柏紋 -海の人々に奉られた神の紋- 島左近、森鴎外、青島幸男...

柏手を打つという言葉がある通り、柏は神道と関係が深い植物である。

宗像神社に奉仕する宗像氏、伊勢神宮に奉仕する久志本氏、熱田神宮に奉仕する千秋氏、吉田神社に奉仕する卜部氏など、神官関連に柏紋を使用する家が多い。
また、神社自体の紋としては、恵比寿神社の神紋が有名であるが、どちらかと言えば、海人系の人々に好まれたのではないか。

全国分布では、比較的に東日本で多い。
北から、秋田県、宮城県、山形県、千葉県、三重県、大阪府などでベスト3に入っている。
三重>千葉>宮城という海の道がそれとなく見えてくる。

全国的には4位にランクされている。
逆に少ないところは、広島県と佐賀県で13位、山口県、高知県で12位。

柏紋を持つ有名人は以下。


吉田兼好。1283年 – 1352年、遁世者・歌人・随筆家。
本名は卜部兼好。卜部氏は古代より卜占を司り神祇官を出す神職の家柄。父兼顕も吉田神社の神職。出家したことから兼好法師とも呼ばれる。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者。また私家集『兼好法師家集』がある。家紋は抱き柏紋。


島左近。1540年6月9日 – 1600年10月21日、武将。
大和国の国人の家系に生まれた。筒井順慶、豊臣秀長・豊臣秀保らに仕えた後、浪人となって近江に隠棲。三成の説得により仕官を受け入れ、当時の三成の禄高4万石のうちの半分、2万石の俸禄で召し抱えられた。関が原の戦いで壮絶死。家紋は三つ柏。


中川清秀。1542年 – 1583年6月10日、武将。
はじめ摂津の豪族であった池田勝正に仕えた。清和源氏頼光流の多田源氏の後裔。本能寺の変で信長が横死した後は羽柴秀吉につき、山崎の戦いで大いに活躍した。賤ケ岳の戦いにも秀吉方先鋒二番手として参戦したが、戦死。家紋は中川車と中川柏。


山内一豊。1545年 – 1605年11月1日、武将。
尾張国葉栗郡黒田にある山内家の居城であった黒田城に生まれる。豊臣秀吉に遣え、出世し、家康に土佐国20万石を与えられ、土佐藩初代藩主となる。妻・見性院の「内助の功」は有名。2006年に放送された大河ドラマ『功名が辻。』の主役となる。


本因坊算砂。1559年 – 1623年6月13日、囲碁の棋士。
舞楽宗家の加納与助の子として生まれる。本姓は加納。兄(叔父)の日蓮宗の僧・日淵に弟子入りして出家。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という三英傑に仕え寵愛された。家康から碁打ち・将棋指しへの連絡係に任ぜられて後の家元制度の基礎となった。


八百屋お七。1668年 – 1683年4月25日、八百屋太郎兵衛の娘。
下総国千葉郡萱田で生まれる。幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こし、鈴ヶ森刑場で火刑に処された。生年については1666年(丙午の年)とする説があり、それが丙午の迷信を広げる事となる。家紋は丸に三つ柏紋。画像は文京区円乗寺の墓所にて撮影。


喜多川歌麿。1753年 – 1806年10月31日、浮世絵師。
出生地は江戸市中、あるいは京、大坂、栃木、川越と諸説がある。版元の蔦屋重三郎の援助を得て「当時全盛美人揃」「娘日時計」「北国五色墨」など優れた大首半身物の美人画を刊行。家紋は丸に三つ柏紋。残存する肖像画より判断。


高田屋嘉兵衛。1769年2月7日 – 1827年4月30日、廻船業者。
淡路島の農民の子として生まれる。家紋は丸に違い柏紋。18歳で廻船業者を志して出て、後に本格的に廻船業、蝦夷地経営へ乗り出す。ゴローニン事件でカムチャツカ半島へ連行されるが、翌年帰国。司馬遼太郎の歴史小説『菜の花の沖』で有名になる。


高島嘉右衛門。1832年12月24日 – 1914年10月16日、易断家。
江戸三十堀間町に生まれる。父は遠州屋嘉衛門(本姓は薬師寺)。材木屋、磁器販売などを手がける。横浜発展に寄与し高島町にその名前を残す。その後も愛知セメント株式会社を興す。易断による占いでも特に有名で今でも「易聖」と呼ばれている。


大野右仲。1837年1月14日 – 1911年6月11日、新選組隊士。
唐津藩士大野勘助の長男として出生。戊辰戦争が勃発すると藩主・小笠原長行に従って会津へ入り仙台で新選組に入隊。榎本武揚艦隊と合流して蝦夷地へ渡った。二股口の戦いから土方の補佐役を務めた。家紋は三つ柏紋。天王寺墓地にて撮影。


桂文楽(四代目)。1838年12月26日 – 1894年1月28日、落語家。
本名、新井文三。口癖で「デコデコ」とよく言っていたため「デコデコの文楽」と呼ばれた。人情噺が得意で『音羽丹七』は絶品であったという。得意ネタは『居残り佐平次』『たちきり』など。家紋は丸に三つ柏紋。画像は谷中・観音寺にて撮影。


相楽総三。1839年 – 1868年3月26日、赤報隊隊長。
下総相馬郡の郷士小島兵馬の四男として江戸・赤坂に出生。江戸薩摩藩邸の焼討事件の端緒を作り赤報隊を組織するが偽官軍とされ捕縛される。顔画像はアニメ「るろうに剣心」の相楽総三。家紋は三つ重ね柏紋。青山霊園にて撮影。


加納鷲雄。1839年12月14日 – 1902年10月27日、新選組隊士。
伊豆国賀茂郡加納村に農民・高野伴平の長男として出生。伊東甲子太郎らと新選組の隊士募集に応じて入隊したが御陵衛士の結成に伴い新選組を離脱。油小路事件では難を逃れて脱出し、後に近藤勇を襲撃。家紋は丸に抱き柏紋。画像は青山霊園にて撮影。


渋沢栄一。1840年3月16日 – 1931年11月11日、実業家。
武蔵国血洗島村に養蚕、米、麦、野菜の生産も手がける豪農の家に生れる。第一国立銀行や王子製紙・日本郵船・東京証券取引所といった多種多様の企業の設立・経営に関わり日本資本主義の父と呼ばれる。家紋は丸に違い柏。谷中霊園の渋沢家墓所にて。


境川浪右衛門。1841年5月28日 – 1887年9月16日、相撲力士。
下総国葛飾郡(現・千葉県市川市)出身。本名は宇田川政吉、のちに市川政吉から市川浪右衛門。第14代横綱。28場所118勝23敗71分5預63休、勝率.837。優勝相当成績5回。歴代横綱の中で引分率が最も高い。家紋は丸に三つ柏紋。


沖守固。1841年8月13日 – 1912年10月7日、官僚、政治家。
鳥取藩士・江戸詰絵師、沖一峨の長男として江戸で生まれる。内務省に入り内務少書記官となる。神奈川県知事、長崎県知事、元老院議官、滋賀県知事、和歌山県知事、大阪府知事、愛知県知事を歴任。家紋は二つ蔓柏紋。青山霊園の墓所にて撮影。


安保清康。1843年1月30日 – 1909年10月27日、海軍軍人。
備後国御調郡の医師・林金十郎の四男として出生。坂本龍馬の遺体を鳥野辺に埋葬したとされる。戊辰戦争・佐賀の乱・西南戦争に出征。海軍中将に進級し、海軍大学校長、佐世保鎮守府長官を歴任。家紋は丸に実付き三つ柏紋。青山霊園にて撮影。


寺内正毅。1852年2月24日 – 1919年11月3日、陸軍軍人、政治家。
周防国山口出身。長州藩士宇多田正輔の三男。母方の寺内勘右衛門の養嗣子となる。陸軍大臣、外務大臣、韓国統監、朝鮮総督、内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣を歴任。最終階級は元帥陸軍大将。家紋は亀甲に三つ柏紋。


安東貞美。1853年10月20日 – 1932年)8月29日、陸軍軍人。
信濃飯田藩槍術師範・安東辰武の三男として生まれる。父の辰武は信濃松本藩槍術師範・菅沼政治の子。台湾総督・朝鮮駐剳軍司令官や第10・第12師団長を歴任。階級は陸軍大将勲一等功三級男爵。家紋は丸に三つ柏紋。画像は青山霊園にて撮影。


御木本幸吉。1858年3月10日 – 1954年9月21日、実業家。
志摩国鳥羽浦の大里町で代々うどんの製造・販売を営む「阿波幸」の長男として生まれた。真珠の養殖とそのブランド化などで富を成し、御木本真珠店(現・ミキモト)を創業。真珠王と言われた。家紋は三つ追い柏。画像は青山霊園にて撮影。


嘉納治五郎。1860年12月9日 – 1938年5月4日、柔道家、教育者。
摂津国御影村で父嘉納治朗作の三男として生まれる。家業は酒造・廻船を営む。講道館柔道の創始者であり柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力。「柔道の父」と呼ばれる。画像は雑司ヶ谷霊園の父・次郎作の墓で撮影。


落合豊三郎。1861年4月7日 – 1934年3月31日、陸軍軍人。
江戸出身。松江藩士・落合鍬蔵の三男。日露戦争では、第2軍参謀長として出征した。その際、部下と対立。以後、関東総督府陸軍参謀長、交通兵旅団長などを歴任。最終階級は陸軍中将。家紋は丸に三つ柏。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


牧野伸顕。1861年11月24日 – 1949年1月25日、政治家。
大久保利通の二男として生れたが、生後間もなく利通の義理の従兄弟にあたる牧野吉之丞の養子となる。茨城県知事、文部大臣、農商務大臣、外務大臣を歴任。第一次世界大戦後のパリ講和会議に次席全権大使として参加。青山霊園の墓所にて撮影。


森鴎外。1862年2月17日 – 1922年7月9日、小説家。
石見国津和野で生まれた。代々津和野藩主、亀井公の御典医をつとめる。文学においては理想や理念などを描くべきだとする理想主義を掲げた。代表作は、「舞姫」「青年」「阿部一族」「高瀬舟」など。家紋は乱れ追い重ね九枚柏という変り紋。


森永太一郎。1865年8月8日 – 1937年1月24日、実業家。
佐賀県伊万里市出身。生家は焼き物や魚類を商う卸問屋。森永製菓の前身・森永西洋菓子製造所を設立。主にマシュマロを製造していたが後にキャラメルを主力製品とする。安倍晋三元首相夫人昭恵は曾孫にあたる。家紋は丸に抱き鬼柏。青山霊園にて撮影。


山下亀三郎。1867年5月12日 – 1944年12月13日、実業家。
伊予国宇和郡河内村出身。庄屋・山下家の7人兄弟の末子として生まれた。読みは、やましたかめざぶろう。山下汽船(現・商船三井)・山下財閥の創業者。勝田銀次郎、内田信也と並ぶ三大船成金の一人。家紋は丸に三つ柏紋。画像は多磨霊園にて撮影。


大森房吉。1868年10月30日 – 1923年11月18日、地震学者。
越前国足羽郡福井出身。下級武士・大森藤輔の五男。世界初の連続記録可能な大森式地震計を開発。また初期微動継続時間から震源までの距離を割り出す大森公式も発表。日本地震学の父と呼ばれている。家紋は丸に三つ柏紋。画像は多磨霊園にて撮影。


白川義則。1869年1月24日 – 1932年5月26日、陸軍軍人。
松山藩士白川親応の三男。上海派遣軍司令官、関東軍司令官、陸軍大臣、軍事参議官等を歴任。上海での天長節祝賀会で爆弾に遭って重傷を負いそれが元で死去。最終階級は陸軍大将。家紋は丸に軸付柏巴紋。画像は青山霊園にて撮影。


三土忠造。1871年8月11日 – 1948年4月1日、政治家。
香川県大内郡水主村出身。宮脇姓であったが、三土家に養子入りしたために三土姓を名乗った。文部大臣・大蔵大臣・逓信大臣・鉄道大臣・枢密顧問官・内務大臣を歴任した戦前政界の重鎮。家紋は丸に土佐柏紋。青山霊園の墓所にて撮影。


菱田春草。1874年9月21日 – 1911年9月16日、日本画家。
長野県飯田に生まれた。本名は三男治。岡倉天心の門下で明治期の日本画の革新に貢献し日本美術院の創設に参加。伝統的な日本画の世界に様々な斬新な技法を導入。代表作は『寡婦と孤児』『紅葉山水』『黒き猫』。画像は中野・大信寺墓地にて撮影。


林銑十郎。1876年2月23日 – 1943年2月4日、陸軍軍人、政治家。
石川県金沢市出身。豪快なヒゲにもかかわらず素顔は謹厳、温厚だった。第33代内閣総理大臣時代に特に何もしなかったことから、名前を取って「何にもせんじゅうろう内閣」と揶揄された。最終階級は陸軍大将。画像は多磨霊園にて撮影。


窪田空穂。1877年6月8日 – 1967年4月12日、歌人。
長野県東筑摩郡和田村生まれ。本名は窪田通治。読みは、くぼたうつぼ。与謝野鉄幹選歌の「文庫」に投稿をする。鉄幹から勧誘され「明星」にも参加。代表歌集は『まひる野』『土を眺めて』等。家紋は抱き柏紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


山内多門。1878年4月29日 – 1932年5月30日、日本画家。
宮崎県都城市倉之馬場通東に山内勝麿の子として生まれる。読みは、やまうちたもん。川合玉堂に入門、雅号都洲を授かる。翌年、橋本雅邦に師事する。代表作は「秋渓」「驟雨」「日光山の四季」など。家紋は丸に抱き柏紋。画像は多磨霊園にて撮影。


馬場鍈一。1879年10月5日 – 1937年12月21日、政治家、官僚。
東京府芝区出身。旧幕藩士・山本時光の長男。日本勧業銀行総裁を経て広田内閣に大蔵大臣として入閣。増税と公債増発を発表(内閣総辞職のため実現はせず)。また、近衛内閣では内務大臣も務めた。家紋は丸に五徳柏紋。画像は多磨霊園にて撮影。


内田信也。1880年12月6日 – 1971年1月7日、実業家、政治家。
旧常陸麻生藩士の家に生まれる。山下亀三郎、勝田銀次郎と並ぶ三大船成金の一人。船舶事業で財を成した後、政界にも進出し宮城県知事、鉄道大臣、農商務大臣、農林大臣等を歴任した。家紋は抱き柏紋。青山霊園の墓所にて撮影。


大谷米太郎。1881年7月24日 – 1968年5月19日、実業家。
富山県小矢部市出身。貧農の家庭に長男として出生。裸一貫から力士、酒屋等を経て、ホテル経営で大成功を収める。ホテルニューオータニの創業者。浮世絵のコレクターでも知られそのコレクションはニューオータニ美術館に所蔵。画像は鎌倉霊園。


小菅丹治。1882年4月27日 – 1961年9月16日、実業家。
神奈川県足柄上郡川村出身。旧姓:高橋。1908年に伊勢丹呉服店に入社。初代・小菅丹治(伊勢丹創業者)の養子となり、2代目小菅丹治を襲名。関東大震災後に百貨店形式にする。新宿に本店オープン。家紋は丸に三柏紋。画像は本行寺にて撮影。


北一輝。1883年4月3日 – 1937年8月19日、思想家・社会運動家。
新潟県佐渡島両津湊町の酒造屋に出生。上京し社会主義思想に接近。中国革命同盟会に入党、以後革命運動に身を投じる。二・二六事件の理論的首謀者とされ死刑。主著は『国家改造案原理大綱』『日本改造法案大綱』。画像は弟・北昤吉の墓所で撮影。


岩村通世。1883年8月21日 – 1965年3月13日、弁護士、政治家。
東京市神田区神保町出身。読みは、いわむらみちよ。岩村通俊の五男。兄の岩村俊武(通称は団次郎)は海軍中将。太平洋戦争開戦時の日本の司法大臣。A級戦犯として逮捕されたが無罪で釈放された。家紋は抱き柏紋。画像は多磨霊園にて撮影。


安成貞雄。1885年4月2日 – 1924年7月23日、批評家。
秋田県出身。早稲田大学英文科卒。『火鞭』の同人で『近代思想』『新社会』などに関わり大正三奇人の一人として知られる。旺盛な読書力と優れた英語力で「学東西に亘り、識古今を貫き」と称された。主著は『文壇与太話』。家紋は雪輪に違い柏紋。


石川一郎。1885年11月5日 – 1970年1月20日、財界人、経営者。
石川卯一郎の長男として東京に出生。武蔵工業大学(現東京都市大学)学長の石川馨は長男。日本商工会議所会頭の石川六郎は六男。東京帝国大学助教授、日産化学工業社長を経て、経団連初代会長に就任。家紋は丸に三つ柏紋。画像は染井霊園の墓所にて。


葛西善蔵。1887年1月16日 – 1928年7月23日、小説家。
青森県弘前市に生まれ。生家は広く商売(米の仲買業等)をしていたが、善蔵が2歳のときに没落。ほとんどが自らの体験をつづった〈私小説〉プロレタリア作家。代表作は『哀しき父』『子をつれて』『椎の若葉』等。墓所は鎌倉市の建長寺塔頭の回春院。


重光葵。1887年7月29日 – 1957年1月26日、外交官、政治家。
大分県大野郡三重町出身。士族・重光直愿の次男。母の実家の養子となり重光家26代目の当主となる。大東亜戦争中に外務大臣を務めポツダム宣言に調印。国際連合加盟に尽力。画像は多磨霊園の兄・簇(あつむ)の墓所の丸に三つ柏紋。


里見とん。1888年7月14日 – 1983年1月21日、小説家。
横浜出身。本名は山内英夫。母の弟の山内英郎の養子となり山内姓となる。『恋ごころ』で読売文学賞を受賞。代表作は『善心悪心』『多情仏心』。『彼岸花』は小津映画のために書き下ろした。家紋画像は文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に土佐柏紋。


松旭斎天洋。1888年9月21日 – 1980年9月30日、奇術師。
本名は山田松太郎。子供の頃は大阪で丁稚奉公をしていた。母親は奇術師の松旭斎天一の姉であった縁で松旭斎天一に弟子入り。「天洋奇術研究所」を創立し、実演販売を行う。初代の日本奇術協会会長。家紋は三つ柏紋。


広津和郎。1891年12月5日 – 1968年9月21日、小説家。
硯友社の小説家広津柳浪の曾孫。蒲池鎮克は、母方の曽祖父。江戸幕府最後の西国郡代。好景気の時代の悩むインテリ青年の苦悩を描く。代表作は、『神経病時代』『風雨強かるべし』『続年月のあしおと』等。家紋は丸に片手蔓柏紋。画像は谷中霊園にて。


尾竹紅吉。1893年3月4日 – 1966年9月22日、画家、運動家。
富山出身。本名は、尾竹一枝。読みは、おたけこうきち。日本画家・尾竹越堂の長女。尾竹竹坡は叔父。青鞜社入社後、表紙などを担当。青鞜社退社後に富本一枝という筆名で評論を発表。家紋は丸に三つ立ち柏紋。画像は谷中霊園の尾竹家の墓所にて撮影。


蝋山政道。1895年11月21日 – 1980年5月15日、政治学者。
新潟県刈羽郡出身。群馬県高崎市で育つ。吉野作造の影響を受け政治学の研究を志す。二・二六事件に際して『帝国大学新聞』に軍部批判の論説を掲載。中央公論社副社長、『中央公論』編集主任、お茶の水女子大学学長。画像は小平霊園にて撮影。


横田喜三郎。1896年8月6日 – 1993年2月17日、最高裁判所長官。
愛知県の呉服商兼農業の家庭の三男として出生。親社会主義的な法学者として知られ、著書『天皇制』において天皇制廃止を主張したが、晩年は保守的な思考を強め、天皇から勲章を賜る。家紋は丸に三つ柏紋。画像は護国寺共葬墓地にて撮影。


岸信介。1896年11月13日 – 1987年8月7日、政治家、官僚。
山口県吉敷郡山口町出身。県庁官吏・佐藤秀助の五男として誕生。婿養子だった父の実家・岸家の養子となる。内閣総理大臣佐藤栄作は実弟、安倍晋三は外孫。内閣総理大臣(第56・57代)。家紋は丸に剣三つ柏紋。画像は冨士霊園にて撮影。


島耕二。1901年2月16日 – 1986年9月10日、俳優、映画監督。
長崎県長崎市に、医者の息子として生まれる。二枚目俳優として内田吐夢、阿部豊、溝口健二などの作品に出演。監督に転向し、『風の又三郎』『次郎物語』などで好評を得る。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。家紋は、丸に五徳柏紋。


青山二郎。1901年6月1日 – 1979年3月27日、美術評論家。
東京市麻布区出身。中学時代から中国・朝鮮や日本の焼き物を探求。一時期、柳宗悦や浜田庄司たちの民芸運動に参加。小林秀雄、中原中也、永井龍男、白洲正子、宇野千代などと交わる。家紋は丸に三つ柏紋。画像は谷中・玉林寺にて撮影。


島田叡。1901年12月25日 – 1945年6月27日、沖縄県知事。
神戸市須磨区の開業医・島田五十三郎の長男として出生。読みは、しまだあきら。高校野球で夏の県大会優勝校には「島田杯」が授与されるなど、現在でも沖縄県民に愛された知事として記憶されている。家紋は丸に三つ柏紋。画像は多磨霊園にて撮影。


山内恭彦。1902年7月2日 – 1986年10月14日、理論物理学者。
神奈川県出身。祖父は函館戦争で榎本武揚に随行した山内六三郎。読みは、やまのうちたかひこ。群論を使って原子構造を解明。「原子スペクトル理論への群論の応用」で日本学士院賞を受賞。家紋は丸に土佐柏紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


香山滋。1904年7月1日 – 1975年2月7日、小説家。
東京生まれ。本名は山田鉀治(やまだ こうじ)。ゴジラの原作者として知られている。代表作は『霊魂は訴える』『海鰻荘奇談』『オラン・ペンデクの復讐』など。家紋は三追柏。画像は新宿区愛住町浄運寺の墓所にて撮影。


速水健司。1905年12月 – 1990年8月30日、実業家。
栃木県小山市出身。入谷に家具問屋速水商店を開業。家具卸商業組合・家具健康保険組合理事長など要職につく。かつては、テレビCMも放映するほど繁栄したが現在は閉店している。家紋は丸に抱き柏紋。画像は谷中・寛永寺霊園にて撮影。


樋口清之。1909年1月1日 – 1997年2月21日、歴史作家。
奈良県桜井市出身。考古学者としては静岡県の登呂遺跡の発掘を行う。代表作として『梅干と日本刀』『逆・日本史』『今日の風土記』。代表作の『梅干と日本刀』から「うめぼし博士」「梅干先生」と称される。家紋は九枚柏紋。画像は豪徳寺にて撮影。


山野愛子。1909年1月20日 – 1995年7月31日、美容家。
東京・向島出身。実家は洋食食堂を経営。中野に山野美容講習所(現在の山野美容専門学校)を開設。山野美容芸術短期大学を設立、初代学長に就任。生涯をヤマノグループ創始者として日本美容界発展に貢献した。画像は中野・高徳寺にて撮影。


斎藤邦吉。1909年6月26日 – 1992年6月18日、政治家。
福島県出身。衆議院議員(12期)。自民党内では宏池会に所属し、伊東正義、佐々木義武とともに「大平派三羽烏」と呼ばれた。自民党幹事長、厚生大臣、行政管理庁長官などを歴任。家紋は丸に三つ柏紋。画像は池上本門寺にて撮影。


土門拳。1909年10月25日 – 1990年9月15日、写真家。
山形県酒田市に父・熊造の長男として誕生。絶対非演出のリアリズム写真を主張したリアリズム系の写真家。日本の庶民、仏像等の撮影に特に才能を発揮。また、日本の写真界屈指の名文家としても知られた。家紋は丸に三つ柏。画像は八柱霊園にて撮影。


斎藤栄三郎。1913年6月19日 – 2000年7月9日、政治家、評論家。
東京都出身。日経新聞記者、NHK解説委員を経てフリーの経済評論家となりTBSの『時事放談』出演等で活躍後、参議院議員に転身(3期)。第1次海部内閣の科学技術庁長官を務めた。家紋は丸に抱き柏紋。画像は池上本門寺にて撮影。


沢村栄治。1917年2月1日 – 1944年12月2日、プロ野球選手。
三重県宇治山田市出身。夏の高校野球(中学野球)全国大会で1試合23奪三振を記録。静岡県草薙球場で開催されたアメリカメジャーリーグ選抜軍との試合に登板し好投。巨人入団後も活躍。プロ野球史上初となるMVPに選出される。家紋は丸に三つ柏紋。


吉岡実。1919年4月15日 – 1990年5月31日、詩人、装幀家。
東京本所の生まれ。芸術至上主義詩人として戦後詩に多大な影響を与える。代表作は『昏睡季節』『液体』『僧侶』『サフラン摘み』『薬玉』。全284篇の詩作品と150点余りの装丁作品を遺した。家紋は、丸に三柏。画像は巣鴨の真性寺にて撮影。


野村芳太郎。1919年4月23日 – 2005年4月8日、映画監督。
京都府出身。父・野村芳亭は日本の映画監督の草分け的存在。1946年に復員後、黒澤明の助監督を務め、『鳩』で監督デビュー。代表作は『張込み』『砂の器』『鬼畜』『八つ墓村』等。写真は和田堀廟所の野村芳亭の田中絹代寄贈の花立て。


吉葉山潤之輔。1920年4月3日 – 1977年11月26日、第43代横綱
北海道厚田郡厚田村(現、石狩市)出身。本名:池田 潤之輔。1954年1月場所、全勝で悲願の初優勝。引退後、年寄宮城野を襲名。宮城野部屋を開設する。白鵬の不知火型での土俵入りは吉葉山から継承したもの。画像は本願寺和田堀廟所にて撮影。


コロムビア・トップ。1922年5月6日 – 2004年6月7日、漫才師。
東京都台東区浅草出身。本名は下村泰。鳥屋二郎と組みコロンビア・トップ・ライトのコンビで風刺漫才を得意とした。青空一門の総帥として漫才協団を率いる。また、参議院議員として障害者福祉に取り組んだ。画像は目黒・東光寺にて。


西村晃。1923年1月25日 – 1997年4月15日、俳優、声優。
北海道札幌市生まれ。特攻隊員だったが、出撃直前に終戦を迎えている。テレビドラマでは『水戸黄門』で第14部から第21部まで長く徳川光圀役を演じた。代表出演作は「赤い殺意」「黒蜥蜴」など。家紋は三つ追い柏。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


岡本喜八。1924年2月17日 – 2005年2月19日、映画監督。
鳥取県米子市出身。本名は岡本喜八郎。代表作は『独立愚連隊西へ』『江分利満氏の優雅な生活』『肉弾』『大誘拐』等。すべてのカットをコンマ秒単位で決めた上で撮影に臨んだといわれる技巧派の監督。家紋は丸に三つ柏。画像は春秋苑にて撮影。


山口瞳。1926年11月3日 – 1995年8月30日、作家、エッセイスト。
東京市麻布区に生まれ育つ。母親は横須賀の柏木田遊郭の経営者。『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞。競馬や将棋、野球等に造詣が深く『草競馬流浪記』など関連作も多い。代表作は『血族』『家族』『草野球必勝法』など。家紋は丸に蔓柏紋。


青島幸男。1932年7月17日 – 2006年12月20日、作家、政治家。
東京市日本橋区堀留町の仕出し弁当店・弁菊の次男として出生。「スーダラ節」「明日があるさ」等の作詞者、「意地悪ばあさん」の主役俳優。「人間万事塞翁が丙午」で直木賞受賞。政治家としても参議院議員、東京都知事を務める。


引田天功。1934年7月3日 – 1979年12月31日、奇術師、催眠術師。
神奈川県横浜市出身。本名は疋田功。師匠は松旭斎天洋。声優の小桜有美、アイドルグループ少女隊のトモは娘。水中や爆発などの極限状態からの脱出マジックを得意とし「脱出王」の異名を取った。弟子にナポレオンズがいる。家紋は丸に三つ柏紋。


大鵬幸喜。1940年5月29日 – 、第48代横綱
樺太敷香郡敷香町出身。父親はウクライナ人のマルキャン・ボリシコ、母親は日本人の納谷キヨのハーフ。納谷は母の姓。優勝32回、6連覇2回、45連勝などを記録し昭和の大横綱と称される。家紋は納谷家の丸に三つ柏紋。秋田県能代市に先祖の墓がある。


尾上菊五郎(7代目)。1942年10月2日 – 、俳優、歌舞伎役者。
本名は寺島秀幸。屋号は音羽屋。妻は富司純子。長女は女優の寺島しのぶ、長男は歌舞伎俳優の五代目尾上菊之助。現代歌舞伎スターにして三之助の一人。人間国宝。家紋は重ね扇に抱き柏紋。画像は、雑司が谷墓地の五代目尾上菊五郎の墓所にて撮影。


桂三枝。1943年7月16日 -、落語家、タレント、司会者。
西川きよし笑福亭仁鶴と並ぶ吉本興業三巨頭の一人。「パンチDEデート」「クイズ!年の差なんて」「新婚さんいらっしゃい!」「三枝の国盗りゲーム」など多数の番組で司会をする。結三柏は桂文枝一門の定紋。画像は桂文枝碑の結三柏紋。


逸見政孝。1945年2月16日 – 1993年12月25日、司会者。
大阪府大阪市阿倍野区出身。長男は俳優の逸見太郎。『FNNニュースレポート6:00』『FNNスーパータイム』などのキャスター、『たけし・逸見の平成教育委員会』『夜も一生けんめい。』などの司会を務める。家紋は丸に違い柏紋。


中原誠。1947年9月2日 – 、将棋棋士。
鳥取県生まれだが生後1か月で転居した宮城県塩竈市を出身地とする。十六世名人・永世十段・永世棋聖・永世王位・名誉王座の5つの永世称号を保持。通算1308勝は大山康晴に次ぎ歴代2位。通算タイトル獲得数64期は歴代3位。画像は春秋苑の生前墓にて。


千代の富士貢。1955年6月1日 – 、第58代横綱
北海道松前郡福島町に漁師の息子として生まれた。本名は、秋元貢。数々の栄光を手にした史上有数・昭和最後の大横綱。史上最多の通算勝星・1045勝、幕内最高優勝:31回。年寄「九重」襲名して、九重部屋を継承。家紋は丸に三つ柏紋。


萩岡松韻(四代目)。1957年2月10日 -、箏曲家。
東京都出身。三世萩岡松韻の長男として生まれ5歳で初舞台を踏む。四代目萩岡松韻を継承。伝統文化ポーラ賞優秀賞受賞。現在は山田流箏曲萩岡派宗家。萩岡會会長。東京芸術大学教授。家紋は抱き柏紋。画像は谷中霊園の萩岡家の墓所にて撮影。


川島なお美。1960年11月10日 – 、女優、タレント。
愛知県守山市出身。本名・鎧塚なお美。旧姓は川島。「お笑いマンガ道場」のレギュラーとして活躍。主な出演作は「イグアナの娘」「失楽園」等。広島国際学院大学客員教授、日本ソムリエ協会名誉ソムリエワインの騎士称号を持つ。家紋は丸に一枚柏紋。


池田貴族。1963年5月8日 – 1999年12月25日、ミュージシャン。
愛知県名古屋市出身。本名は池田貴。ロックバンド・remoteのボーカリストとしてシングル「NO!」でデビュー。音楽活動以外にも霊感タレントとしても、テレビ等に出演。『池田貴族 戦慄の心霊写真集』『霊的告白』等の著書がある。家紋は三つ柏紋。


北勝海信芳。1963年6月22日 – 、第61代横綱
北海道広尾郡広尾町生まれ。本名は保志 信芳。九重部屋所属の元大相撲力士。通算成績:591勝286敗109休 勝率.674。幕内最高優勝: 8回。引退後は、年寄・八角 信芳として八角部屋(高砂一門)を創設。北勝力、隠岐の海等を育てる。家紋は三つ柏紋。


黒田慶樹。1965年4月17日 – 、今上天皇の女婿。
黒田慶次郎の長男として出生。東京都庁職員。学習院時代は秋篠宮文仁親王の学友、清子内親王とご結婚される。天皇の皇女の結婚相手としては皇族・華族出身者でない史上初の人物。画像は黒田家の家紋である「柏」をあしらったボンボニエール。

まさむね