蔦紋 -遊女が好んだ優美な紋- 藤堂高虎、谷崎潤一郎、いかりや長介...

蔦紋は、江戸時代におおいに広まった。
大名では、藤堂、松平、六郷などの諸氏が使用している。一方で、遊郭でも大流行。形が優美で、しかも、纏わりついて繁栄するという蔦の姿が、遊女達の心情を表現していたからであろうか。

石川県(1位)、新潟県(2位)、富山県(4位)、島根県(5位)など、日本海側の各県で使用者が多い。
逆に高知県では24位と断然少ない。また、佐賀県で16位、山梨県、長崎県で15位、青森県、岐阜県、和歌山県で14位と少ない。

使用している有名人は以下である。
何故か、政治家よりも文化人が多いのが目立つ。


松永久秀。1510年 – 1577年11月19日、戦国時代の武将。
出身については阿波国・山城国西岡・摂津国五百住の土豪出身など諸説がある。三好三人衆と共に第13代将軍・足利義輝を殺害し畿内を支配。第13代将軍・足利義輝暗殺や東大寺大仏殿焼失の首謀者。北条早雲・斎藤道三と並んで日本三大梟雄とされる。


藤堂高虎。1556年2月16日 – 1630年11月9日、武将・大名。
近江犬上郡藤堂村の土豪・藤堂虎高の次男として生まれる。伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。築城の名手としても知られている。家紋は藤堂蔦。画像は染井墓地の藤堂家の墓所にて撮影。


成富茂安。1560年 – 1634年、龍造寺氏次いで鍋島氏の家臣。
佐賀県佐賀市鍋島町増田に生まれ、龍造寺隆信、龍造寺政家、鍋島直茂などに仕える。熊本城などの築城、筑後川の堤防工事、潅漑事業に手腕を振るう。明治天皇に業績を賞賛され従四位を追贈される。家紋は丸に蔦紋。画像は佐賀市本行寺の墓所にて撮影。


出雲阿国。1572年 – 没年不詳、女性芸能者。
伝説によれば出雲国松江の鍛冶中村三右衛門の娘とされる。1603年春に北野天満宮に舞台をかけて興行を行ない大変な人気を集めた。江戸城で勧進歌舞伎を上演した後、消息がとだえた。歌舞伎の創始者。画像は出雲大社近くの阿国のものとされる墓。


徳川吉宗。1684年11月17日 – 1751年7月12日、将軍。
徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。江戸幕府の第8代将軍に就任し、新田開発、定免法や上米令、目安箱の設置、公事方御定書の制定、江戸町火消しを設置等、いわゆる享保の改革を行う。定紋の三つ葉葵紋の他、蔦紋も使用。


蔦屋重三郎。1750年2月13日 – 1797年5月31日、版元(出版人)。
父(丸山氏)は江戸の吉原で遊廓の勤め人。喜多川氏の養子になる。蔦屋は喜多川氏の屋号、吉原の茶屋。山東京伝らの黄表紙・洒落本、喜多川歌麿東洲斎写楽の浮世絵の出版をした。家紋は山形に蔦。画像は「蔦屋重三郎展」のポスターより。


山田検校。1757年6月14日 – 1817年5月25日、箏曲家。
尾張藩・宝生流能楽師の三田了任の子で山田は母方の姓。本名は斗養一。浄瑠璃の叙事的な要素を導入して語り物的な箏曲の分野を確立した。代表作は「小督の曲」「長恨歌の曲」「葵上」。没年には当道最高位の惣録検校に昇進した。家紋は鬼蔦紋。


瀧山。1805年 – 1876年1月14日、大奥御年寄。
御鉄砲百人組・大岡義方の長女。江戸幕府12代将軍徳川家慶・13代家定・14代家茂時代の御年寄を務め江戸開城に伴い大奥の最後の幕引きをした。家紋は丸に大割り蔦紋。家紋画像は川口・錫杖寺にて撮影。顔画像は『篤姫』の稲盛いずみ。


古河市兵衛。1832年4月16日 – 1903年4月5日、実業家。
幼名は木村巳之助。木村家は京都岡崎で代々庄屋を務める家柄。渋沢栄一から援助を受け、事業を発展させる。足尾銅山を買収。古河財閥の創業者。事業は後の古河電気工業へと発展していく。家紋は鬼蔦紋。画像は南麻布・光林寺にて撮影。


頼山陽。1780年1月21日 – 1832年10月16日、歴史家、文人。
広島藩の城下の袋町に育つ。幼名は久太郎。主著『日本外史』が幕末の尊皇攘夷運動に与えた影響は甚大であった。安政の大獄で処刑された頼三樹三郎は三男。画像は、帆足杏雨筆の頼山陽像。紋付の家紋は丸に蔦紋。定紋は四つ又抱き鹿角。


有村次左衛門。1839年2月11日 – 1860年3月24日、尊攘派志士。
薩摩藩士・有村兼善の四男として生まれる。兄に後の貴族院議員・海江田信義。大老井伊直弼暗殺を水戸藩士らと計画し、江戸城桜田門外で行列を襲撃した。のちに正五位が追贈される。家紋は浮線蔦。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


市川左団次(初代)。1842年11月30日 – 1904年8月7日、役者。
大坂道頓堀生まれ。父は歌舞伎役者の結髪師・中村清吉。本名は高橋榮三。明治座を新築し、座元(劇場所有者)として近代的な劇場経営を行う。定紋は三升に左の字、替紋は松川菱に鬼蔦。また、肖像写真から中陰鬼蔦も使用と判断。


藤堂平助。1844年 – 1867年12月13日、新選組隊士。
武蔵国江戸出身。新選組結成当時からの同志。新選組八番組組長。池田屋事件では、近藤勇・土方歳三に次ぐ褒賞金を幕府から下賜される。伊東甲子太郎に従って新選組を離脱し後に油小路事件で暗殺される。家紋は丸に蔦紋。画像は薄桜鬼の藤堂平助。


森有礼。1847年8月23日 – 1889年2月12日、薩摩藩士・政治家。
薩摩国鹿児島城下春日小路町で薩摩藩士森喜右衛門有恕の五男として生まれた。明治維新後に福澤諭吉、西周らと共に明六社を結成。初代の文部大臣。英語の国語化を提唱したことでも有名。家紋は頭合わせ三つ鬼蔦。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


東郷平八郎。1848年1月27日 – 1934年5月30日、海軍軍人。
薩摩国鹿児島城下出身。父親は薩摩藩士・東郷実友。日本海軍司令官として日清・日露戦争の勝利に大きく貢献し日本の国際的地位を引き上げた。特に日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を破った。最終階級は元帥海軍大将。画像は多磨霊園にて撮影。


島村速雄。1858年10月26日 – 1923年1月8日、海軍軍人。
高知県出身。土佐藩の郷士・島村左五平と妻・鹿子の間に生まれる。第四艦隊司令官、海軍兵学校校長、海軍大学校校長、海軍教育本部長、海軍大将を歴任。「天性的に度量のある人物」といわれた。家紋は丸に変り三つ蔓蔦紋。画像は青山霊園にて撮影。


元良勇次郎。1858年12月5日 – 1912年12月13日、心理学者。
摂津国三田出身。旧姓は杉田。読みは、もとらゆうじろう。東京英和学校(青山学院の前身)や、正則予備校の設立に参画。帝国大学文科大学教授として日本における近代心理学の礎を築いた。家紋は鬼蔦紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


高田早苗。1860年4月4日 – 1938年12月3日、政治家、教育家。
東京深川生まれ。東京専門学校(現在の早稲田大学)の設立に参加。第1回衆議院議員総選挙に全国最年少で当選。衆議院議員、貴族院議員、早稲田大学総長、文部大臣などを歴任した。家紋は大割り蔦紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


本野一郎。1862年3月23日 – 1918年9月17日、外交官、政治家。
肥前国佐賀生まれ。父は読売新聞創業者の本野盛亨。弟に化学者・早稲田大学教授の本野英吉郎がいる。外務省に入りフランス公使、ベルギー公使を歴任。寺内内閣で外務大臣となる。家紋は丸に蔦紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


柴田家門。1863年2月6日 – 1919年8月25日、政治家。
萩城下平安古に柴田英佐の長男として出生。第2次山縣内閣の内務省地方局長を務める。後に勅撰の貴族院議員となり、第3次桂内閣の文部大臣に就任。退任後も貴族院議員を務め臨時教育会議の委員を務める。家紋は丸に三つ寄せ蔦紋。画像は青山霊園にて。


田中義一。1864年7月25日 – 1929年9月29日、政治家。
萩藩士・田中信祐の三男として萩に出生。第26代内閣総理大臣在任中に張作霖爆殺事件が起き、それがもとで昭和天皇にも「お前の最初に言つたことと違ふぢやないか」と強く叱責されたため内閣総辞職した。家紋は鬼蔦。画像は多磨霊園にて撮影。


石塚英蔵。1866年10月31日 – 1942年7月28日、官僚、政治家。
福島県出身。会津藩士・石塚和三郎の長男として生まれる。台湾総督、貴族院議員、枢密顧問官を歴任。台湾総督時代に霧社事件(最大規模の抗日暴動事件)が起こり、辞職している。家紋は丸に二つ中陰蔦紋。画像は多磨霊園にて撮影。


幸田露伴。1867年8月22日 – 1947年7月30日、小説家。
江戸下谷三枚橋横町に生まれる。『五重塔』『運命』などの作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。第1回文化勲章受章。娘の文も随筆家、後に小説も書いた。家紋は蔦紋。画像は池上本門寺の墓所にて撮影。


山路一善。1869年4月24日 – 1963年3月13日、海軍軍人。
愛媛県松山市に松山藩士山路一審の三男として生まれる。明治から大正の大日本帝国海軍の海軍中将。日本海軍での航空兵力の導入、整備に尽力し、海軍航空の生みの親と呼ばれる。家紋は丸に大割り蔦紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


尾上柴舟。1876年8月20日 – 1957年1月13日、詩人、歌人。
岡山県苫田郡津山町出身。本名は尾上八郎。読みは、おのえしばふね。元津山藩士・北郷直衛の三男として生まれ同藩士・尾上動の養子となる。「叙景詩」を刊行し浪漫主義に対抗して叙景詩運動を推し進めた。家紋は三つ蔦紋。画像は多磨霊園にて。


植原悦二郎。1877年5月15日 – 1962年12月2日、政治家。
長野県南安曇郡明盛村出身。国民主権論を大胆に主張するなど急進的な大正デモクラットとして言論活動を展開した。戦後、日本自由党の結成に参画し第1次吉田内閣の国務大臣として入閣する。改造後は内務大臣。家紋は蔦紋。画像は青山霊園にて撮影。


佐藤義亮。1878年2月18日 – 1951年8月18日、実業家。
秋田県仙北郡角館町に佐藤為吉の四男として出生。読みは、さとうよしすけ。耐乏生活の末、1896年に新声社(後の新潮社)を立上げて雑誌『新声』を創刊。その後、雑誌『新潮』を創刊した。家紋は丸に蔦紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


松岡映丘。1881年7月9日 – 1938年3月2日、日本画家。
兵庫県神崎郡の旧家・松岡家に産まれ。本名は輝夫。兄には医師の松岡鼎、医師で歌人・国文学者の井上通泰(松岡泰蔵)、民俗学者の柳田國男、海軍軍人で民族学者、言語学者の松岡静雄がいた。家紋は大割蔦紋。父親の羽織より。


早川徳次。1881年10月15日 – 1942年11月29日、実業家。
山梨県東八代郡御代咲村に生まれる。東京地下鉄道(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)の創業者。日本に地下鉄を紹介・導入し、「地下鉄の父」と呼ばれる。『帝都物語』にも登場する。家紋は丸に蔦紋。画像は多磨霊園にて撮影。


土肥原賢二。1883年8月8日 – 1948年12月23日、陸軍軍人。
岡山県岡山市出身。謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離工作で活躍。「満州のローレンス」と呼ばれていた。終戦後、特に中国からの主張によりA級戦犯として絞首刑となる。最終階級は陸軍大将。家紋は鬼蔦紋。画像は護国寺にて撮影。


長谷川伸。1884年3月15日 – 1963年6月11日、小説家、劇作家。
神奈川県横浜市の土木業の家に生れる。「講談倶楽部」や「都新聞」に山野芋作のペンネームで小説を発表。文学学校「新鷹会」を主宰。門下生に山岡荘八、平岩弓枝、池波正太郎、西村京太郎達がいる。代表作「関の弥太っぺ」「股旅草鞋」等。


小松原道太郎。1886年7月20日 – 1940年10月6日、陸軍軍人。
神奈川県出身。海軍工廠技師・小松原五良の長男として生れる。歩兵第57連隊長、関東軍司令部付を歴任。ノモンハン事件のきっかけを作る打電をする。最終階級は陸軍中将。家紋は丸に蔦紋。画像は護国寺共葬墓地にて撮影。


谷崎潤一郎。1886年7月24日 – 1965年7月30日、小説家。
耽美主義とされる作風で、『痴人の愛』『細雪』など多くの秀作を残し文豪と称された。『文章読本』でみずから主張するような「含蓄」のある文体で日本的な美、性や官能を耽美的に描いた。家紋は丸に蔦紋。画像は巣鴨・慈眼寺の墓所にて撮影。


野田高梧。1893年11月19日 – 1968年9月23日、脚本家。
北海道函館市出身。長崎県、愛知県で育つ。小津安二郎とは公私共に良きパートナー。共作という形で『晩春』から『秋刀魚の味』までの全作品を手がける。日本脚本家協会の初代会長を務めた。家紋は八曜に蔦紋。画像は多磨霊園にて撮影。


松下幸之助。1894年11月27日 – 1989年4月27日、実業家。
和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木に、小地主松下政楠・とく枝の三男として出生。松下電気器具製作所を創業。世界的企業・パナソニックに育て上げる。経営の神様と称される。晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。家紋は丸に蔦紋。


大塚敬節。1900年2月25日- 1980年10月15日、医師。
高知県高知市に生まれる。読みは、おおつかよしのり。大塚家は産婦人科・大塚修琴堂医院。昭和期の漢方復権に尽力。東洋医学の発展に貢献した業績により日本医師会より最高優功賞を受賞。家紋は丸に蔦紋。画像は多磨霊園にて撮影。


戸坂潤。1900年9月27日 – 1945年8月9日、哲学者。
東京市出身。京都帝国大学のマルクス主義研究者。西田左派に属し唯物論研究会を創始。治安維持法によって特別高等警察に捕らえられ栄養失調により、敗戦の直前に長野刑務所で獄死。家紋は丸に知り合わせ三つ蔦。画像は多磨霊園にて撮影。


下山定則。1901年7月23日 – 1949年7月6日、鉄道官僚。
兵庫県出身。日本国有鉄道が発足して初代総裁に就任した。総裁として職員約10万人の解雇を決定し第一次整理の3万700人を通告したが直後、消息を絶ち轢死体となって発見された(下山事件)。家紋は丸に蔦紋。画像は多磨霊園にて撮影。


柳家三亀松。1901年9月1日 – 1968年1月20日、三味線漫談家。
東京の木場の材木職人の家に生まれる。本名は伊藤亀太郎。にお色気の音曲漫談では『アハァ~ん』や『イヤァ~ん』等の女性の鼻の掛かった名文句で売り出す。余りに過激すぎて寄席で禁止令が出る程だった。芸術祭奨励賞を受賞。家紋は中陰鬼蔦紋。


富田常雄。1904年1月1日 – 1967年10月16日、小説家。
柔道家富田常次郎の子として東京府に生まれる。『姿三四郎』で流行作家となる。戦後、『刺青』、『面』で直木賞を受賞。また、「弁慶」を原作としてNHKで連続ドラマ『武蔵坊弁慶』が放送された。家紋は陰丸輪に蔦紋。画像は谷中・信行寺にて撮影。


円地文子。1905年10月2日 – 1986年11月12日、小説家。
東京府東京市浅草出身。本名は富美ふみ。劇作家として小山内薫の薫陶を受ける。女性の心理を露にした新時代的小説と源氏物語の現代語訳に代表される古典文学の両輪により高く評価され文化勲章を受章するまでに至った。画像は谷中霊園にて撮影。


愛知揆一。1907年10月10日 – 1973年11月23日、政治家。
宮城県仙台市出身。祖父・信元は幕末期、徳川慶喜に小姓。法務大臣、文部大臣及び科学技術庁長官、内閣官房長官、外務大臣、大蔵大臣を歴任。環境庁長官、防衛庁長官の愛知和男は女婿で後継者。家紋は七宝に蔦紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


長谷川一夫。1908年2月27日 – 1984年4月6日、俳優。
京都伏見の芝居小屋の子として生まれる。戦前、戦後の長きに渡って日本を代表する二枚目役者として映画界に君臨。代表作は『雪之丞変化』『沓掛時次郎』『忠臣蔵』など。家紋は丸に鬼蔦紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


ライオン野口。1908年6月2日 – 1961年5月8日、プロボクサー。
東京市本郷区根津出身。日本ウェルター級チャンピオン。日本フライ級チャンピオンの野口恭は次男、キックボクシング創始者の野口修は長男。引退後は愛国社の同人となり、若槻禮次郎民政党総裁を襲撃。家紋は丸に鬼蔦紋。


佐分利信。1909年2月12日 – 1982年9月22日)、俳優。
北海道空知郡歌志内村の炭鉱夫の家に生まれる。上原謙、佐野周二と松竹三羽烏を結成し翌年の三人で主演した「婚約三羽烏」が大ヒット。代表出演作は「お茶漬けの味」「あゝ青春」「華麗なる一族」。家紋は丸に蔦紋。画像は小平霊園にて撮影。


麻生三郎。1913年3月23日 – 2000年4月5日、画家。
東京都中央区に生まれる。渡欧、独立美術協会入選後、新人画会を結成。戦後 自由美術協会に参加。武蔵野美術学校教授。日本国際美術展優秀賞、芸術選奨文部大臣賞、自由美術協会退会後無所属。家紋は丸に蔦紋。画像は、春秋苑の墓所にて撮影。


芝木好子。1914年5月7日 – 1991年8月25日、小説家。
東京・浅草出身。経済学者の大島清と結婚し本姓を芝木から大島へと変える。『青果の市』で第14回芥川賞受賞。戦後に書いた『湯葉』『隅田川』『丸の内八号館』の3作品は自伝三部作と言われ作風が確立される。家紋は丸に蔦紋。画像は青山霊園にて。


串田孫一。1915年11月12日- 2005年7月8日、詩人、随筆家。
東京出身。東京帝国大学哲学科卒。文芸誌『アルプ』を創刊、終刊するまで責任編集者を務める。FMラジオ番組「音楽の絵本」でパーソナリティを務めた。主著は詩集『羊飼の時計』『山のパンセ』。家紋は丸に蔦紋。画像は谷中霊園にて撮影。


竹下登。1924年2月26日 – 2000年6月19日、政治家。
島根県飯石郡掛合村に竹下勇造・唯子の長男として生まれる。生家の竹下家は江戸時代には庄屋を務め幕末から現在まで代々造り酒屋を営む素封家。内閣総理大臣(第74代)、衆議院議員(14期)を務めた。ミュージシャンのDAIGOが孫にあたる。


吉行淳之介。1924年4月13日 – 1994年7月26日、小説家。
岡山県岡山市出身。父・吉行エイスケ(詩人)、母・あぐり(美容師)、妹・和子(女優)。『驟雨』で芥川賞を受賞し遠藤周作、安岡章太郎達と第三の新人と言われる。代表作は『驟雨』『原色の街』『暗室』等。本妻の他にも複数の愛人がいた。


谷村昌彦。1927年2月25日 – 2000年8月6日、俳優。
山形県山形市出身。本名は武田忠。浅草六区で俳優としての活動を始める。田舎訛りのキャラクターで活躍。日本喜劇人協会の理事も務めた。代表出演作は『どですかでん』『人生劇場』『必殺仕掛人』。家紋は蔦紋。画像は南池袋・玄静寺の墓所。


阿佐田哲也。1929年3月28日 – 1989年4月10日、小説家、雀士。
東京都新宿区出身。本名は色川武大。色川名義の作品も多かった。代表作は「怪しい来客簿」「離婚」(直木賞受賞作品)「狂人日記」「麻雀放浪記」「次郎長放浪記」。雀聖と呼ばれた。家紋は中陰対い蔦蝶。画像は谷中墓地にて撮影。


いかりや長介。1931年11月1日 – 2004年3月20日、コメディアン。
東京市本所区出身。本名は碇矢長一。父・碇矢一郎は築地の魚河岸で運搬の仕事に従事していた。『8時だョ!全員集合』『ドリフ大爆笑』で一世を風靡。『踊る大捜査線』の和久平八郎役で俳優としても認められる。画像は蓮昌寺にて撮影。


江藤淳。1932年12月25日 – 1999年7月21日、文芸評論家。
東京府豊多摩郡出身。20代より文芸時評をはじめ、特に日本の近代的自我に対する批判を描き出した『奴隷の思想を排す』は大きな影響を与えた。代表作は『夏目漱石』『自由と禁忌』。家紋は蔦紋。叔父・江頭豊氏の葬儀の祭壇の紋より判断。


池内淳子。1933年11月4日 – 2010年9月26日、女優。
東京市本所区東両国生まれ。久保菜穂子、三ツ矢歌子と共に「新東宝現代劇の女優三羽烏」として脚光を浴びる。1960年代から1980年代まで、テレビドラマの女王として君臨した。代表出演作は『新妻鏡』『日日の背信』『東芝 日曜劇場』等。家紋は蔦紋。


児玉清。1933年12月26日 – 2011年5月16日、俳優、司会者。
東京市滝野川区(現・東京都北区)出身。本名・北川 清。『パネルクイズ アタック25』の司会者となり、30年以上にわたり司会を行っていた。俳優としては「ありがとう」「HERO」「龍馬伝」などに出演。家紋は葬儀時の祭壇より蔦紋と判断。


黒川紀章。1934年4月8日 – 2007年10月12日、建築家、思想家。
愛知県海部郡蟹江町生まれ。夫人は女優の若尾文子。弟は建築家の黒川雅之。代表作は『中銀カプセルタワービル』『広島市現代美術館』『福岡銀行本店』等。東京都知事選挙、参院選に出馬するも落選。家紋は丸に蔦紋。梅窓院の黒川家の墓所にて撮影。


野村秋介。1935年2月14日 – 1993年10月20日、右翼活動家。
東京出身。若い頃は出口辰夫の舎弟。五・一五事件の三上卓の影響により右翼となる。戦後新右翼の代表的な論客として憂国道志会を結成。河野一郎邸焼き討ち事件で12年、経団連会館襲撃事件で6年服役。朝日新聞東京本社の社長室にて拳銃自決。


林家木久扇。1937年10月19日 – 、落語家。
東京市日本橋区生まれ。東京大空襲で実家の雑貨問屋が全焼し、廃業。 1960年、落語界入り。「笑点」のレギュラーとなる。現在のメンバーで一番連続出演期間が長い。「全国ラーメン党」を結成し、「木久蔵ラーメン」を開店。家紋は「光琳の蔭蔦」。


石ノ森章太郎。1938年1月25日 – 1998年1月28日、漫画家。
宮城県登米郡石森町出身。代表作は『サイボーグ009』『HOTEL』『仮面ライダー』など。500巻770作品におよぶ個人全集『石ノ森章太郎萬画大全集』は一人の著者による最も多い漫画出版の記録としてギネス認定された。画像は祥雲寺にて撮影。


琴櫻傑將。1940年11月26日 – 2007年8月14日、第53代横綱
鳥取県東伯郡倉吉町出身で佐渡ヶ嶽部屋所属。本名は鎌谷紀雄。のど輪で一気に攻める押し相撲を得意とし、「猛牛」との異名を取った。幕内成績:553勝345敗77休 勝率.616。幕内最高優勝:5回。2007年8月14日亡くなる。葬儀時の画像より蔦紋と判断。


輪島大士。1948年1月11日 – 、第54代横綱
石川県七尾市出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、全日本プロレス所属の元プロレスラー。日大時代、学生横綱など14個のタイトルを獲得し幕下付出しで入門。初土俵から3年半という超スピード出世で横綱へ上りつめ史上初の学士・本名横綱となる。


笹野高史。1948年6月22日 – 、俳優。
兵庫県津名郡一宮町出身。造り酒屋に四男であった。山田監督の『武士の一分』で第30回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。代表出演作は『母べえ』『おくりびと』『天地人』等。2009年暮れのMacCafeのCMの紋付姿より鬼蔦紋と判断。


春風亭小朝。1955年3月6日 – 、落語家、俳優。
東京都北区出身。本名は花岡 宏行。初代・林家三平の次女泰葉の元夫。1980年に、真打昇進。36人抜きで話題となる。この記録は2008年現在未だ破られていない。篤姫(NHK大河ドラマ)では近衛忠煕役として出演。家紋は光琳の蔭蔦。


谷佳知。1973年2月9日 – 、プロ野球選手。
大阪府東大阪市出身。2003年のオリックス時代にはパ・リーグ最多安打のタイトルを獲得。2007年により読売ジャイアンツに移籍。夫人は、元柔道選手・民主党参議院議員の谷亮子。家紋は丸に蔦紋。結婚式披露宴時の紋付より丸に蔦紋と判断。


一青窈。1976年9月20日 – 、歌手。
父は台湾人、母は日本人(石川県出身)。中国語の漢字名は顏窈(イエン・ヤオ)。「顏」は父親の姓。「一青」は母親の姓。2002年に「もらい泣き」でブレイク。代表作「もらい泣き」「ハナミズキ」「はじめて」等。母方(一青姓)の家紋は蔦紋。


琴欧洲勝紀。1983年2月19日 – 、大相撲力士。
ブルガリア出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大関力士。身長202cm、体重155kg、握力120kg。長身と、懐の深さ、抜群の格闘技センスで番付を駆け上がり、初土俵から所要11場所で入幕。家紋の「蔦」は先代の佐渡ケ獄親方の紋を継承。

まさむね