茗荷紋 -謎の神・摩多羅神のシンボル- 三島由紀夫、水木しげる、北野武...

茗荷は摩多羅神という神のシンボルである。

それでは、この摩多羅神とはどういった神なのか?
最澄が唐から帰って来た時に、守護神としてついてきた神と言われている。

憤怒の神、性の神、食人の神などといろいろな説があるが、実はよくわかっていない。
ただ、不道徳と混沌の匂いがする事は確かだ。
それなのに、出雲大社、比叡山・延暦寺、日光東照宮など、名立たる日本の寺社で祭られている。

まったく不思議な存在である。
茗荷を食べると物忘れが激しくなるというが、日本人全部が、この茗荷のシンボル・摩多羅神のことを忘れてしまったということなのか。

茗荷を家紋にしている人々は心のどこかに忘れてしまった神、摩多羅神を宿しているのかもしれない。

全国では12位。岡山県と鹿児島県では5位、富山県、兵庫県では6位。一番少ない山梨県、山形県でも17位。

茗荷紋の有名人は以下。


堀尾吉晴。1544年 – 1611年7月26日、武将・大名。
尾張国上四郡の守護代・織田信安に仕えた堀尾泰晴の嫡男。豊臣政権三中老の一人。関ヶ原の戦いでは東軍に与し出雲富田24万石に加増移封された。出雲松江藩の初代藩主。松江城を建造した。家紋は抱き茗荷。墓には六つ目結紋、分銅紋がある。


山本常朝。1659年7月30日 – 1719年11月21日、佐賀藩士。
佐賀藩士・山本神右衛門重澄の次男として生まれる。通称・神右衛門。江戸時代の武士、『葉隠』の口述者として知られる。墓所は佐賀市の八戸龍雲寺。常朝近くの山本家の家紋が抱き茗荷紋だったため、暫定的に山本家の家紋も茗荷紋と判断。


桐野利秋。1838年12月 – 1877年9月24日、薩摩藩士。
鹿児島郡吉野村字実方で城下士の中村与右衛門の第三子として出生。小松帯刀ら藩の重臣から重用され、薩長両藩の親和のために奔走。明治六年の政変で西郷隆盛が下野するや辞表を提出して帰郷。西南戦争にて戦死。家紋は抱き茗荷に桔梗。


稲垣千頴。1845年 – 1913年2月9日、作詞家。
武蔵国の士族の家に出生。読みは、いながきちかい。東京師範学校教員の傍ら、手がけた訳詞・作詞には「ちょうちょ(2番)」「君が代(2番)」「蛍の光」「美しき」「見わたせば」等がある。家紋は大割り抱き茗荷紋。画像は谷中霊園にて撮影。


大浦兼武。1850年6月15日 – 1918年9月30日、武士、政治家。
薩摩藩主島津家の分家である宮之城島津家の家臣として生まれる。戊辰戦争では薩摩軍に所属し、奥羽方面に出征。桂内閣の農商務大臣、内務大臣、大隈内閣の農商務大臣・内務大臣を歴任。家紋は丸に抱き茗荷紋。画像は青山霊園にて撮影。


石本新六。1854年2月17日 – 1912年4月2日、陸軍軍人。
姫路藩士・石本勝左衛門為延の六男。日露戦争時に陸軍次官として寺内陸相を支えた。第2次西園寺公望内閣において薩長出身者以外では初めての陸軍大臣に就任。最終階級は陸軍中将。家紋は抱き茗荷紋。画像は天王寺墓地にて撮影。


三須宗太郎。1855年9月16日 – 1921年12月24日、海軍軍人。
彦根藩士三須熊次郎の長男として生まれた。日露戦争時は東郷平八郎率いる連合艦隊の一員として対馬沖にロシアのバルチック艦隊を迎え撃つ。「T字戦法」を敢行。軍令部次長。舞鶴鎮守府長官を経て海軍大将となる。画像は青山霊園にて撮影。


牧野富太郎。1862年5月22日 – 1957年1月18日、植物学者。
土佐国佐川村の裕福な商家にうまれる。命名は2500種以上、自らの新種発見も600種余りとされる。25歳で、津村順天堂の協力を得て、『植物研究雑誌』を創刊。誕生日は「植物学の日」に制定される。家紋は抱き茗荷紋。画像は天王寺墓地にて撮影。


伊藤左千夫。1864年9月18日 – 1913年7月30日、歌人、小説家。
上総国武射郡殿台村の農家出身。本名は幸次郎。正岡子規に師事。子規の没後、根岸短歌会系歌人をまとめ、短歌雑誌『アララギ』の中心となって斎藤茂吉、土屋文明等を育成。代表作は『野菊の墓』『隣の嫁』等。画像は亀戸・普門院にて撮影。


横川省三。1865年4月28日 – 1904年4月21日、新聞記者。
南部盛岡藩の出身。若い頃は自由民権運動に携わり、加波山事件により投獄された。朝日新聞の新聞記者として千島列島探検隊の特派員や日清戦争の従軍記者などを取材、報道した。家紋は抱き茗荷紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


町田経宇。1865年10月22日 – 1939年1月10日、陸軍軍人。
鹿児島県日置郡伊集院町出身。井尻仲左衛門の二男として生れ、領事町田実一の養嗣子となる。日露戦争では、第4軍参謀。歩兵第30旅団長、支那公使館付武官、参謀本部第2部長を歴任。最終階級は陸軍大将。家紋は抱き茗荷紋。画像は青山霊園にて。


岡田啓介。1868年2月13日 – 1952年10月17日、海軍人、政治家。
福井藩士・岡田喜藤太の長男。第31代内閣総理大臣時に二・二六事件で襲撃を受けるが、女中部屋の押入に隠れ難を免れた。直後、岡田内閣は総辞職した。最終階級は海軍大将。家紋は大割り抱き茗荷。多磨霊園の墓所にて撮影。


秋山真之。1868年4月12日 – 1918年2月4日、海軍軍人。
松山城下出身。父は旧松山藩下級武士の秋山久敬。日露戦争では連合艦隊司令長官東郷平八郎の下で作戦参謀として日本海海戦の勝利に貢献。最終階級は海軍中将。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の主人公として有名。家紋は抱き茗荷紋。


志賀潔。1871年2月7日 – 1957年1月25日、医学者・細菌学者。
仙台藩・陸前国宮城郡仙台に、仙台藩士の子として生まれた。姓は佐藤、幼名は直吉。母親の実家である志賀家の養子となり、名も潔と改めた。志賀家は、仙台藩の藩医をつとめる家柄。赤痢菌を発見。家紋は環に花茗荷紋。画像は仙台輪王寺にて撮影。


森田草平。1881年3月19日 – 1949年12月14日、作家・翻訳家。
岐阜県方県郡鷺山村出身。本名森田米松。夏目漱石の門下生の一人。私生活での不祥事が多かった。代表作は『吉良家の人々』『細川ガラシヤ夫人』。翻訳は『カラマゾフ兄弟』『アンナ・カレニナ』等。家紋は抱き茗荷。画像は多磨霊園にて撮影。


倉橋惣三。1882年12月28日 – 1955年4月21日、児童心理学者。
静岡県鷹匠町出身。小学校以降は東京で育つ。形式化した明治以来のフレーベル主義を改革、幼児教育の発展に尽くした。戦後、教育刷新委員会委員を経て、保育学会を創設した。家紋は丸に三つ並び茗荷紋。画像は多磨霊園にて撮影。


松村謙三。1883年1月24日 – 1971年8月21日、政治家。
富山県福光町出身。幣原内閣の農相として農地改革を提案推進したが、この時、松村自身の土地もこの時没収されている。環日本海における産業発展の観点から日中友好、日中国交回復に尽力。タレントのクリス松村は孫。画像は護国寺の墓所にて撮影。


中里介山。1885年4月4日 – 1944年4月28日、小説家。
神奈川県西多摩郡羽村に精米業者の次男として生まれる。本名は、中里 弥之助。小説『大菩薩峠』は、『都新聞』『大阪毎日新聞』、『東京日日新聞』、『隣人之友』、『国民新聞』、『讀賣新聞』と連載された介山の代表作である。丸に抱き茗荷紋。


本間雅晴。1887年11月27日 – 1946年4月3日、陸軍軍人。
新潟県佐渡島出身。太平洋戦争においてフィリピン攻略時、司令官として第14軍を指揮した。バターンでは米比軍の頑強な攻撃を受け多数の死者を出し作戦に失敗する。最終階級は陸軍中将。マニラ軍事裁判において法務死。画像は春秋苑にて撮影。


村山槐多。1896年9月15日 – 1919年2月20日、洋画家。
横浜市出身。小学校教師村山谷助の長男。デカダン的な生活により22歳の若さで夭折。代表作「乞食と女」(絵画)、「槐多の歌へる」(詩集)等。『開運!なんでも鑑定団』では3,000万円の評価額が付けられた。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


小栗虫太郎。1901年3月14日 – 1946年2月10日、推理作家。
東京都千代田区外神田出身。本名は小栗栄次郎。極端な衒学趣味的作風で有名。代表作『完全犯罪』『黒死館殺人事件』(推理小説の三大奇書の一つ)等。家紋は丸に抱き茗荷紋。画像は白山の源覚寺の小栗家の墓所にて撮影。


保利茂。1901年12月20日 – 1979年3月4日、政治家。
生家は佐賀県東松浦郡鬼塚村の零細農家。佐藤政権において田中角栄・福田赳夫と並ぶ三本柱として内閣官房長官、自民党幹事長を務めた。三木武夫内閣当時「三木おろし」を画策。現自民党衆議院議員の保利耕輔は息子。画像は春秋苑にて撮影。


中田俊一。1902年 – 1968年10月9日、実業家。
島根県鹿足郡出身。 中屋万年筆を岡山で創業。その後、東京上野に拠点を移しプラチナ万年筆に改名。カタログを使った通信販売で成功を収めた。プラチナをペン先に用いた万年筆は人気商品。家紋は丸に抱き茗荷紋。画像は寛永寺第一霊園にて撮影。


水谷八重子(初代)。1905年8月1日 – 1979年10月1日、女優。
東京牛込区神楽坂に時計店の娘として出生。芸術座の舞台に端役で出演。後に、新派劇と新劇の融合を目指した演劇の上演で注目された。「日本芸術院賞」「紫綬褒章」「文化功労者」などを受賞。家紋は一つ茗荷巴。画像は本願寺和田堀廟所にて撮影。


原民喜。1905年11月15日 – 1951年3月13日、小説家、詩人。
広島県広島市幟町出身。父は陸海軍・官庁用達の縫製業を営む。「夏の花」が、第一回水上滝太郎賞を受賞。徹底して人間の苦しみに連帯し、死者の嘆きに貫かれて祈り描いた「鎮魂歌」など一連の作品を残す。画像は、文学者掃苔録図書館より。


稲垣浩。1905年12月30日 – 1980年5月21日、映画監督。
東京本郷区出身。芝居小屋の俳優の息子。山中貞雄らとシナリオ執筆集団「鳴滝組」を結成。三船敏郎主演の『無法松の一生』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。代表作は『宮本武蔵』『風林火山』。画像は谷中霊園にて撮影。


今井堅。1908年10月17日 – 1997年12月3日、実業家。
東京都出身。1945年に「明々社」を創業。後に少年画報社と改名。「黄金バット」をヒットさせる。後に「週刊少年キング」を創刊。『サイボーグ009』『ワイルド7』『銀河鉄道999』等のヒット作を連載する。画像は谷中・了ごん寺墓地にて撮影。


原ひさ子。1909年8月6日 – 2005年12月4日、俳優。
静岡県静岡市葵区出身の女優。本名は石島久。名脇役として長年活躍し芸団協芸能功労者賞を受賞。代表出演作は「人情紙風船」「わが青春に悔なし」「黒い雨」等。家紋は抱き茗荷紋。画像は金嶺寺の墓所にて撮影。


小沢不二夫。1912年6月13日 – 1966年5月15日、脚本家、作詞家。
東京都出身。本名は小澤不二雄。戦前は大都映画でチャンバラ映画の脚本を量産。「日本演劇協会」設立に参加。同協会の理事となる。美空ひばりの大ヒット曲『リンゴ追分』の作詞者として知られる。画像は池袋・祥雲寺にて撮影。


石田波郷。1913年3月18日 – 1969年11月21日、俳人。
愛媛県温泉郡垣生村出身。本名は石田哲大(てつお)。秋桜子主宰の『馬酔木』に投句を始める。代表句集『鶴の眼』。韻文精神に立脚した人間諷詠の道を辿り中村草田男、加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれた。家紋は五瓜に抱き茗荷紋。


升田幸三。1918年3月21日 – 1991年4月5日、将棋棋士。
広島県双三郡三良坂町出身。実力制第4代名人。三冠独占などの輝かしい戦績は勿論のこと独創的な指し手、キャラクター、数々の逸話は将棋界の歴史を語る上で欠かすことができない。「将棋は創作だ」等の名言がある。画像は烏山・常栄寺にて撮影。


水木しげる。1922年3月8日 – 、漫画家。
鳥取県境港市出身。本名は武良茂。世界妖怪協会会長。妖怪漫画の第一人者として活躍。代表作は『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』等。家紋は隅立角に抱き茗荷紋。画像は調布市の覚證寺の生前墓にて撮影。


田中六助。1923年1月23日 – 1985年1月31日、政治家。
福岡県田川郡上野村に布団屋の三男。侠客めいた気性で知られる典型的な「川筋者」として育ったという。鈴木内閣成立の裏の立役者。自民党政務調査会長、通商産業大臣、自民党幹事長を歴任。家紋は丸に抱き茗荷紋。画像は春秋苑にて撮影。


鏡里喜代治。1923年4月30日 – 2004年2月29日、第42代横綱
青森県三戸郡斗川村出身。本名は奥山喜世治。時津風部屋所属。幕内成績:360勝163敗28休 勝率.688。幕内最高優勝は4回。引退後は立田川部屋を興し独立した。元力士にしてはかなりの長寿で80歳まで生きた。家紋は丸に抱き茗荷紋。


鶴田浩二。1924年12月6日 – 1987年6月16日、俳優、歌手。
静岡県浜松市出身。本名は小野榮一。昭和を代表する映画スターとして数多くの映画やドラマに主演。代表出演作『人生劇場 飛車角』『人生劇場シリーズ』『博徒シリーズ』等。代表ヒット曲『傷だらけの人生』『同期の桜』。画像は鎌倉霊園にて撮影。


三島由紀夫。1925年1月14日 – 1970年11月25日、小説家。
東京市四谷区出身。本名は平岡公威。代表作は、『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『豊饒の海』など。楯の会会長として自衛隊にクーデターを促すが、失敗し、割腹自殺(三島事件)。家紋は丸に抱き茗荷紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


向田邦子。1929年11月28日 – 1981年8月22日、脚本家、小説家。
東京府荏原郡世田ヶ谷町若林生まれ。父親が転勤族であるため日本各地で育つ。代表作は、ドラマ脚本では『時間ですよ』『阿修羅のごとく』、小説では『あ・うん』『だいこんの花』等。家紋は丸に抱き茗荷紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


實吉達郎。1929年11月29日 – 、動物学者・作家。
広島県呉市出身。読みは、さねよしたつお。祖父は、子爵の實吉安純。数多くのテレビ番組に出演。未確認動物「UMA」の命名者として知られる。シャーロック・ホームズの研究家でもある。家紋は抱き茗荷紋。青山霊園の祖父の實吉安純の墓所にて撮影。


海老一染太郎。1932年2月1日 – 2002年2月2日、曲芸師。
東京都新宿区出身。本名:村井 正秀。落語家の三遊亭圓駒を父に持つ。和傘の上で毬を回す芸が有名。実の弟・染之助とコンビを組み、正月のテレビ番組には欠かせない存在となっていた。家紋は丸に抱き茗荷紋。画像は、新宿区の常敬寺の墓所にて撮影。


太刀川恒夫。1937年2月12日 -、実業家、フィクサー。
戦後日本の黒幕・児玉誉士夫の元秘書。ロッキード事件の際に、殖産住宅の東郷民安会長を辞任に追い込んだ疑いで逮捕されている。現在は東京スポーツ新聞社会長となっている。家紋は丸に抱き茗荷紋。画像は池上本門寺の太刀川家墓所にて撮影。


平尾昌晃。1937年12月24日 – 、作曲家、歌手。
東京都牛込生まれ。「ロカビリー三人男」として大人気を博す。代表曲は「ミヨちゃん」「カナダからの手紙」など。また「うそ」「瀬戸の花嫁」などを作曲。家紋は三つ追い蔓茗荷紋。画像は谷中霊園の曽祖父・平尾賛平の墓所にて撮影。


角川春樹。1942年1月8日 – 、実業家、プロデューサー。
富山県中新川郡水橋町に生まれる。父は角川書店創業者の角川源義(画像は源義の墓所)。角川家は富裕な米穀問屋。いわゆる角川映画で一世を風靡。メディアミックスによるエンターテイメント中心の文庫戦略は文庫本のあり方に変革をもたらす。


山口二矢。1943年2月22日 – 1960年11月2日、右翼活動家。
東京都生まれ。東北帝国大学出身で陸上自衛官の厳格な父を持つ。16歳で赤尾敏率いる大日本愛国党に入党し玉川学園高等部を退学。日本社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺、その後自殺した。家紋は丸に抱き茗荷紋。梅窓院の墓所にて撮影。


うつみ宮土理。1943年10月1日 -、タレント、女優。
東京都世田谷区出身、本名:内海三重子。愛称は「ケロンパ」。代表出演ドラマ「おくさまは18歳」「なんたって18歳!」。夫は、「キンキン」こと愛川欽也。出演バラエティ「ロンパールーム」「さんまのSUPERからくりTV」「情報ライブ ミヤネ屋」等。


玉の海正洋。1944年2月5日 – 1971年10月11日、第51代横綱
愛知県宝飯郡蒲郡町出身。名善竹→谷口→竹内→谷口正夫。幕内優勝6回、幕内戦歴 469勝221敗。全勝優勝を飾った1971年7月場所前後に虫垂炎に罹患。併発した急性冠不全で死亡。家紋は丸に抱き茗荷紋。墓所は蒲郡市の天桂院。


大杉勝男。1945年3月5日 – 1992年4月30日、プロ野球選手。
岡山県勝田郡奈義町出身。「月に向かって打て」のエピソードで有名な飯島滋弥コーチの指導のもと練習を重ねる。2年連続本塁打王、2度の打点王。前人未踏の両リーグ1000本安打を達成。1997年に野球殿堂入りした。画像は鎌倉霊園にて撮影。


北野武。1947年1月18日 – 、お笑いタレント、映画監督。
東京都足立区島根町にてペンキ職人の四男として出生。「ツービート」でブレイク。「平成教育委員会」「TVタックル」等主演番組多数。映画監督としては『HANA-BI』でベネチア国際映画祭金獅子賞受賞。画像は北野家の菩提寺・蓮昌寺にて撮影。


西郷輝彦。1947年2月5日 – 、歌謡歌手、俳優。
鹿児島県鹿児島郡谷山町出身。橋幸夫・舟木一夫と共に、「御三家」と呼ばれた。代表ヒット曲は『星のフラメンコ』等多数。代表出演ドラマ『どてらい男』等。家紋は抱き茗荷紋。木宮神社境内茶屋の結婚式の紋付姿の写真より抱き茗荷紋と判断。


旭富士正也。1960年7月6日 – 、第63代横綱
青森県西津軽郡木造町出身で大島部屋所属。本名は杉野森正也。近畿大学中退後、青森に戻り漁業に従事していたが、大島部屋に入門。通算成績:575勝324敗35休 勝率.640、幕内最高優勝:4回。現在は、年寄・9代伊勢ヶ濱親方。日馬富士、安美錦の親方。


日馬富士公平。1984年4月14日 – 、大相撲力士。
モンゴル国ウランバートル市出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属。本名:ダワーニャム ビャンバドルジ。2009年1月場所から大関として活躍。幕内最軽量の力士。最高位は東大関。尊敬している力士は初代貴ノ花。家紋は親方と同じ丸に茗荷紋。

まさむね



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