桔梗紋 -反骨と悲劇の紋- 明智光秀、坂本龍馬、柳田国男...

桔梗紋は反骨と悲劇の紋である。
元々は、清和源氏流土岐氏の使用紋であった。
一族の明智光秀は、主君の織田信長を襲撃した本能寺の変の後、豊臣秀吉との山崎の合戦に破れ、最期は土民の竹槍にさされて死んだ。
水色の桔梗紋は、明智の印として、栄光の目印から一気に、反逆の、そして悲劇のイメージを帯びるようになった。
時が経ち、その水色の桔梗紋をシンボルマークとして、急成長するも、最終的に倒産してしまった会社が現れる。
英会話のNOVAである。
NOVAは英会話産業というニッチな市場を、「駅前留学」というコンセプトで開拓。時代の寵児ともてはやされた。
しかし、その急成長の影で会員との間で様々なトラブルが発生していたのだ。
それが元で悪評判が広まり、一方で社内の不正も発覚。急速に収益が悪化、一気に倒産してしまった。
その後、名古屋市の学習塾経営会社、ジー・コミュニケーションが事業引継を行うのだが、NOVAから桔梗のマークは消えた。
桔梗紋の全国分布では、鹿児島が3位、和歌山が6位、本家の岐阜では7位である。
桔梗紋の有名人は以下。


土岐光衡。1159年 – 1206年5月4日、武将。
美濃源氏嫡流。実質的な土岐氏の祖。治承・寿永の乱で討死した源光長の子であるが、伯父光基の養子となり土岐氏の嫡惣を継承した。平家滅亡後は鎌倉幕府の御家人となった。水色桔梗紋はこの光衡の代から使用しはじめたと言われている。


太田道灌。1432年 – 1486年8月25日、武将。武蔵国守護代。
家系は清和源氏の一家系である摂津源氏の流れを汲み、源頼政の末子で鎌倉幕府門葉となった源広綱の子孫にあたる太田氏。扇谷上杉家家宰として活躍。江戸城を築城。最期は暗殺死。家紋は丸に細桔梗。画像は、道灌ゆかりの谷中・本行寺の賽銭箱。


明智光秀。1528年 – 1582年7月2日、武将。
明智氏の本姓は源氏。美濃源氏の流れを汲む土岐氏の支流。家系は清和源氏の一家系で摂津源氏の傍流。信長の家臣として功を重ね、織田大名の総合指揮権を与えられた。本能寺の変で信長を倒すが山崎の合戦で秀吉に破れ最期は土民の竹槍に突かれて死す。


山県昌景。1529年 – 1575年6月29日、武将。
飯富虎昌の弟。旧名は飯富源四郎。武田信玄の近習として仕える。三方ヶ原の戦いにおいて徳川家康本陣に突進し武田軍の背後を狙ったはずの家康軍を返り討ちにした。長篠の戦いでは撤退を進言したが容れられず体中に銃弾を浴びて戦死。


加藤清正。1562年 – 1611年、武将・大名。
尾張国愛知郡中村に鍛冶屋の子として出生。豊臣秀吉に仕え各地を転戦し、秀吉の死後も豊臣家に忠義を尽くした。関が原戦いでは東軍につき活躍。戦後、肥後一国を与えられた。家紋は桔梗と蛇の目を使用。写真は池上本門寺の供養塔で撮影。


山県大弐。1725年 – 1767年9月14日、儒学者、思想家。
甲斐国篠原村に生まれる。野沢氏の出自。名は昌貞。字は子恒。甲斐国山梨郡下河辺山王神社の宮司となり、尊皇攘夷の思想を説く。明和事件で処刑された。主著は『柳子新論』。家紋は桔梗紋であるが新宿・全勝寺の墓所には奥方斎藤家の撫子紋がある。


調所広郷。1776年3月24日 – 1849年1月13日、薩摩藩の家老。
城下士・川崎主右衛門基明(兼高)の息子として生まれ、調所清悦の養子となる。本姓は藤原氏を。薩摩藩の財政は500万両にも及ぶ膨大な借金を強引な行政改革、農政改革、財政改革等で乗り切る。家紋は丸に桔梗紋。青山霊園の調所家の墓所にて撮影。


斎藤弥九郎。1798年2月28日 – 1871年11月14日、剣術家。
越中国射水郡仏生寺村の生まれ。斎藤家は加賀国守護冨樫氏の末裔と伝えられる。幕末江戸三大道場の一つ神道無念流の「練兵館」創立者。門下生には桂小五郎、高杉晋作・品川弥二郎・井上馨・伊藤博文らがいる。家紋は隅立て菱角に細桔梗紋。


大村益次郎。1824年5月30日 – 1869年12月7日、医師、兵学者。
周防国吉敷郡鋳銭司村字大村に村医の村田孝益の息子として生れる。長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となる。事実上の日本陸軍の創始者。靖国神社の境内に銅像が建つ。NHK大河ドラマ「花神」(原作:司馬遼太郎)の主人公。


田辺太一。1831年10月21日 – 1915年9月16日、幕臣・外交官。
儒学者で幕臣の田辺誨輔(石庵)の次男として生まれる。幕臣時代はパリ万国博覧会に出展した幕府の派遣使節、維新後は、岩倉遣欧使節に一等書記官として随行。外務官僚ととして活躍。家紋は丸に桔梗紋。青山霊園の墓所にて撮影。


坂本龍馬。1836年1月3日 – 1867年12月10日、政治家・実業家。
清和源氏の一支族美濃源氏土岐氏の庶家、明智左馬助秀満の末裔を称する。土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成、薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力する。龍馬の桔梗紋は、「組合角に桔梗紋」。


山岡鉄舟。1836年7月23日 – 1888年7月19日、武士・幕臣。
江戸本所に御蔵奉行・小野朝右衛門高福の四男として出生。江戸無血開城を決した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち西郷と会談。その行動力は西郷をして賞賛させた。維新後は明治天皇の教育係も務める。家紋は丸に桔梗紋。画像は谷中・全生庵にて撮影。


桐野利秋。1838年12月 – 1877年9月24日、薩摩藩士。
鹿児島郡吉野村字実方で城下士の中村与右衛門の第三子として出生。小松帯刀ら藩の重臣から重用され薩長両藩親和のために奔走。明治六年の政変で西郷隆盛が下野するや辞表を提出し西南戦争に参戦、戦死。家紋は抱き茗荷に桔梗。


月岡芳年。1839年4月30日 – 1892年6月9日、浮世絵師。
武蔵国豊島郡新橋南大阪町出身。姓は吉岡、後に月岡。歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がける。また衝撃的な無惨絵の描き手としても知られる。家紋は丸に桔梗紋と丸に竹笹紋。画像は新宿・専福寺にて撮影。


長岡安平。1842年 – 1925年、造園家、作庭家。
肥前大村の藩士として大村城下に出生。郷土の先輩である楠本正隆に従って上京。楠本が東京府知事に就任後、東京府立公園や街路並木の改良新設を行い「飛鳥山公園」「浅草公園」「向島百花園」の改修に関わる。家紋は清明桔梗紋。青山霊園にて撮影。


瓜生寅。1842年1月15日 – 1913年2月23日、官僚、実業家。
父は福井藩士。遠祖の瓜生姓を名乗る。幕府の英語学校教授となる。兵庫日本米穀輸出会社顧問を経て、外国船積立業瓜生商会を設立。著作は、貨幣、地質学、測量、地理、家政学など多方面にわたる。 家紋は桔梗紋。画像は青山霊園にて撮影。


矢野二郎。1845年1月15日 – 1906年6月17日、武士、教育者。
江戸出身。本姓は富永。外国方訳官となる。維新後、外務省にはいり駐米代理公使となる。のち森有礼創設の商法講習所所長、改称後の高等商業(現一橋大)の校長をつとめ、商業教育の基礎をきずいた。家紋は丸に細桔梗紋。画像は青山霊園にて撮影。


川上操六。1848年12月6日 – 1899年5月11日、陸軍軍人、華族。
薩摩藩士・川上伝左衛門親徳の三男。陸軍の重鎮として軍の近代化を推し進める。桂太郎、児玉源太郎とともに明治陸軍の三羽烏とされる。最終階級は陸軍大将。家紋は丸に桔梗紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


長谷川好道。1850年10月1日 – 1924年1月27日、陸軍軍人。
長州藩支藩岩国藩士・長谷川藤次郎の子として生まれる。戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍し武功を上げる。朝鮮総督時代には三・一独立運動を弾圧し3年で斎藤実に交替する。最終階級は陸軍大将。家紋は桔梗紋。青山霊園の墓所にて撮影。


松室致。1852年1月22日 – 1931年2月16日、政治家、教育者。
小倉藩藩士の長男。読みは、まつむろいたす。桂内閣で司法大臣となり司法界の粛清を行う。後に貴族院議員、枢密顧問官を歴任。治安維持法への死刑・無期懲役追加に反対した。法政大学の学長を長く務めた。家紋は丸に桔梗紋。画像は青山霊園にて。


元田肇。1858年2月28日 – 1938年10月1日、政治家。
豊後国国東郡来浦に医師・猪俣栄造の子として出生。杵築藩の藩儒・元田直の養子となる。第25代衆議院議長、逓信大臣、鉄道大臣を歴任。74歳にして政党出身者ではじめて枢密顧問官に親任される。家紋は丸に桔梗紋。画像は青山霊園にて撮影。


坂本嘉治馬。1866年4月25日 – 1938年8月23日、実業家。
土佐国(高知県)で生まれる。明治、大正期を代表する出版社、冨山房を神田神保町に設立した。吉田東伍の「大日本地名辞書」、上田萬年、松井簡治「大日本国語辞典」を刊行。家紋は丸に桔梗紋。画像は文京区吉祥寺の墓所にて撮影。


川上眉山。1869年4月16日- 1908年6月15日、小説家。
大阪生まれ。本名・亮。別号、煙波山人。帝国大学文科大学在学中から創作をし、「墨染桜」で注目される。「書記官」、随筆「ふところ日記」などが代表作。39歳という若さで自殺。家紋は丸に桔梗。画像は文京区吉祥寺の墓所にて撮影。


東儀鉄笛。1869年7月24日 – 1925年2月14日、雅楽家・作曲家。
1300年続く雅楽の家柄に生まれ宮内庁雅楽寮に勤める。同じ姓でも、江戸幕府に仕えた楽師の末裔・雅楽演奏家・東儀秀樹とは別家系。早稲田大学校歌「都の西北」の作曲者。家紋は丸に剣桔梗紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


柳田国男。1875年7月31日 – 1962年8月8日、民俗学者。
兵庫県神東郡出身。儒者・松岡操の六男。柳田家の養嗣子となる。養父・直平は大審院判事。農商務省のエリート官僚という立場で日本民俗学を確立。代表作は『遠野物語』『山の人生』等。家紋は大の字桔梗。画像は春秋苑にて撮影。


金光庸夫。1877年3月13日 – 1955年3月5日、実業家、政治家。
大分県生まれ。大正生命保険(現・PGFL)創設。阿部内閣で拓務大臣として初入閣。第2次近衛内閣で厚生大臣となる。大政翼賛会顧問、同調査会長、翼賛政治会政務調査会長、大日本政治会総務会長などを務める。家紋は丸に桔梗紋。画像は多磨霊園にて撮影。


上田貞次郎。1879年5月12日 – 1940年5月8日、経済学者。
東京都麻布出身。読みは、うえだていじろう。祖父の代まで町人であったが父の代から士族となる。東京商科大学(現一橋大学)学長。東亜経済研究所(現・一橋大学経済研究所)を設立し初代所長に就任。家紋は桔梗紋。画像は多磨霊園にて。


正宗白鳥。1879年3月3日 – 1962年10月28日、劇作家、小説家。
岡山県和気郡穂浪村に生まれる。江戸時代の正宗家は代々網元であり、高祖父の雅明の代までは材木商も営んだ財産家であった。本名は正宗忠夫。自然主義文学に新分野を開き注目された。代表作は『何処へ』『人間嫌ひ』『銀座風景』等。家紋は桔梗紋。


嶋田繁太郎。1883年9月24日 – 1976年6月7日、海軍軍人。
旧幕臣・神官、嶋田命周の長男として生まれる。1915年海軍大学校13期卒。東條内閣にて海軍大臣となり、対米開戦を容認した。最終階級は海軍大将。終戦後にA級戦犯に指名されるが仮釈放後赦免される。画像は、巣鴨・盛雲寺にて撮影。


砂田重政。1884年9月15日 – 1957年12月27日、政治家。
愛媛県生まれ。1920年に立憲国民党から衆議院議員に初当選。第2次鳩山内閣にて防衛庁長官として入閣。保守合同後は自由民主党で総務会長を務める。千鳥ケ淵戦没者墓苑の建設に熱心に取り組む。家紋は桔梗紋と蛇の目紋。画像は小平霊園にて撮影。


飛田穂洲。1886年12月1日 – 1965年1月26日、学生野球指導者。
茨城県東茨城郡大場村出身。本名は飛田忠順。日本の学生野球の発展に多大な貢献をし、学生野球の父と呼ばれる。報知新聞の記者を経て、東京六大学野球連盟理事・公式記録員、早稲田大学野球部顧問として学生野球の普及・発展に尽力した。


子母澤寛。1892年2月1日 – 1968年7月19日、小説家。
北海道厚田郡厚田村出身。本名は梅谷松太郎。祖父十次郎は江戸の御家人で箱館戦争に敗れてそのまま北海道に定住。代表作の『勝海舟』は大河ドラマ『勝海舟』原作となる。随筆に『座頭市』の原作『ふところ手帖』がある。画像は春秋苑にて撮影。


桂文楽(8代目)。1892年11月3日 – 1971年12月12日、落語家。
青森県五所川原町出身。本名は並河益義。並河家は常陸宍戸藩主松平家の家来筋。自宅の住居表示以前の町名から「黒門町」と呼ばれた。戦後最高の落語名人のひとりといわれた。得意ネタは「穴どろ 」「心眼 」「酢豆腐 」等。家紋は三ツ割桔梗。


野呂栄太郎。1900年4月30日 – 1934年2月19日、経済学者。
北海道長沼町出身。戦前の日本共産党の理論的指導者であると共に党幹部として実践活動にも関わった。スパイの手引きで検挙され、品川警察署での拷問により病状が悪化し、絶命。主著は『日本資本主義発達史』。画像は青山・長谷寺にて撮影。


音丸。1906年12月8日 – 1976年1月18日、歌手。
本名は永井満津子。東京市麻布箪笥町生まれ。当時前座を勤めていた美空ひばりがバス事故にあった際の座長もつとめていた。代表作は「船頭可愛や」「下田夜曲」「博多夜船」等。家紋は丸に桔梗紋。墓は東京都品川区にある天妙国寺。


加藤治子。1922年11月24日 – 、女優。
東京都赤坂区に呉服問屋の娘として出生。本名は滝浪治子。新演劇研究会に入団。後に高橋昌也、岸田今日子らと劇団雲の創立に参加。代表出演作『花つみ日記』『恭々しき娼婦』『阿修羅のごとく』等。画像は元夫の加藤道夫(死別)の墓所にて撮影。


岡村昭彦。1929年1月1日 – 1985年3月24日、ジャーナリスト。
大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の長男として東京に生まれる。三池闘争、部落解放同盟に参加しオルグ活動を行う。ジャーナリストとしてはベトナム戦争の報道写真、ビアフラ内戦の取材などで知られる。家紋は丸に桔梗紋。画像は文京区吉祥寺にて撮影。


山川方夫。1930年2月25日 – 1965年2月20日、作家。
東京市下谷区上野桜木町に、日本画家山川秀峰の長男として出生。本名は山川嘉巳。第3次『三田文学』を創刊。新人発掘に力を注ぎ曾野綾子、江藤淳を発掘。代表作は『演技の果て』『海の告発』。突然の交通事故で死亡。家紋は蛇の目に桔梗紋。


熊井啓。1930年6月1日 – 2007年5月23日、映画監督。
長野県南安曇郡豊科町に、地主の父、元教師の母の息子として生まれる。『帝銀事件 死刑囚』で監督デビュー。『忍ぶ川』でキネマ旬報ベストワン及び監督賞、芸術選奨などを受賞。代表作『黒部の太陽』『サンダカン八番娼館 望郷』等。家紋は丸に桔梗紋。


小池朝雄。1931年3月18日 – 1985年3月23日、俳優、声優。
東京都出身。オーバーアクションの怪優として映画、テレビに脇役として数多く出演。東映ヤクザ映画で印象を残す。『刑事コロンボ』の吹き替え、『あしたのジョー』のエンディング・テーマ『ジョーの子守唄』での歌手として知られている。


山田康雄。1932年9月10日 – 1995年3月19日、声優、司会者。
代々役人の家系で父は日本銀行勤務であった。劇団民藝、テアトルエコーなどの劇団を渡り歩くが海外テレビドラマ『ローハイド』の吹き替えでロディ役に抜擢される。一般には「ルパン三世の山田康雄」として著名。画像は多磨霊園にて撮影。


三遊亭円楽(5代)。1932年12月29日 – 2009年10月29日、落語家。
東京府東京市浅草区出身。本名は吉河寛海。若い頃は「星の王子さま」の愛称で親しまれ、立川談志、古今亭志ん朝、橘家圓蔵と並んで「四天王」と呼ばれた。また、長年、『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバー・司会者を務めていたことでも知られる。


大辻伺郎。1935年4月3日 – 1973年5月21日、俳優。
東京都出身。本名は大辻寿雄。父は弁士で漫談家の大辻司郎。様々な役柄を演じ分け怪優と呼ばれた。代表出演作『ハレンチ学園』『時間ですよ』等。第1回ベストドレッサー賞(芸能部門)を受賞した翌年、首吊り自殺。画像は多磨霊園にて撮影。


村松友視。1940年4月10日 – 、作家、エッセイスト。
東京都出身。静岡県清水市で育つ。中央公論社の編集者として武田泰淳、色川武大、野坂昭如等を担当。『私、プロレスの味方です』がベストセラーとなる。『時代屋の女房』で直木賞を受賞。画像は鎌倉・覚園寺、祖父・村松梢風の墓所にて撮影。


山本小鉄。1941年10月30日 – 2010年8月28日、プロレスラー。
神奈川県横浜市南区出身。本名は山本勝。新日本プロレス所属。現役時代は星野勘太郎と「ヤマハ・ブラザーズ」のタッグチームを組み名を上げた。引退後は、解説者・レフェリー、マッチメーカーとして活躍。家紋は丸に桔梗紋。葬儀時の写真より判断。


逆鉾伸重。1961年6月18日 – 、元大相撲力士、親方。
鹿児島県姶良郡加治木町出身。鶴ヶ嶺の次男。本名は、福薗好昭。最高位は関脇。「相撲巧者」と言われ技能賞の常連となる。井筒3兄弟は、長兄が鶴嶺山、次男が逆鉾、三男が寺尾。現在は年寄・井筒を襲名し井筒部屋で後進の指導に当たる。


高田万由子。1971年1月5日 – 、女優・タレント。
東京都出身。夫は音楽家の葉加瀬太郎。フジテレビ系番組「たけし・逸見の平成教育委員会」に出演。高田家は明治時代に武器・機械商として財を成し「明治三大貿易商之一」とまでいわれた。画像は谷中霊園の高田慎蔵の墓所にて撮影。


SHOCK EYE。1976年12月14日 – 、レゲエミュージシャン。
神奈川県鎌倉市出身。血液型A型。本名:植村家浩。初代高取藩の藩主:植村氏の末裔。人気レゲエグループ「湘南乃風」のファッションリーダー。湘南乃風代表作品『カラス』『純恋歌』『黄金魂』等。家紋は丸に竜剣に一文字、別名「植村桔梗」。


氷川きよし。1977年9月6日 – 、演歌歌手。
福岡県福岡市南区出身。本名は、山田清志。『箱根八里の半次郎』でデビュー。2008年の紅白歌合戦ではトリを務めた。『大井追っかけ音次郎』『きよしのズンドコ節』等のヒット曲がある。家紋は桔梗紋。ハートフォード生命保険のポスター他より判断。


鶴竜力三郎。1985年8月10日 – 、大相撲力士。
モンゴル国ウランバートル市出身。大学教授一家の裕福な家庭に生まれる。井筒部屋所属。得意手は右四つ、下手投げ。2012年春場所で13勝2敗の好成績を上げ、直前3場所合計が33勝に達し大関に昇進。殊勲賞2回、技能賞7回。最高位は大関。


早乙女主水之介。元禄時代、旗本。
佐々木味津三原作の時代小説「旗本退屈男」の主人公。徳川将軍家の直参旗本で無役ながら1200石の大身。太平の元禄の世にあっては腕を振るう機会に恵まれず「退屈で仕方ない」が口癖。「天下御免の向う傷、パッ!」は名台詞。家紋は桔梗紋。

まさむね