、黒龍会を結成、主幹となり日韓合邦論を主張した。家紋は丸に一つ鷹の羽紋。画像は多磨霊園にて撮影。


鈴木梅太郎。1874年4月7日 – 1943年9月20日、農芸化学者。
静岡県榛原郡堀野新田村にて、農業・鈴木庄蔵の次男。東京帝国大学名誉教授、理化学研究所設立者。文化勲章受章者。世界初のビタミンであるアベリ酸(のちにオリザニンと改名、ビタミンB1)、また、合成清酒を発明する。画像は多磨霊園にて撮影。


高木貞治。1875年4月21日 – 1960年2月28日、数学者。
岐阜県本巣郡数屋村出身。ドイツへ3年間留学。ヒルベルトに師事し多大な影響を受ける。代数的整数論の研究では類体論を確立しクロネッカーの青春の夢を解決した。著書に『初等整数論講義』『代数的整数論』がある。画像は多磨霊園にて撮影。


山梨勝之進。1877年7月26日 – 1967年12月17日、海軍軍人。
宮城県宮城郡仙台出身。旧仙台藩士の長男として生まれた。軍政部門に歩み山本権兵衛・加藤友三郎の系譜を継ぐと目されていた条約派の1人。海軍次官在任中はロンドン海軍軍縮条約の締結に奔走。最終階級は海軍大将。画像は青山霊園にて撮影。


野間清治。1878年12月17日 – 1938年10月16日、実業家。
群馬県桐生市出身 。講談社創業者、報知新聞社社長。「雑誌王」とよばれ雑誌「キング」は大ヒット、昭和時代前期の出版界を牽引。主な刊行雑誌『少年倶楽部』『キング』『少女倶楽部』。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は護国寺にて撮影。


米内光政。1880年3月2日 – 1948年4月20日、海軍軍人、政治家。
旧盛岡藩士米内受政の長男として現在の岩手県盛岡市に生まれる。林内閣にて海軍大臣として入閣。海軍内の条約派として三国同盟・日米開戦に反対。阿部信行の内閣総辞職により内閣総理大臣(第37代)に任命された。最終階級は海軍大将


石橋湛山。1884年9月25日 – 1973年4月25日、政治家。
日蓮宗僧侶・杉田湛誓ときん夫妻の長男。ただし、母方の石橋家を継ぐ。その石橋家は江戸城内の畳表一式を請け負う大きな畳問屋。第55代内閣総理大臣就任直後に脳梗塞で倒れ首相在任期間は65日。歴代で3番目の短命政権。画像は日暮里の善性寺。


高須四郎。1884年10月27日 – 1944年9月2日、海軍軍人。
茨城県桜川村出身。知英派で当時の欧米事情に詳しく日独伊三国軍事同盟や日米開戦に反対し、山本五十六や米内光政等、海軍左派勢力からも強く信頼されていた。最終階級は海軍大将。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は青山霊園にて撮影。


木下杢太郎。1885年8月1日 – 1945年10月15日、医学者、詩人。
静岡県伊東市出身。本名は太田正雄。石川啄木創刊の「スバル」等に詩を発表。また「パンの会」(青年文芸・美術家の懇談会)を主催、永井荷風、高村光太郎、谷崎潤一郎等が参会する。医学の道では、らい病の権威でもある。画像は多磨霊園にて撮影。


木村篤太郎。1886年2月7日 – 1982年8月8日、政治家、剣道家。
奈良県五條町に生まれる。読みは、きむらとくたろう。幣原内閣の検事総長、吉田内閣で司法大臣、法務大臣、保安庁長官、防衛庁長官を務める。全日本剣道連盟初代会長。家紋は五瓜に違い鷹の羽紋。画像は多磨霊園にて撮影。


早川雪洲。1886年6月10日 – 1973年11月23日、俳優。
千葉県安房郡千倉町の裕福な網元の家に出生。本名は早川金太郎。日本人として最も早い時代に活躍した国際的映画俳優である。日本人男優として初めてアカデミー助演男優賞にノミネートされる。代表出演作は『南海漂流』『戦場にかける橋』等。


牛島満。1887年7月31日 – 1945年6月23日、陸軍軍人。
鹿児島県鹿児島市出身。陸軍では教育畑を歴任。沖縄戦においては第32軍を指揮し自決。温厚な人柄で彼の人柄を懐かしむ声は多いという。最終階級は陸軍中将(死後大将に昇進)。家紋は反り違い鷹の羽紋。青山霊園の墓所にて撮影。


菊池寛。1888年12月26日 – 1948年3月6日、小説家。
香川県高松市生まれ。菊池家は高松藩の儒学者の家柄。文藝春秋社を創設し、芥川賞、直木賞を設立。川端康成、小林秀雄等新進の文学者に金銭的な援助を行う。代表作は「父帰る」「恩讐の彼方に」。丸に違い鷹の羽紋。画像は多磨霊園にて。


三木露風。1889年6月23日 – 1964年12月29日、詩人、童謡作家。
兵庫県揖西郡龍野町生まれ。本名は三木操。若き日は日本における象徴派詩人でもあった。詩人・作詞家として、北原白秋と並び「白露時代」と称された。代表作は「赤とんぼ」「かっこう」「野薔薇」「十五夜」等。家紋は折敷に違い鷹の羽紋。


川島正次郎。1890年7月10日 – 1970年11月9日、政治家。
東京の下町で鼈甲屋を営む母方の叔父のもとで幼少期を過ごす。自民党幹事長副総裁を歴任。専修大学総長、成田山奉賛会初代会長、日本プロレスリングコミッショナーを始め日本学生卓球連盟会長などの要職を務めた。画像は烏山・妙寿寺にて。


菊池山哉。1890年10月29日 – 1966年11月17日、郷土史家。
東京府出身。本名は菊池武治。読みは、きくちさんさい。部落史研究としては被差別部落民を異民族起源とする説を唱えた。『穢多族に関する研究』が差別図書として全国水平社から糾弾を受ける。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は多磨霊園にて撮影。


大西瀧治郎。1891年6月2日 – 1945年8月16日、海軍軍人。
兵庫県氷上郡芦田村出身。神風特別攻撃隊の編成を行なったことにより「特攻の父」「特攻生みの親」などと呼ばれている。最終階級は海軍中将。日本の敗戦を見とどけ8月16日に自決。家紋は鞠挟みに違い鷹の羽紋。画像は総持寺にて撮影。


吉川英治。1892年8月11日 – 1962年9月7日、作家。
神奈川県久良岐郡中村根岸に、旧小田原藩士・吉川直広の次男として生れた。船具工、象眼職人などを経て、国民的大作家となる。代表作は『宮本武蔵』『新・平家物語』『私本太平記』など。家紋は違い鷹の羽紋。吉川英治記念館にて確認。


大村能章。1893年12月13日 – 1962年1月23日、作曲家。
山口県防府市多々良出身。米穀商の家に生まれる。本名は大村秀弌。日本音楽著作者組合(後の日本音楽著作権協会)を設立。代表作『旅笠道中』『麦と兵隊』『同期の桜』。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は八柱霊園にて撮影。


金子光晴。1895年12月25日 – 1975年6月30日、詩人。
愛知県津島市出身。本名は安和。代表詩集は『落下傘』『こがね蟲』『鮫』。反骨の文化人として知られ反戦の立場を取り息子をわざと病気に近い状態にして兵役を免れさせ国家への不服従を貫く。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は上川霊園にて撮影。


常ノ花寛市。1896年11月23日 – 1960年11月28日、第31代横綱
岡山県岡山市生まれ。本名:山野辺 寛一。13歳で出羽ノ海部屋に入門。幕内最高優勝:10回。初めて優勝回数を2桁に乗せた力士だった。幕内通算成績:221勝58敗8分6預68休 勝率.792。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は谷中霊園にて撮影。


椎名悦三郎。1898年1月16日 – 1979年9月30日、官僚、政治家。
岩手県水沢町出身。椎名家は蘭学者の高野長英の血筋。自民党副総裁、外相、通産相を歴任。日韓基本条約の締結に向けて韓国側と交渉。田中角栄の首相退陣の折には後継を三木武夫とする選定を下した「椎名裁定」で知られる。春秋苑にて撮影。


山手樹一郎。1899年2月11日 – 1978年3月16日、小説家。
栃木県出身。本名は井口長次。博文館に入社し編集者を経て『少年少女譚海』編集長。1939年より専業作家。翌年より新聞連載した「桃太郎侍」で人気を得る。歴史小説である『崋山と長英』で第4回野間文芸賞を受賞。画像は烏山・宗福寺にて撮影。


網野菊。1900年1月16日 – 1978年5月15日、作家。
東京生まれ。志賀直哉を生涯の師とする。私小説、随筆風の作品が多い。「さくらの花」で芸術選奨文部大臣賞、女流文学賞、「一期一会」で読売文学賞を受賞。代表作は「光子」「金の棺」等。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は青山霊園にて撮影。


中村汀女。1900年4月11日 – 1988年9月20日、俳人。
熊本県飽託郡に斉藤平四郎・テイの一人娘として生まれる。本名は斉藤破魔子。ホトトギス同人となり最初の句集『春雪』を発表。俳誌『風花』を創刊。文化功労者、日本芸術院賞受賞。画像は丸に違い鷹の羽紋。画像は本願寺の和田掘廟所にて撮影。


安西浩。1901年10月6日 – 1990年4月12日、実業家。
千葉県勝浦市出身。東京ガス社長・会長。東京ガスの最高実力者として20年以上も君臨した。クリーン・エネルギー、液化天然ガス(LNG)の価値にいち早く気付き、海外からの本格的導入に成功。ミスターLNGと呼ばれた。画像は池上本門寺にて撮影。


蔵原惟人。1902年1月26日 – 1991年1月25日、評論家。
東京都出身。父・蔵原惟郭は熊本県阿蘇神社の社家に生まれた教育家。前衛芸術家同盟に所属。ペンネームは古川荘一郎。全日本無産者芸術連盟の結成に働き雑誌『戦旗』を発行。小林多喜二や徳永直らの作品を掲載、新しい書き手の成長を促す。


吉田秀雄。1903年11月9日 – 1963年1月27日、実業家。
福岡県出身。電通入社。1947年電通の第4代代表取締役社長就任。「鬼十則」を作るなど広告の鬼と呼ばれていた。死後、その功績を称え、吉田秀雄財団が創設される。家紋は、丸に鷹の羽紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


武田麟太郎。1904年5月9日 – 1946年3月31日、小説家。
大阪府大阪市南区日本橋筋生まれ。『文藝春秋』に「暴力」を発表しプロレタリア作家としての地位を築く。川端康成・小林秀雄らと『文學界』を創刊。代表作は「日本三文オペラ」「井原西鶴」等。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は西多摩霊園にて撮影。


榎本健一。1904年10月11日 – 1970年1月7日、コメディアン。
東京都港区青山出身。当初は浅草を拠点としていたが、エノケンの愛称で広く全国に知られていった。日本の喜劇王とも呼ばれ大東亜戦争期前後の日本で大活躍。出演映画『エノケンの猿飛佐助』『エノケンの弥次喜多』等。画像は青山・長谷寺。


高見順。1907年1月30日 – 1965年8月17日、小説家、詩人。
福井県知事・阪本釤之助の非嫡出子として福井県坂井郡に出生。本名は高間芳雄。『故旧忘れ得べき』が第1回芥川賞候補となる。日本近代文学館の建設に尽力。タレント高見恭子は愛人との間に生まれた娘だが養女として入籍。家紋は丸に違い鷹の羽紋。


田中絹代。1909年11月29日 – 1977年3月21日、俳優。
山口県下関市に田中久米吉の末娘として生まれる。黎明期から日本映画界を支えた大スターであり日本映画史を代表する大女優の一人。出演映画において世界三大映画祭の全てを受賞。代表出演作は『愛染かつら』『彼岸花』『楢山節考』など。


森川信。1912年2月14日 – 1972年3月26日、俳優。
本名は森川義信。神奈川県横浜市南区出身。元妻は女優の水戸光子。「男はつらいよ」の初代おいちゃん役、、江利チエミ主演の「サザエさん」シリーズの波平役、「おく様は18才」の園長役でも有名。家紋は丸に違い鷹の羽紋。


川島雄三。1918年2月4日 – 1963年6月11日、映画監督。
青森県下北郡田名部町生まれ。小津安二郎等の助監督を経て『還って来た男』で監督デビュー。代表作は『洲崎パラダイス 赤信号』『幕末太陽傳』『女は二度生まれる』等。筋萎縮性側索硬化症に冒され歩行困難だったという。家紋は違い鷹の羽。


大山康晴。1923年3月13日 – 1992年7月26日、将棋棋士。
岡山県浅口郡河内町西阿知出身。公式タイトル獲得80期(歴代1位)、棋戦優勝44回(歴代1位)、通算1433勝(歴代1位)などの偉大な記録を立てた。十五世名人、永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将という5つの永世称号を保持。画像は多磨霊園。


木島則夫。1925年5月10日 – 1990年4月13日、司会者・政治家。
東京都出身。NHKアナウンサーを経て、「木島則夫モーニングショー」の司会を務め知名度を上げる。参院選に民社党公認で東京都選挙区から出馬し当選。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は谷中の一乗寺の墓所にて撮影。


千代の山雅信。1926年6月2日 – 1977年10月29日、第41代横綱
北海道松前郡福島町出身。本名は杉村昌治。出羽の海部屋に入門。新入幕の場所で全勝。翌場所4日目に初めて負けるまで13連勝を記録した。幕内最高優勝:6回。親方としても横綱・北の富士を育て千代の富士をスカウト。画像は蔵前・浄念寺にて撮影。


池田大作。1928年1月2日 – 、宗教家、作家。
東京都大田区大森北に海苔業者の子之吉の第6子として出生。創価学会第3代会長、後に名誉会長に就任。「国連平和賞」を受賞。代表著作『人間革命』。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は、池田家の菩提寺である密厳寺の父・子之吉の墓にて撮影。


田久保英夫。1928年1月25日 – 2001年4月14日、小説家。
東京都台東区浅草出身。料亭で育つ。「緑の年」を『新潮』に発表し文壇デビューする。幼少時の体験を描いた「解禁」で芥川賞候補、「深い河」で芥川賞を受賞。代表作は『深い河』『触媒』『辻火』等。画像は八柱霊園にて。


花登筺。1928年3月12日 – 1983年10月3日、小説家、脚本家。
滋賀県大津市出身。本名は、花登善之助。旧姓は川崎善之助。上方喜劇ブームの立役者であり、またテレビ草創期におけるスター脚本家。代表作は『細うで繁盛記』『どてらい男』『アパッチ野球軍』。家紋は丸に違い鷹の羽紋。


牟田悌三。1928年10月3日 – 2009年1月8日、俳優。
東京都出身。読みは、むたていぞう。劇団テアトル・エコーの創設メンバーの1人。『ケンちゃんシリーズ』の父親役が有名。TBSラジオ番組『牟田悌三のあなたのための税金相談』のパーソナリティー。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は多磨霊園にて撮影。


春風亭柳朝(5代目)。1929年10月29日 – 1991年2月7日、落語家。
東京都出身。本名は大野和照。5代目蝶花楼馬楽(後の林家彦六)に入門。テレビ・ラジオでも顔を売り、7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目三遊亭圓楽と共に落語四天王と呼ばれた。落語協会常任理事。家紋は丸に違い鷹の羽紋。


朝潮太郎。1929年11月13日 – 1988年10月23日、第46代横綱
本名・米川 文敏、鹿児島県徳之島出身。高砂部屋所属。幕内最高優勝 5回。引退後、高砂部屋を継承し、先代から引き継いだ高見山、富士櫻、自分の代に入門した朝潮、小錦、水戸泉らを育てた。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は青山・長谷寺にて撮影。


俵孝太郎。1930年11月12日 – 、キャスター、政治評論家。
祖父は浜口内閣の商工大臣・俵孫一。保守派の論客としてニュース番組のコメンテーターや討論番組出演の他、『マジカル頭脳パワー!!』ではパネラーとして出演。小泉孝太郎(俳優)の名前は俵の名前から命名されたという。青山霊園の俵家墓所にて撮影。


宇津井健。1931年10月24日 – 、俳優。
東京都出身。新東宝に入社し若手スターとして大活躍、各方面からの注目を集める。『鋼鉄の巨人シリーズ』での主演は今でも語り継がれる。代表出演作『ザ・ガードマン』『「赤い」シリーズ』『渡る世間は鬼ばかり』など。画像は春秋苑にて撮影。


阿部昭。1934年9月22日 – 1989年5月19日、小説家。
広島県広島市出身。「子供部屋」で文學界新人賞を受賞。短篇「司令の休暇」で注目を集め、『千年』で毎日出版文化賞受賞。芥川賞候補になること6回(史上最多記録)。画像は文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に違い鷹の羽紋。


園山俊二。1935年4月23日 – 1993年1月20日、漫画家。
島根県松江市生まれ。早大生時代に、福地泡介、東海林さだおと共に「早大漫研三羽烏」と称され注目される。代表作は『ギャートルズ』『ペエスケ』『がんばれゴンベ』など。家紋は、丸に違い鷹の羽。画像は烏山・高源院にて撮影。


赤塚不二夫。1935年9月14日 – 2008年8月2日、漫画家。
満州国熱河省に生まれ、6人兄弟の長男として育つ。1956年に貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。その後石森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。代表作は「もーれつア太郎」「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」など。


梶原一騎。1936年9月4日 – 1987年1月21日、漫画原作者。
東京市浅草区に生まれる。本名は高森朝雄。格闘技やスポーツを題材に話題作を次々と生み出した。代表作品は『タイガーマスク』『ジャイアント台風』『柔道一直線』『巨人の星』『愛と誠』『あしたのジョー』等。画像は護国寺にて撮影。


小渕恵三。1937年6月25日 – 2000年5月14日、政治家。
群馬県吾妻郡中之条町に生まれる。自民党内では保守本流を歩き、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、内閣官房長官、自由民主党幹事長、外務大臣などを歴任後、第84代内閣総理大臣に就任。家紋は丸に違い鷹の羽。菩提寺にて確認させていただきました。


日色ともえ。1941年6月4日 – 、劇団民藝所属の女優。
東京都出身。父親は東京新聞社社員で、将棋観戦記者・演芸評論家であった日色恵。NHK朝の連続テレビ小説『旅路』のヒロイン。 丹羽基二著「家紋と家系」事典には茗荷紋として紹介されているが、春秋苑・生前墓には鷹の羽紋が刻まれている。


小泉純一郎。1942年1月8日 – 、政治家。
神奈川県横須賀市に小泉純也の長男として出生。第87代~89代内閣総理大臣。母方の祖父小泉又次郎は逓信大臣。父の純也は防衛庁長官。息子・小泉孝太郎は俳優。マスコミ報道を利用した劇場型政治は小泉劇場と呼ばれた。画像は宝樹院、純也の墓石。


樹木希林。1943年1月15日 – 、女優。
東京神田出身。本名は内田啓子。岸田森と結婚するが、後に離婚。その後、内田裕也と再婚し間に娘・内田也哉子(本木雅弘夫人)がいる。代表出演作は『ムー』『悪人』等。ゼクシーのCMでの内田夫婦の紋付から暫定的に丸に鷹の羽紋と判断。


草野仁。1944年2月24日 – 、キャスター、司会者。
満州国新京生まれ。2歳の時に引き上げ。長崎県島原市で育つ。NHKに入局するが1985年に退局しフリーとなる。主な出演番組は『世界・ふしぎ発見!』等。剣道の有段者(二段)。家紋は丸に鷹の羽紋。警視庁防犯ポスターの剣道着の紋付より判断。


三重ノ海剛司。1948年2月4日 – 、第57代横綱
三重県松阪市出身。本名、石山五郎。現役時代の家紋は片喰紋。武蔵川としては鷹の羽紋。幕内最高優勝:3回。通算成績:695勝525敗1分56休 勝率.570。指導者としては武蔵丸、武双山・出島・雅山等を育てる。年寄・武蔵川、前日本相撲協会理事長


隆の里俊英。1952年9月29日 – 2011年11月7日、第59代横綱
青森県南津軽郡浪岡町出身。本名は高谷俊英。二子山部屋所属の元大相撲力士。通算成績:693勝493敗80休 勝率.584。幕内最高優勝:4回。引退後は年寄・鳴戸を襲名して鳴戸部屋を創設。若の里、稀勢の里等を育てる。家紋は丸に違い鷹の羽紋。


石田純一。1954年1月14日 – 、俳優。
東京都目黒区出身。芸能界のプレイボーイ代表と見られている。代表出演作は『愛と平成の色男』『抱きしめたい!』等。2010年の結婚式の時の紋付写真と、その際の披露宴に振舞われたワインが「TAKAHA」だったことより、家紋は丸に鷹の羽と判断。


檀ふみ。1954年6月5日 – 、女優、エッセイスト。
東京都練馬区生まれ。父は作家の檀一雄。壇家は、本籍地が福岡県柳川市。立花藩の普請方を務めた家柄であった。代表出演作は『青春の蹉跌』など。NHKの『連想ゲーム』の名解答者としても親しまれた。家紋は丸に鷹の羽。


若嶋津六夫。1957年1月12日 – 、大相撲力士。
鹿児島県熊毛郡中種子町出身。本名は日高六男。夫人は自身と同じ鹿児島県出身の元アイドルの高田みづえ。最高位は大関。現在は年寄・松ヶ根。幕内成績:356勝219敗13休 勝率.619。幕内最高優勝2回。家紋は丸に違い鷹の羽紋。


古尾谷雅人。1957年5月14日 – 2003年3月25日、俳優。
神奈川県川崎市中原区出身。本名は古尾谷康雅。日活ロマンポルの俳優としてデビュー。『ヒポクラテスたち』の主役で一般俳優へ転進。代表出演作『スローなブギにしてくれ』『悪霊島』『永遠の仔』など。画像は川口の乗性寺にて撮影。


霧島一博。1959年4月3日 – 、元大相撲力士。
鹿児島県姶良郡牧園町出身。本名は吉永一美。井筒部屋所属。現在は陸奥親方。1990年(平成2年)3月場所に大関昇進。吊りの名手として知られる。通算成績:754勝696敗40休 勝率.520。幕内最高優勝:1回。家紋は丸に違い鷹の羽紋。


藤岡幸夫。1962年6月8日 – 、指揮者。
曾祖父は金沢出身の国文学者・藤岡作太郎。父は工学者(レーザー工学)の藤岡知夫。関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者。渡邉暁雄音楽基金音楽賞受賞。家紋は六つ割り鷹の羽車。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


飯星景子。1963年2月23日 – 、タレント、エッセイスト。
大阪府出身。父は『仁義なき戦い』の原作者、飯干晃一。「モーニングショー」「紳助・ケントの世界がお呼びです!」などの番組に出演。一時、統一教会問題で世間を騒がせた。画像は飯干晃一の墓所にて撮影。家紋は折敷(隅切り角)に並び鷹の羽紋。


TOSHI。1965年10月10日 – 、ヴォーカリスト。
千葉県館山市で公務員の三男として出生。本名は出山 利三。幼稚園で音楽の道を歩むきっかけとなる林佳樹(後のYOSHIKI)と出会い後にX JAPANを結成。X JAPANを脱退した後はソロ活動を行う。現在はX JAPANとソロの両方で活動を行っている。


本田美奈子。1967年7月31日 – 2005年11月6日、歌手、女優。
東京都葛飾区柴又出身、後に埼玉県朝霞市で過ごす。本名:工藤美奈子。「殺意のバカンス」でデビュー。1986年のマリリンが大ヒット。『ミス・サイゴン』でゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞。家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は広称寺にて撮影。


大沢たかお。1968年3月11日 – 、俳優。
東京都出身。男3人兄弟の末っ子として生まれる。『解夏』で第28回日本アカデミー賞優秀主演男優賞。代表出演作は『世界の中心で、愛をさけぶ』(映画)、『JIN-仁-』(テレビドラマ)等。JIN主役の南方仁の家紋は大沢氏本人の丸に違い鷹の羽紋より。


一宮章一。1969年2月14日 – 、プロレスラー。
東京都北区出身。父は先代・高砂親方(元小結・富士錦)こと一宮章。元横綱朝青龍のマネージャー・一宮章広は実弟。「偽造王」と称して橋本真也、北斗晶などの物真似をしながら試合をする。DDTプロレスの社長を経て、「MAP」の旗揚げを発表。


森内俊之。1970年10月10日 – 、将棋棋士。
神奈川県横浜市出身。勝浦修九段門下。小学生時代から、すでに羽生善治とライバル関係にあった。羽生から名人位を奪還し、羽生を一冠(王座)のみに追い込む。この時点で史上7人目の三冠王(竜王・名人・王将)となった。家紋は丸に違い鷹の羽。


武蔵丸光洋。1971年5月2日 – 、第67代横綱
米国ハワイ州オアフ島出身。本名は武蔵丸光洋、旧名はフィヤマル・ペニタニ(Fiamalu Penitani)。日本国籍を取得し、本名も武蔵丸光洋とした。現在は年寄・振分。幕内最高優勝:12回。通算成績:779勝294敗115休 勝率.726 。家紋は丸に違い鷹の羽紋。


武双山正士。1972年2月14日 – 、元大相撲力士。
茨城県水戸市出身。本名は尾曽武人。全日本相撲選手権大会で優勝してアマチュア横綱となる。武蔵川部屋所属。2000年3月場所にて大関昇進を果たす。得意手は突き、押し。現在は年寄・藤島。家紋は武蔵川部屋伝統の丸に違い鷹の羽紋。


柳楽優弥。1990年3月26日 – 、俳優。
東京都東大和市出身。スターダストプロモーション所属。映画『誰も知らない』で当時14歳で史上最年少でカンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞を受賞。後に自殺未遂説が報道された。丸に鷹の羽紋は女優・豊田エリーと結婚式の時の紋付に見えた。


南方仁。1966年頃 – 、村上もとか作・漫画「JIN」の主人公。
東都大学附属病院脳外科医局長。謎の男との接触により1862年の江戸にタイムスリップ。江戸の人々を近代医療で救うと同時に坂本龍馬の命を救う為に奔走。テレビドラマでは、大沢たかおが演じる。野風の婚姻の際に丸に違い鷹の羽の紋付を着用。

まさむね



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