木瓜紋 -この紋はキュウリ?鳥の巣?女陰?- 沖田総司、樋口一葉、森喜朗...

木瓜(もっこう)紋は不思議な紋である。
この紋の起源がよくわからないのだ。
代表的なものを上げてみると以下のようなものである。
1)キュウリの切断面を図案化したもの
2)鳥の巣を象ったもの
3)神社の御簾の帽額(モコウ)に使われた文様
4)女陰
いずれにしても、子孫繁栄や縁起のよいものにあやかろうという精神がこの紋の普及を促進したのであろう。
また、都道府県別でこの木瓜の割合が一番多いのは以下の県である。
(都道府県別姓氏家紋大辞典 千鹿野茂著より)
北海道、青森県、岩手県、栃木県、埼玉県、新潟県、富山県、和歌山県。
この中でも特に、富山では、他県に比べて著しい普及率(28%)を示している。
この地域は、戦国時代に朝倉氏が勢力を持っていて、この紋を広く門徒に使わせたためと言われている。
また、2位の地域は、秋田県、宮城県、福島県、石川県、福井県、鳥取県、島根県など。四国と南九州では比較的少ない。
有名人では以下の人々が使っている。

滝川一益。1525年 – 1586年10月21日、戦国時代の武将。
近江国甲賀の土豪・滝川資清の次男として出生。織田信長の家臣として伊勢長島攻め長篠の戦い石山合戦で功を上げる。上野と信濃の一部を与えられ関東管領を名乗ったという。領地よりも茶器を所望したと言われている。家紋は丸に立木瓜。


朝倉義景。1533年10月12日- 1573年9月16日、戦国大名。
越前の戦国大名で朝倉氏の第10代当主である朝倉孝景の長男として生まれる。信長と敵対したが、一乗谷城の戦いで敗れ自刃した。その際、往時は1万人余もの人口にて繁栄を誇った一乗谷の市街地は、灰燼に帰した。家紋は三つ盛木瓜。


塙保己一。1746年6月23日 – 1821年10月7日、国学者。
武州児玉郡保木野村出身。塙は師の雨富須賀一の本姓を用いたもので出自は荻野氏。『群書類従』『続群書類従』を編纂した。『史料』編纂の事業は現在も東京大学史料編纂所に引き継がれている。家紋は丸に木瓜。画像は四谷・愛染院にて撮影。


二宮尊徳。1787年9月4日 – 1856年11月17日、農政家・思想家。
相模国足柄上郡栢山村に百姓利右衛門の長男。日本の江戸時代後期に報徳思想を唱えて農村復興政策を指導。子供の頃草鞋を編んで金を稼ぎ寝る間も惜しんで読書をしたという。銅像が全国の小学校等に建てられた。画像は文京区・吉祥寺。


塩谷宕陰。1809年5月30日 – 1867年9月25日、儒学者。
江戸愛宕山下出身。昌平黌に入門。浜松藩(静岡県)藩主水野忠邦に仕える。水野忠邦が老中として天保改革を進めるに当たってその顧問となる。ペリー来航に際し「防禦策」などを草し建言した。家紋は丸に四方木瓜紋。画像は谷中霊園にて撮影。


堀田正睦。1810年8月30日 – 1864年4月26日、大名・老中首座。
佐倉藩第3代藩主堀田正時の次男として生まれる。幕府では寺社奉行や大坂城代などを務め老中となる。開国派として日米修好通商条約締結のために奔走。桜田門外の変後に謹慎処分となる。家紋は堀田木瓜。画像は品川・東海寺の堀田家の墓所にて撮影。


三輪田米山。1821年2月12日- 1908年11月3日、書家。
伊予国久米郡の日尾八幡神社神官三輪田清敏の長男に生まれる。また、明治天皇の侍候を務め書の訓導にあたった。義理の妹・三輪田眞佐子は三輪田女学校(現三輪田学園中学校・高等学校)の創立者。家紋は井桁に木瓜紋。青山霊園にて撮影。


伊東甲子太郎。1835年 – 1867年12月13日、武士。
常陸志筑藩士・鈴木専右衛門忠明の長男として出生。北辰一刀流剣術伊東道場に入門。見込まれて婿養子となり伊東大蔵と称した。藤堂平助の仲介で新選組に加盟。文学師範、のち御陵衛士盟主。油小路事件で暗殺される。家紋は庵木瓜紋。


徳大寺実則。1840年1月10日 – 1919年6月4日、公卿・官僚。
尊皇攘夷派の公卿として活躍。明治以降は天皇の側近(内大臣兼侍従長)として天皇が崩御するまで補佐。内閣総理大臣・西園寺公望は実弟。徳大寺家は清華家の家格を有する公家で笛を家業とした。家紋は木瓜花菱浮線綾。画像は多磨霊園にて撮影。


沖田総司。1842年夏の日 – 1868年7月19日、武士。
父は陸奥白河藩士の沖田勝次郎で長男。新選組隊士。副長助勤、一番隊組長、撃剣師範。本姓は藤原氏。池田屋事件で討幕派数人を切り伏せ活躍したものの直後に肺結核により喀血して倒れる。家紋は丸に横木瓜紋。画像は港区・専称寺にて撮影。


伊東祐亨。1843年6月9日 – 1914年1月16日、海軍軍人。
薩摩藩士伊東祐典の四男として鹿児島城下清水馬場町に生まれる。飫肥藩主伊東氏に連なる名門の出身。戊辰戦争では旧幕府海軍との戦いで活躍。維新後は海軍の発展に貢献。最高階級は海軍大将。軍人としての生涯を全う。家紋は庵木瓜紋。


田中光顕。1843年11月16日 – 1939年3月28日、官僚、政治家。
土佐藩の家老深尾家々臣・浜田金治の長男として土佐国高岡郡佐川村に出生。土佐勤皇党に参加。高杉晋作の弟子となって長州藩を頼る。後に帰藩し中岡慎太郎の陸援隊に幹部として参加。戊辰戦争で活躍。維新後は宮内大臣に就任。画像は護国寺にて撮影。


原口兼済。1847年4月2日 – 1919年6月18日、陸軍軍人、政治家。
森藩士・林寛吾の四男として生まれ同藩士・原口等の養子となる。西南戦争、日清戦争に出征。日露戦争では第13師団長として樺太作戦を遂行し樺太全土を占領。貴族院議員も務める。最終階級は陸軍中将。家紋は亀甲に木瓜紋。画像は青山霊園。


山脇正勝。1849年 – 1905年5月6日、新選組隊士。
桑名藩士山脇十左衛門の子。変名、大河内太郎。鳥羽伏見の戦いに敗走し函館で土方歳三配下の新選組に入隊。箱館戦争に参戦。維新後は三菱入社。長崎造船所初代所長を務める。バーバラ寺岡は子孫。家紋は横木瓜紋。画像は染井霊園にて撮影。


真鍋斌。1851年3月7日 – 1918年12月14日、陸軍軍人、政治家。
長州藩中士・真鍋安信の長男として出生。陸軍少将まで昇進したが馬蹄銀事件のために休職。後に男爵を叙爵し華族となり貴族院議員、陸軍参政官を務める。最終階級は陸軍中将。家紋は三つ組み合い木瓜紋。青山霊園にて撮影。


中上川彦次郎。1854年10月4日 – 1901年10月7日、実業家。
中津藩士・中上川才蔵の長男。福澤諭吉の甥(母・婉が諭吉の姉)にあたる。三女はタレント・参議院議員の藤原あき。三井財閥の工業化と不良債権処理を推進し「三井中興の祖」として高く評価されている。家紋は割り菱に鐶木瓜紋。青山霊園にて撮影。


片山潜。1859年12月26日 – 1933年11月5日、社会運動家。
美作国粂郡羽出木村の庄屋藪木家の次男。『労働世界』を創刊し主筆を務め日本で最初の労働組合・労働組合期成会の設立に大きな役割を果たす。また、幸徳秋水らと共に日本で最初の社会主義政党・社会民主党の結成に加わった。青山霊園にて撮影。


服部金太郎。1860年10月9日 – 1934年3月1日、実業家。
江戸の京橋采女町の貧困な夜店商人の家に出生。独立して服部時計店を開業し、銀座4丁目に進出。外国製品に比肩しうる精巧品の製造に成功し、セイコー(SEIKO)に育てた。家紋は丸に横木瓜紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


豊田佐吉。1867年3月19日 – 1930年10月30日、実業家、発明家。
遠江国山口村の貧しい農家に生まれた。父は大工だった。「豊田式木製人力織機」、「豊田式汽力織機」などを次々と発明。後に、豊田商会を設立し、今日、日本の代表企業・トヨタグループの礎を築く。家紋は丸に横木瓜。


伊東忠太。1867年11月21日 – 1954年4月7日、建築家、建築史家。
山形県米沢出身。叔父(父の弟)に官僚・政治家の平田東助がいる。元々画家(漫画家)を志望し妖怪等を描いた漫画も多く残している。主な作品に「祇園閣」「築地本願寺」「新勝寺太子堂」等。家紋は庵木瓜紋(伊東氏の代表紋)。画像は総持寺にて撮影。


増田義一。1869年10月21日 – 1949年4月27日、出版人、政治家。
越後(新潟県)出身。読売新聞記者をへて、実業之日本社を創立、社長となる。「実業之日本」「婦人世界」など多くの雑誌を刊行。日本雑誌協会会長も務める。政治家としては衆議院副議長となる。家紋は丸に横木瓜紋。画像は護国寺共葬墓地にて撮影。


伊原敏郎。1870年5月24日 – 1941年7月26日、演劇評論家。
松江生まれ。青々園の名で劇評を書き坪内逍遥と親しくなる。三木竹二と『歌舞伎』を創刊。さらに『日本演劇史』『近世日本演劇史』『明治演劇史』三部作で朝日文化賞を受賞。また新聞小説や戯曲『出雲の阿国』を書いた。家紋は丸に地抜き横木瓜紋。


上野英三郎。1872年1月19日 – 1925年5月21日、農業土木学者。
三重県出身の農業土木・農業工学の創始者。忠犬ハチ公の飼い主。大学で講演中に脳溢血で倒れ急逝。愛犬ハチは帰らぬ上野を長期間待ち続け、「忠犬ハチ公」として秋田犬の名を世間に知らしめることとなった。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


田山花袋。1872年1月22日 – 1930年5 月13日、小説家。
群馬県館林市出身。中年作家の女弟子への複雑な感情を描いた『蒲団』を発表。女弟子に去られた男が、彼女の使用していた蒲団に顔をうずめて匂いを嗅ぎ、涙するという描写は、読者、さらに文壇に衝撃を与えた。家紋は丸に横木瓜。多磨霊園にて撮影。


樋口一葉。1872年5月2日 – 1896年11月23日、小説家。
元々父親である則義は甲斐国山梨郡中萩原村の百姓であった。7歳の時に曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を読破したと伝えられる。代表作は、「たけくらべ」「にごりえ」。五千円札の肖像となっている。現在の墓所は、杉並区和泉の西本願寺和田掘廟所。


百武三郎。1872年6月3日 – 1963年10月30日、海軍軍人。
佐賀藩士、百武庭蔵の三男として生まれる。二人の弟、百武源吾は海軍大将、百武晴吉は陸軍中将。本人の最終階級は陸軍大将。海軍史上唯一組の海軍大将兄弟。家紋は丸に木瓜紋。画像は本願寺和田堀廟所にて撮影。


平田禿木。1873年2月10日 – 1943年3月13日、英文学者、随筆家。
東京生まれ。本名・喜一郎。島崎藤村らの『文學界』同人として活躍。のち英文学者として多くの翻訳を刊行、『禿木随筆』などがある。またアーネスト・フェノロサの能楽研究に助力した。のち『平田禿木選集』全5巻が刊行された。画像は回向院にて撮影。


芳沢謙吉。1874年1月24日 – 1965年1月5日、外交官、政治家。
新潟県高田出身。中国公使となり、,ソ連のカラハン大使との間で日ソ基本条約を締結。仏大使と国際連盟日本代表を兼務。犬養内閣では外相を務める。戦後初代の駐中華民国(台湾)大使となる。家紋は四方木瓜紋。画像は青山霊園にて撮影。


大角岑生。1876年5月1日 – 1941年2月5日、海軍軍人。
愛知県三宅村出身。読みは、おおすみみねお。日露戦争の第3次旅順口閉塞作戦では出撃した「釜山丸」はエンジンが故障し、船団から脱落する。犬養、斎藤、岡田の各内閣で海軍大臣を務めた。最終階級は海軍大将。画像は青山霊園にて撮影。


緑嶌友之助。1878年1月12日 – 1952年12月16日、元大相撲力士。
石川県上新川郡出身。本名は、高木友之助。現役時代は小結が最高位だが、引退後、立浪弥右衛門を襲名し「立浪三羽烏」と呼ばれた双葉山羽黒山、名寄岩等の名力士を育て一代で部屋を角界屈指の名門にまで引き上げた。画像は谷中霊園にて撮影。


山野政太郎。1878年3月3日 – 1969年5月29日、実業家。
富山県出身。 西洋楽器店を創業。松本ピアノから営業権を譲り受け「山野楽器店」と改称し初代社長に就任。ピアノ、オルガン、レコードの販売に成功。東京蓄音器商組合長、全国蓄音器商組合連合会会長などを歴任。画像は多磨霊園。


梅ヶ谷藤太郎。1878年3月11日 – 1927年9月2日、第20代横綱
石川県上新川郡(現在の富山県富山市)に生まれる。常陸山谷右エ門と同時に横綱に昇進。「梅・常陸時代」と呼ばれる黄金時代を築く。168勝27敗47分2預116休、勝率.862。優勝相当成績3回。家紋の木瓜は、本門寺の墓所にて撮影。


下中弥三郎。1878年6月12日 – 1961年2月21日、実業家。
兵庫県多紀郡今田村出身。アナキズムや農本主義の影響を受け「教育改造の四綱領」を発表。平凡社を創設。『大百科事典』を出版して一躍「事典」出版社として著名になる。世界平和アピール七人委員会を結成し世界連邦運動を推進。画像は多磨霊園。


長塚節。1879年4月3日 – 1915年2月8日、歌人、小説家、歌人。
茨城県岡田郡国生村の豪農の家に出生。アララギの創刊に携わり万葉の短歌の研究と作歌に励む。長編『』を東京朝日新聞に連載し代表作となる。また農民小説のさきがけともなった。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は横木瓜紋。


佐野利器。1880年4月1日 – 1956年12月5日、建築家。
山形県西置賜郡荒砥村出身。生家(山口家)が没落し佐野家の養子となる。鉄骨煉瓦造の丸善書店の構造設計を行う。関東大震災後の復興事業・土地区画整理事業を推進。清水組副社長も務めた。家紋は剣木瓜紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


岩波茂雄。1881年8月27日 – 1946年4月25日、出版人。
長野県諏訪郡中洲村の農家に出生。古書店から出発し夏目漱石の知遇を得て「こゝろ」を出版。岩波書店を創業する。後に『思想』『科学』『文化』などの雑誌や、岩波文庫を創刊。貴族院多額納税者議員に互選、任命される。家紋は丸に剣木瓜紋。


丸山鶴吉。1883年9月27日 – 1956年6月3日、官僚。
丸山茂助の四男として広島県沼隈郡松永村に出生。警視庁特高課長、保安課長、静岡県内務部長、宮城県知事、朝鮮総督府警務局長、大政翼賛会事務総長、武蔵野美術学校校長、警視総監を歴任。家紋は丸に横木瓜紋。青山霊園の墓所にて撮影。


植芝盛平。1883年12月14日 – 1969年4月26日、武道家。
和歌山県田辺市の農家に生まれる。宗教団体大本に入信し「植芝塾」道場を開設。出口王仁三郎の命名により、自ら創始した武術を合気武道と呼称した。合気道関係者は開祖、特に古い高弟は大先生、翁先生と呼ぶことが多い。家紋は丸に横木瓜紋。


竹久夢二。1884年9月16日 – 1934年9月1日、画家・詩人。
岡山県邑久郡本庄村に代々酒造業を営む家に次男として出生。本名は竹久茂次郎。数多くの美人画を得意とした大正浪漫を代表する画家。作品は「夢二式美人」と呼ばれた。詩『宵待草』には曲が付けられて全国的な愛唱曲となった。家紋は丸に木瓜紋。


正力松太郎。1885年4月11日 – 1969年10月9日、実業家、政治家。
富山県射水郡枇杷首村に土建請負業を営む正力庄次郎の次男。読売新聞社の経営者として同新聞の部数拡大に成功。また、長らく巨人軍のオーナーを務め、その業績を称え、正力松太郎賞が設立される。家紋は横木瓜紋。画像は鎌倉・円覚寺にて撮影。


川端龍子。1885年6月6日 – 1966年4月10日、日本画家、俳人。
和歌山県和歌山市に出生。本名は昇太郎。弟(異母弟)は「ホトトギス」の俳人川端茅舍。横山大観率いる日本美術院同人となる。代表作は『火生』『千住大橋』『山葡萄』等。喜寿を記念して長年住んだ大田区に龍子記念館を設立した。家紋は横木瓜紋。


平塚雷鳥。1886年2月10日 – 1971年5月24日、思想家・作家。
東京府出身。父親は紀州藩士で明治政府の高級官吏・平塚定二郎。関ヶ原の合戦で戦死した西軍の武将平塚為広の末裔。女性解放運動・婦人運動の指導者。日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』を創刊。画像は春秋苑にて撮影。


木村謹治。1889年1月2日 – 1948年1月13日、独文学、語学者。
秋田県南秋田郡大川村出身。東京帝国大学独文科教授となり、その際、同僚の相良守峯とともに編纂した独和辞典は「キムラ・サガラ」と呼ばれて長く使われた。またゲーテ研究に力を注いだ。家紋は横木瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。


福士幸次郎。1889年11月5日 – 1946年10月11日、詩人、評論家。
青森県弘前市出身。第一詩集『太陽の子』を上梓、口語自由詩の先駆となる。のち評論で『日本音数律論』、民俗学の『原日本考』などを著す。1932年に日本ファシズム連盟を結成した。画像は文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に横木瓜紋。


西ノ海嘉治郎。1890年11月2日 – 1933年7月28日、第30代横綱
鹿児島県西囎唹郡国分村浜の市出身。本名は松山伊勢助。三代目の西ノ海嘉治郎。幕内通算成績は30場所、134勝60敗2分2預116休、勝率.691。優勝1回。年寄浅香山を襲名し、井筒部屋から独立して浅香山部屋を旗揚げした。画像は小平霊園にて撮影。


下村千秋。1893年9月4日 – 1955年1月31日、作家。
茨城県稲敷郡朝日村出身。読みは、しもむらちあき。小説・短歌・戯曲などを発表するほか、ゴーリキー全集の翻訳も行う。私娼を描いた「天国の記録」で有名となる。代表作は「天国の記録」。家紋は丸に木瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。


大川博。1896年12月29日 – 1971年8月17日、実業家。
新潟県西蒲原郡加奈居村出身。五島慶太にヘッドハンティングされ東急電鉄に入社。東京映画配給(東映)社長に就任。プロ野球・東映フライヤーズのオーナー。東映動画のアニメーション制作にも進出。家紋は丸に剣木瓜紋。画像は多磨霊園。


伊東深水。1898年2月4日 – 1972年5月8日、日本画家。
東京深川出身。本名は伊藤一。娘は女優の朝丘雪路。日本画独特のやわらかな表現による美人画が有名だが、美人画とも並行し個人的に独自の題材で日本画も制作。代表作は『対鏡』『潮干狩』等。家紋は丸に木瓜菱紋。画像は隆崇寺。


宮田東峰。1898年3月24日 – 1986年1月13日、ハモニカ奏者。
群馬県出身。本名は宮田孝三郎。読みは、みやたとうほう。ハーモニカの奏法は独習し日本初のハーモニカ合奏団を結成。当時流行の歌謡曲を多数演奏した。これが後の「ミヤタ・ハーモニカバンド」。家紋は丸に四方木瓜紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


神吉晴夫。1901年2月15日 – 1977年1月24日、編集者、事業家。
兵庫県加古川市西神吉町出身。プロデューサーとして「かもめの水兵さん」などのヒット曲を飛ばす。光文社第2代社長に就任。『女性自身』の部数を147万部にまで伸ばす。軽装新書版による書き下ろしのカッパ・ブックス創始者。画像は八柱霊園にて撮影。


岡田嘉子。1902年4月21日 – 1992年2月10日、映画女優。
広島市細工町に新聞記者の娘として出生。奔放な恋愛遍歴とソビエト連邦へ亡命するなど波乱の生涯を送った。トップ女優として主演映画『また逢う日まで』『東京の女』『日輪』等。画像は多磨霊園の山本家の墓所(岡田の墓がある)の丸に木瓜紋。


石田一松。1902年11月18日 – 1956年1月11日、演歌師、議員。
広島県安芸郡出身。父は井戸堀職人。大学卒業後、『酋長の娘』を作詞・作曲し大ヒットする。代表曲は『のんきな父さん』『いやぢゃありませんか』『のんき節』等。タレント議員のはしり。家紋は丸に木瓜紋。画像は谷中・安立院の墓所にて撮影。


大槻文平。1903年9月27日 – 1992年8月9日、経営者、財界人。
宮城県丸森町出身。三菱鉱業セメント会長、日本経営者団体連盟会長、臨時行政改革推進審議会会長。三菱鉱業の労務畑を長らく努め炭鉱合理化の際には首切り文平のあだ名があった。勲一等瑞宝章受章。日勲一等旭日大綬章受章。画像は春秋苑。


青井忠治。1904年3月30日 – 1975年8月18日、実業家。
富山県小杉町出身。生家は旧家の分家。高校卒業後、月賦販売商・丸二商会に入社。中野店を譲り受けて独立。商号を「丸井」に改め、同社を月賦百貨店業界のトップ企業に育て上げた。家紋は丸に横木瓜。画像は宝仙寺の墓所にて撮影。


古賀政男。1904年11月18日 – 1978年7月25日、作曲家。
福岡県三潴郡田口村に生まれた。『酒は涙か溜息か』『丘を越えて』『影を慕いて』『人生劇場』『東京五輪音頭』『』『悲しい酒』など昭和を代表する数々のヒット曲を生み出し国民栄誉賞受賞。家紋は丸に横木瓜紋。古賀政男音楽博物館にて確認。


松島詩子。1905年5月12日 – 1996年11月19日、歌手。
山口県玖珂郡日積村出身。本名は内海シマ。夫は内海一郎。小学校教師から一転、歌手を目指し柳井はるみという名前でデビュー。ヒット曲は「夕べ仄かに」「マロニエの木陰」「銀座行進曲」。NHK紅白歌合戦には10回出場。画像は小平霊園。


平林たい子。1905年10月3日 – 1972年2月17日、小説家。
長野県諏訪市出身。体験に基づく『施療室にて』でプロレタリア作家として認められる。代表作は『秘密』『かういふ女 』『黒札』など。没後、遺言により「平林たい子文学賞」が創設された。画像は文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に横木瓜紋。


海沼実。1909年1月31日 – 1971年6月13日、童謡作曲家。
長野県埴科郡松代町出身。実家は菓子舗。「お猿のかごや」「あの子はたあれ」「からすの赤ちゃん」「里の秋」「みかんの花咲く丘」など、国民的ヒット曲を多数、作曲する。家紋は丸に木瓜紋。画像は本願寺和田堀廟所にて撮影。


源氏鶏太。1912年4月19日 – 1985年9月12日、作家。
富山市出身。父親は富山の置き薬売り。本名は田中富雄。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きだったから」という。代表作は『英語屋さん』『口紅と鏡』等。『三等重役』は社長シリーズとして映画化され大ヒットする。画像は善福寺。


伊東正義。1913年12月15日 – 1994年5月20日、政治家。
福島県会津若松市生まれ。祖父の伊東健輔は会津藩士。衆議院議員、外務大臣、内閣官房長官、自由民主党政調会長、自由民主党総務会長を歴任。大平が急逝した後は内閣総理大臣臨時代理を務めた。家紋は庵木瓜紋。画像は鎌倉霊園墓所にて撮影。


三船敏郎。1920年4月1日 – 1997年12月24日、俳優。
中華民国・山東省青島で貿易商、写真業を営む三船徳造の長男。父は秋田県鳥海町出身。代表出演作品「羅生門」「レッド・サン 」「七人の侍 」「黒部の太陽」「椿三十郎 」「用心棒 」。三船美佳は内縁の妻との間にできた子供。画像は春秋苑。


山岡久乃。1926年8月27日 – 1999年2月15日、女優。
東京府東京市大森区馬込生まれ。本名・山岡比佐乃。宝塚歌劇団入団。男役で芸名は清澄あきらを名乗った。「日本を代表するお母さん女優」として不動の地位を築いた。代表出演作「ありがとう」「渡る世間は鬼ばかり」等。画像は墨田区・法恩寺。


三波伸介。1930年6月28日 – 1982年12月8日、コメディアン。
東京府東京市本郷区出身。本名:澤登三郎。1970年代から1980年代にかけて日本のお笑いをリードしてきたエンターティナー。代表出演『笑点』『日曜お笑い劇場』『てなもんや三度笠』。当たりギャグは「びっくりしたなぁ、もう!」。画像は所沢霊園。


道場六三郎。1931年1月3日 – 、和食料理家。
石川県江沼郡山中町出身。実家は老舗の山中漆器店。『料理の鉄人』に「和の鉄人」としてレギュラー出演、料理人ブームのさきがけとなる。「現代の名工」として厚労省から表彰される。家紋は丸に木瓜紋。画像は鎌倉・瑞泉寺の生前墓にて撮影。


樋口恵子。1932年5月4日- 、評論家。東京家政大学名誉教授。
東京出身。父は考古学者の柴田常恵。広く自治体主催の講演会等で活動。男女共同参画審議会のメンバー。東京都知事選挙に出馬したが石原慎太郎の前に惨敗。元日本ジャーナリスト会議副議長の新井直之と事実婚関係にあった。画像は春秋苑の生前墓にて。


桂歌丸。1936年8月14日 – 、落語家。
神奈川県横浜市出身。本名は椎名巌(しいな いわお)。位階勲等は旭日小綬章。演芸番組『笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利のメンバーとして活躍、現在では同番組の5代目司会者を務める。その際に着る羽織には、丸に横木瓜紋をつけている。


山本學。1937年1月3日 – 、俳優。
大阪府茨木市生まれ。東京育ち。父は建築家の山本勝巳。弟は俳優の山本圭、山本亘。叔父は映画監督の山本薩夫。女優の水野久美とは一時結婚していた。出演作は『白い巨塔』『金環蝕』『梟の城』等。家紋は三つ割り木瓜。画像は春秋苑にて撮影。


森喜朗。1937年7月14日 ‐ 、政治家。
石川県能美郡根上町に、根上町長を務めた森茂喜の長男として出生。文部大臣、通商産業大臣、建設大臣、自由民主党総裁、内閣総理大臣(第85代・第86代)を歴任。退任後も小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎などを支持。家紋は丸に横木瓜紋。


円谷幸吉。1940年5月13日 – 1968年1月9日、マラソン選手。
福島県岩瀬郡須賀川町出身。自衛隊体育学校所属。東京オリンピックではマラソンで3位となり、銅メダルを獲得した。1968年1月9日にカミソリで頚動脈を切って自殺。川端康成は『円谷幸吉選手の遺書』を発表した。家紋は丸に横木瓜。


坂本九。1941年12月10日 – 1985年8月12日、俳優・歌手。
神奈川県川崎市出身。愛称は九ちゃん。「上を向いて歩こう」が国内外でヒット。米国・ビルボード誌のヒットチャートでも3週連続1位を獲得。代表作は「見上げてごらん夜の星を 」「明日があるさ 」等。画像は青山・長谷寺にて。


アントニオ猪木。1943年2月20日 -、プロレスラー、実業家。
神奈川県横浜市鶴見区出身。本名は猪木寛至。元参議院議員。日本プロレス、東京プロレスを経て、新日本プロレスを立上げる。異種格闘技戦の実現などにより日本のプロレス・格闘技界に大きな影響を与えた。画像は総持寺の猪木家墓所にて撮影。


内田樹。1950年9月30日 – 思想家、随筆家。
東京都大田区生まれ。内田樹の先祖は山形県鶴岡の士族。神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。合気道六段、居合道三段の武道家。主著『日本辺境論』『邪悪なものの鎮め方』等。家紋は丸に横木瓜紋。Twitterで直接返信をいただいた。


マディ上原。1957年 – 2009年12月22日、特殊漫画家。
東京生まれ。1981年、谷岡ヤスジに師事。1982年、漫画家として独立。エロ漫画誌、『ガロ』等に不条理四コマなどを発表。漫画家・原律子は元妻。また、根本敬との漫画ユニット「お岩」でも作品を発表。家紋は井桁に木瓜紋。


野沢尚。1960年5月7日 – 2004年6月28日、脚本家・推理小説家。
愛知県名古屋市出身。父親は京都大学霊長類研究所の所長・生物学者・野澤謙。北野武の映画監督デビュー作「その男、凶暴につき」の脚本を手掛ける。代表作は「青い鳥」「眠れる森」など。家紋は丸に木瓜紋。画像は新宿原町の瑞光寺にて撮影。


いとうせいこう。1961年3月19日 – 、小説家、タレント。
東京都三鷹市出身。父の伊藤郁男は元参議院議員で民社党政審副会長を務めた。俳優、編集者、小説家、作詞家、ラッパーなど、幅広く活動するクリエイター。代表作は『ノーライフキング』『ワールズ・エンド・ガーデン』。家紋は丸に横木瓜紋。


馳浩。1961年5月5日 -、政治家、元プロレスラー。
富山県小矢部市生まれ、石川県金沢市育ち。妻は高見恭子。新日本プロレス時代にIWGPジュニアヘビー級王座奪取。2006年8月27日に、両国国技館で引退試合を行い、プロレスラーを引退。2008年8月に、自民党文部科学部会長に就任。家紋は丸に木瓜紋。


山口智子。1964年10月20日 – 、女優。
栃木県栃木市出身。実家は栃木市に存在した老舗旅館・鯉保。代表出演作『29歳のクリスマス』『ロングバケーション』『スウィート・ホーム』等。俳人松尾芭蕉を経済的にも支援した門弟杉山杉風の子孫。画像の家紋は杉山杉風の家紋・丸に横木瓜紋。


江角マキコ。1966年12月18日 – 、女優、タレント。
島根県出雲市出身。本名は平野真紀子。高校卒業後、バレーボール選手として活躍。後にモデルに転進。代表出演作「ショムニ」「ラブ・レボリューション」「トリプル・キッチン」等。画像は青山・長谷寺にある江角家の墓所にて撮影。


安住紳一郎。1973年8月3日 – 、アナウンサー。
北海道帯広市出身。1997年にTBSに入社。『ぴったんこカン・カン』『中居正広の金曜日のスマたちへ』等の人気番組のレギュラー司会者として活躍する。ラジオ番組『安住紳一郎の日曜天国』において自家の家紋が木瓜紋であることを告白した。


出島。1974年3月21日 – 、元大相撲力士。
石川県金沢市出身。本名は出島武春。現役時代の最高位は東大関。幕内成績:546勝478敗98休(勝率.533)。現在は大鳴戸を襲名している。出足が冴えたときには四股名に因み「出る出る出島」また「白い弾丸」とも呼ばれた。家紋は丸に横木瓜紋。


高岡蒼甫。1982年2月8日 – 、俳優。
東京都出身。本名は非公開。宮崎あおいは元妻。『ROOKIES』『リアル・クローズ』に出演し人気を博す。2011年に自身の思想信条をツイッターで告白。それが原因で所属事務所との契約を解消。家紋は丸に横木瓜紋。ツイッターのアイコンより判断。

まさむね


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