引両紋 -無骨な武家紋の代表- 足利尊氏、近藤勇、オノ・ヨーコ...

引両紋は、源平時代からある古い紋である。

武家の紋が元々、戦場で自分を目立たせるためにつけたのが始まりであるため、引両のような簡単に描ける紋は実用的だったのではないか。

室町時代が全盛で、足利氏族の吉良、斯波、一色、山名、今川、細川、畠山等の大名がこの紋を使用した。
種類としては、線の数で、一引両、二引両、三引両がある。

江戸の有名人では、遠山の金さんも二つ引両である。
シンプルで、ある意味、無骨な紋のため、女性からは人気がなかったようである。

全国分布では18位。特に多い地域は、山梨県(11位)、東京都(12位)、岩手県、秋田県、宮城県、山形県、福島県、愛媛県などが13位、栃木県、長野県が14位、青森県、群馬県、千葉県、兵庫県、岡山県、広島県で15位といったところ。

有名人では以下の人々が使っている。元々武家紋であるため政治家が多い。

新田義貞。1301年 – 1338年8月17日、鎌倉時代の御家人、武将。
源義国の子。読みは、にったよしさだ。贈鎮守府将軍新田義重を祖とする上野国に土着した新田氏本宗家の8代目棟梁。家系は清和源氏の一家系。足利尊氏の京都六波羅攻略に呼応して挙兵し、北条方を撃破。鎌倉幕府を滅亡させる。家紋は新田一つ引両紋。


足利尊氏。1305年8月18日 – 1358年6月7日、武将。
足利貞氏の次男として生まれる。後醍醐天皇挙兵に応じて六波羅探題を滅ぼすが、建武の新政に失望し光明天皇を擁立、征夷大将軍に補任され室町幕府を開く。家紋は丸に二引両紋。画像は足利市・法玄寺の北条時子(足利義兼の妻)墓の丸に二引両紋。


赤松満祐。1381年 – 1441年9月25日、守護大名。
播磨・美作・備前の守護大名・赤松義則の子。二度に渡って侍所頭人を務め、幕府内の長老格として権勢を振るう。1441年に結城合戦の祝勝会として足利義教を自邸に招き暗殺、いわゆる嘉吉の乱を起こすが、幕府方が派遣した細川氏、山名氏などに敗北。


山名宗全。1404年7月6日 – 1473年4月15日、守護大名。
家系は清和源氏、河内源氏の流れを汲む新田氏庶流の山名氏。読みは、やまなそうぜん。嘉吉の乱後、播磨国など8ヶ国の守護職を得て権勢を得た。大内氏や細川氏と縁戚関係を結ぶが、足利義政と対立。応仁の乱では、西軍を率い幕府管領の細川勝元と対抗。


三浦義同。1451年 – 1516年8月19日、武将、小大名。
扇谷上杉家から、新井城(三崎城とも)主・三浦時高の養子に入る。出家後の「三浦道寸」の名で呼ばれることも多い。読みは、みうらよしあつ。北条早雲の最大の敵であり、平安時代から続いた豪族・相模三浦氏の事実上の最後の当主。家紋は三つ引。


今川義元。1519年 – 1560年6月12日、守護大名・戦国大名。
駿河今川家第9代当主。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系・河内源氏の流れを汲む足利氏の傍流吉良氏の分家にあたる。所領も駿河・遠江・三河、尾張の一部にまで拡大したが桶狭間の戦いで信長軍の奇襲により戦死。家紋は二引両と赤鳥(左)。


蘆名盛氏。1521年 – 1580年7月28日、陸奥の武将。
第15代当主・蘆名盛舜の子として生まれる。山内氏を討ち、会津から中通りにかけて勢力を拡大。一方で白河結城氏の白河義親の家督相続問題に介入したり、二階堂盛義を攻めて降伏させ二本松義国と同盟する等して軍事的・政治的に勢力を拡大した。


吉川元春。1530年 – 1586年12月25日、武将。
毛利元就の次男で毛利両川の一人。吉川氏は藤原南家流、安芸国を領有した鎌倉幕府御家人。毛利両川の一人として弟の小早川隆景と共に毛利家発展の基礎を築き上げた名将。生涯で76度の合戦に臨み64度の勝利を収める。家紋は丸に三つ引両。


里見義弘。1530年- 1578年6月25日、戦国時代の武将。
安房の戦国大名、里見義堯の長男。里見家の本姓は源氏。家系は源義重を祖とする新田氏の庶宗家。第二次国府台合戦で北条綱成と戦うなど、後北条氏と徹底して対立。安房、上総、下総にかけて一大領国体制を築き上げ、里見氏の最盛期を築き上げる。


古田織部。1544年 – 1615年7月6日、戦国時代の武将。
茶人の古田重定の子として生まれる。信長、秀吉の家臣だが一般的には茶人として有名。利休七哲の一人。千利休が大成させた茶道を継承しつつ、茶器製作・建築・造園などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。


最上義光。1546年2月1日 – 1614年2月26日、武将・大名。
家系は清和源氏の流れを汲む足利一門・斯波氏の血筋。最上氏第11代当主。読みは、もがみよしみつ。出羽山形藩初代藩主。伊達政宗の伯父にあたる。関ヶ原合戦において東軍につき、最上家を57万石の大大名に成長させた。家紋は二引両。


細川忠興。1563年11月28日 – 1646年1月18日、武将、大名。
将軍足利義輝に仕える幕臣・細川藤孝の長男として京都で生まれる。丹後宮津城主、豊前小倉藩初代、熊本藩細川家初代藩主。教養人・茶人としても有名。元首相の細川護熙は末裔。家紋は二引両(左)、細川桜(中央)、九曜(右)。


伊達政宗。1567年9月5日 – 1636年6月27日、武将。
本姓は藤原氏。家系は伊達朝宗を祖とする伊達氏。出羽国と陸奥国の戦国大名。仙台藩の初代藩主。最も古い紋は縦三つ引き両。九曜紋は細川氏から使用を許可される。仙台笹、仙台牡丹も使用。画像は谷中霊園の伊達家墓所にて撮影。


間部詮房。1666年6月18日-1720年8月19日、側用人、藩主。
6代将軍徳川家宣の側用人として活躍。新井白石とともに、「正徳の治」を断行。猿楽師・喜多七太夫の弟子であったが、甲府藩主・徳川綱豊の用人として用いられ出世。のちに高崎藩5万石を得た。日本の歴史上において猿楽師が大名になった例は他にない。


遠山金四郎景元。1793年9月27日 – 1855年4月15日、旗本。
明知遠山氏の分家六代目にあたる人物。父親は長崎奉行を勤めた遠山左衛門尉景晋。正式な名のりは遠山左衛門尉景元。江戸北町奉行。時代劇『遠山の金さん』のモデルとして知られる。家紋は丸に二引き両。丸に九字直違も使用。


佐久間象山。1811年2月28日 – 1864年7月11日、兵学者・思想家。
信濃松代藩士・佐久間一学の長男として生まれる。読みは、さくましょうざん。私塾・象山塾には長岡藩士以外にも勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬などが名を連ねる。動乱の京都で開国佐幕派の策士として活動したが、尊皇攘夷派の刺客によって暗殺された。


吉田東洋。1816年 – 1862年5月6日、土佐藩士、政治家。
父は土佐藩馬廻役吉田光四郎正清。土佐藩主山内豊熈の進める藩政改革に取り組み飢饉に備えて藩営の済営倉の設立を進言。土佐藩主山内容堂から参政に起用され富国強兵論を主張し藩政改革を行うも土佐勤王党に暗殺される。家紋は半二つ引両紋。


伊達宗城。1818年9月1日 – 1892年12月20日、大名・政治家。
旗本・山口直勝の次男として江戸に生まれるが宇和島藩主伊達宗紀の養子となる。読みは、だてむねなり。後に宇和島藩8代藩主となり賢公と称えられる。家紋は他に宇和島笹、九曜紋等。画像は小金井公園にある宇和島藩伊達家・門の丸に竪三つ引両紋。


三浦休太郎。1829年9月15日 – 1910年12月11日、政治家。
西条藩士・小川武貴の長男として生まれ紀州藩に出仕。いろは丸沈没事件で紀州藩代表として交渉。龍馬暗殺を疑われ天満屋事件海援隊士らに急襲される。新政府では元老院議官、東京府知事等を歴任。家紋は丸に出二つ引両紋。画像は妙行寺にて撮影。


若松竹軒。1831年 ‐ 1908年12月18日、漢学者。
上野沼田藩士。名は節。字(あざな)は甘吉。読みは、わかまつちくけん。川崎魯斎、佐藤一斎らに学ぶ。江戸麻布に漢学の塾を開き、のちに商工学校で教える。著作に「大学句解」がある。家紋は、丸に太二引両紋。護国寺の墓所にて撮影。


近藤勇。1834年11月9日 – 1868年5月17日、幕臣。
農民・宮川久次郎の三男として出生。幼名は勝五郎。新選組局長として京都警護のため奔走。池田屋襲撃、禁門の変で活躍。鳥羽・伏見の戦いに敗れ、斬首されて京都・三条河原に梟首された。家紋は丸の内に三つ引両。画像は三鷹市・龍源寺にて撮影。


高畠藍泉。1838年5月12日 – 1885年11月18日、ジャーナリスト。
江戸幕府御本丸奥勤のお茶坊主衆の家に生まれる。読みは、たかはたけらんせん。東京日日新聞、読売新聞等の記者を務める。小説家としては「怪化百物語」等の作品がある。三世・柳亭種彦と言われた。画像は浅草松葉町正定寺の墓所にて撮影。


宮島誠一郎。1838年8月25日 – 1911年3月15日、官僚・政治家。
米沢藩の中級武士・宮島吉利の子として生まれる。幕末に締結された奥羽越列藩同盟交渉時に中心的な役割を果たした。明治維新後は自由民権運動に先駆けていち早く憲法制定・議会開設の建白を行なう。家紋は丸に二引両紋。青山霊園の墓所にて撮影。


松田道之。1839年6月22日 – 1882年7月6日、内務官僚、政治家。
鳥取藩家老・鵜殿氏の家臣久保居明の次子として生まれ、後に松田市太夫の嗣子となる。大津県令、滋賀県令、東京府知事を歴任。琉球処分において中心的な役割を果たした。家紋は外雪輪に変り三つ引両紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


原田左之助。1840年 – 1868年7月6日、新選組隊士。
伊予松山藩の中間だったが出奔。槍の名手。近藤勇の江戸道場、試衛館以来の生え抜き隊士で十番組長となる。池田屋事件、禁門の変、油小路事件等で活躍。彰義隊に加入し上野戦争の際に負傷した。家紋は丸に一引両紋。画像は薄桜鬼の原田左之助。


松本楓湖。1840年10月9日 – 1923年6月22日、日本画家。
常陸国河内郡出身。読みは、まつもとふうこ。欽定教科書『幼学綱要』全7巻において61図の挿絵を描き名を轟かせた。日本美術院の創設に参加。歴史画に長じ「蒙古襲来・碧蹄館図屏風」を発表。家紋は五つ瓜に丸に二引両。画像は谷中・全生庵にて撮影。


吉田稔麿。1841年3月16日 – 1864年7月8日、長州藩の活動家。
萩藩松本村新道の足軽吉田清内の嫡子。読みは、よしだとしまろ。吉田松陰の松下村塾に入門し兵学を究める。高杉晋作、久坂玄瑞と並び松陰門下の三秀の一人と称される。高杉晋作の創設した奇兵隊に参加。池田屋事件で憤死。家紋は丸に二つ引両。


高木兼寛。1849年10月30日 – 1920年4月13日、医学者。
薩摩藩士として日向国諸県郡穆佐郷に出生。戊辰戦争には薩摩藩兵の軍医として従軍。東京慈恵会医科大学の創設者。脚気の撲滅に尽力し「ビタミンの父」と呼ばれる。また海軍の食事にカレーを導入したことでも知られている。画像は青山霊園にて撮影。


新井有貫。1849年12月25日 – 1909年12月1日、海軍軍人。
東京青山生まれ。日清戦争に扶桑艦長として出征し、黄海海戦で功をたてる。日露戦争時には仁川で沈没したロシア軍艦ワリアークの引き上げを成功させた。最終階級は海軍中将。家紋は丸に二引両紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


荻野吟子。1851年4月4日 – 1913年6月23日、医師。
武蔵国幡羅郡俵瀬村に、代々苗字帯刀を許された名主の末娘として生まれる。近代日本における最初の女性の医師となり、本所区小梅町に医院を開業する。女性運動家としても知られ、廃娼運動に取り組む。家紋は丸に二引両。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


平山藤次郎。1851年8月 – 1910年5月11日、海軍軍人。徳島藩士。
西南戦争で功あり太政官より金五十円を下賜される。「天城」艦長、「葛城」艦長を経て日清戦争で「八重山」艦長などを務めるも船上の不祥事で予備役に入る。後に商船学校長となるが最終階級は海軍大佐。青山霊園の墓所にて撮影。


仁尾惟茂。1853年12月28日 – 1932年4月11日、官僚。
土佐国出身。読みは、におこれしげ。戊辰戦争や会津戦争に従軍。維新後、大蔵省の官僚として煙草専売局長、専売局長官などを歴任。韓国政府の財政顧問も勤める。中村市の日本たばこ構内に銅像が建つ。家紋は丸に二引両紋。画像は青山霊園にて。


高平小五郎。1854年1月29日 – 1926年11月28日、外交官。
岩手県一関市の生まれ。陸奥国一関藩の藩士田崎三徹の三男。外交官として日露講和会議に外務大臣小村寿太郎とともに全権委員として出席。駐米大使時代には高平・ルート協定を結んだ。家紋は丸に二引両紋。画像は多磨霊園にて撮影。


有馬良橘。1861年12月16日 – 1944年5月1日、海軍軍人。
紀伊和歌山に紀州藩士・有馬元函の長男として出生。読みは、ありまりょうきつ。養子に海軍中将・有馬寛がいる。日露戦争・旅順港閉塞作戦の立案者。最終階級は海軍大将。晩年は明治神宮宮司を務めた。家紋は丸に二引両紋。画像は青山霊園にて撮影。


浅田栄次。1865年5月22日 – 1914年11月10日、英語学者。
徳山藩出身。東京帝国大学(現:東京大学)にて数学を学んだ後、渡米して神学と言語学を学ぶ。帰国後、東京外国語学校(現:東京外国語大学)などにおいて英語教育に尽力した。家紋は隅切り鉄砲角に二引両紋。画像は多磨霊園にて撮影。


福田雅太郎。1866年7月7日 – 1932年6月1日、陸軍軍人。
大村藩藩士・福田市兵衛の二男。読みは、ふくだまさたろう。日露戦争では秋山真之らとともに対露早期開戦を主張。関東大震災時は関東戒厳司令官。最終階級は陸軍大将。大日本相撲協会会長にも着任。家紋は丸に竪二引両紋。青山霊園にて撮影。


神保小虎。1867年6月19日 – 1924年1月18日、地質・鉱物学者。
江戸の生まれ。北海道,樺太あるいはウラジオストック地方などの地質調査を行い東京地質学会会長、東京地学協会会長を務める。著作には『北海道地質報文』『日本鉱物略記』などがある。家紋は丸の内に縦二引き両紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


浜口雄幸。1870年5月1日 – 1931年8月26日、政治家。
高知県長岡郡出身。大蔵大臣、内務大臣歴任後、第27代内閣総理大臣となる。在任中に金解禁や緊縮政策を断行し、ロンドン海軍軍縮条約を結ぶ。その風貌からライオン宰相と呼ばれた。家紋は丸に上付き二つ引両紋。画像は青山霊園にて撮影。


島崎藤村。1872年3月25日 – 1943年8月22日、詩人、小説家。
信州木曾の馬籠(現在の岐阜県中津川市)生れ。本名、春樹。『文學界』に参加し、浪漫派詩人として『若菜集』などを刊行。『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。家紋は丸に三引両紋。画像は馬籠宿の永昌寺の島崎家墓所より。


木暮理太郎。1873年12月7日 – 1944年5月7日、登山家。
群馬県生まれ。山岳展望や登山史の研究、地名の考証にも大きな熱意を示す。著書『山の憶い出』は日本の山岳書中でも内容の濃い傑作される。職業は、雑誌『ハガキ文学』や東京市の史料の編纂。家紋は丸に三つ引両紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


静間知次。1876年5月5日 – 1926年12月7日、陸軍軍人。
山口県出身。読みは、しずまともじ。日露戦争に野戦鉄道提理部員として従軍。戦後、陸軍砲工学校教官、伊大使館付武官など勤め国際連盟空軍代表、砲工学校長となる。最終階級は陸軍中将。家紋は丸に二引両紋。画像は青山霊園にて撮影。


西義一。1878年1月1日 – 1941年4月15日、陸軍軍人。
福島県出身。旧会津藩士・西忠義の長男として生れる。日露戦争では第2師団後備野砲中隊長として出征。後に、第8師団長となり満州で活動した。最終階級は陸軍大将。家紋は丸に二引両紋。画像は多磨霊園にて撮影。


上田良武。1878年5月6日 – 1957年2月21日、海軍軍人。
鹿児島県出身。読みは、うえだよしたけ。正四位勲三等功四級。1924年に海軍少将となる。最終階級は海軍中将。義勇財団海防義会の理事長となる。終戦後に第一次A級戦犯として指名を受ける。家紋は丸に一引両紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


三船久蔵。1883年4月21日 – 1965年1月27日、柔道家。
岩手県久慈町に生まれる。読みは、みふねきゅうぞう。身長159cm、体重55kgの小柄な体型ながら「空気投げ」などの新技をあみ出し最高位の十段を授けられ「名人」の称を受ける。「柔道の神様」とあがめられた。画像は鎌倉霊園の墓所にて撮影。


中勘助。1885年5月22日 – 1965年5月3日、作家・詩人。
東京神田生まれ。漱石の推薦で自伝的小説『銀の匙』を東京朝日新聞に連載。嫌味のない美しい文章は、今なお評価が高い。文壇政治から距離を置き特定の派閥にとらわれない孤高の文人だった。野上弥生子の初恋の人。画像は青山霊園にて撮影。


石原莞爾。1889年1月18日 – 1949年8月15日、陸軍軍人。
山形県西田川郡鶴岡で旧庄内藩士、石原啓介の息子。陸軍大学校を次席で卒業。満州事変を実行。23万の張学良軍を相手に僅か1万数千の関東軍で満州を占領した。スローガンは「王道楽土」「五族協和」。最終階級は陸軍中将。家紋は丸に三つ引両紋。


三神吾朗。1889年11月6日 – 1958年6月24日、プロ野球選手。
山梨県中巨摩郡出身。甲府電灯会社の創業者・三神有長の五男。日本にまだプロ野球が無い時代にアメリカのプロ野球チーム「オール・ネイションズ」でプレーしジャップ・ミカドという日本人選手として後世に伝説を残す。青山霊園の墓所にて撮影。


甘粕正彦。1891年1月26日 – 1945年8月20日、陸軍軍人。
宮城県出身。甘粕事件で軍法会議で懲役10年の刑を受けたが出獄。フランスに渡った後、満州事変の陰謀に加わり黒幕となる。満州国民政部警務司長に就任するが敗戦時に新京で服毒自殺した。最終階級は陸軍大尉。画像は多磨霊園にて撮影。


成田きん。1892年8月1日 – 2000年1月23日、タレント。
愛知郡鳴海村で矢野家の長女。長寿で話題となった双子姉妹の一人。愛称はきんさん。(妹はぎんさん)。血液型O。満107歳没。100歳を過ぎても元気な姿は「理想の老後像」と言われ国民的アイドルとして慕われた。家紋は成田家の丸に二引両紋。


新田純興。1897年1月14日 – 1984年8月1日、サッカー指導者。
裁判官の父・純孝の任地・函館にて出生。新田家は新田義貞の流れを組む。読みは、にったすみおき。大日本蹴球協会(現日本サッカー協会)創設に尽力。後にJFA常務理事に就任。日本サッカー殿堂入り。家紋は新田一つ引き紋。画像は谷中霊園にて撮影。


佐伯祐三。1898年4月28日 – 1928年8月16日、洋画家。。
大阪市出身。藤島武二に師事し東京美術学校に学ぶ。満30歳で死去するまでの6年足らずの画家生活の間、2回パリに滞在し、代表作の多くはパリで描かれている。代表作は『郵便配達夫』『パリの裏街』『ガス灯と広告』など。家紋は丸の内に二引両紋。


小国英雄。1904年7月9日 – 1996年2月5日、脚本家。
青森県八戸市出身。読みは、おぐにひでお。黒澤作品の脚本家として活躍。代表脚本は『生きる』『天国と地獄』。映画監督としては『ロッパ歌の都へ行く』『金語楼の親爺三重奏』を残す。家紋は丸の内の三引両紋。画像は多磨霊園にて撮影。


ディック・ミネ。1908年10月5日 – 1991年6月10日、歌手。
徳島市出身。本名は、三根徳一。東京帝国大学卒の厳格な教育者・三根円次郎(土佐中学校・高等学校・初代校長)を父に持ち、日光東照宮の宮司の娘を母に持つ。代表曲は『波止場がらす』『二人は若い』。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


古関裕而。1909年8月11日 – 1989年8月18日、作曲家。
福島県福島市の呉服店「喜多三」に出生。本名は古關勇治。読みは、こせきゆうじ。早大応援歌「紺碧の空」、高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」、阪神の「六甲おろし」など多くの応援歌の作曲を手がける。家紋は丸に二引き。画像は春秋苑にて撮影。


山形勲。1915年7月25日 – 1996年6月28日、俳優。
英国・ロンドン生まれ。本名は塙勲。時代劇の名悪役として名高い。『水戸黄門』の柳沢吉保役ははまり役。米国アカデミー賞と世界三大映画祭(カンヌ・ベルリン・ヴェネツィア)の全てで受賞。家紋は丸に二引両紋。画像は南池袋・玄静寺の墓所。


丘灯至夫。1917年2月8日 – 2009年11月24日、作詞家。
福島県田村郡小野新町出身。本名・西山安吉。読みは、おかとしお。代表作は『高原列車は行く』『高校三年生』等の歌謡曲や『ハクション大魔王』『みなしごハッチ』『ガッチャマンファイター』などのアニメ主題歌。家紋は丸の内に二引両紋。


村田英雄。1929年1月17日 – 2002年6月13日、演歌歌手、俳優。
佐賀県東松浦郡相知町出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町。本名は梶山勇。「王将」のミリオンヒットにより第4回日本レコード大賞特別賞を受賞。「人生劇場 飛車角」「兄弟仁義」等の任侠映画に出演。家紋は丸に二引両紋。記念館のHPのアイコンもこの紋。


三橋美智也。1930年11月10日 – 1996年1月8日、演歌歌手。
北海道函館市近郊の上磯町出身。本名は北沢美智也。春日八郎、村田英雄らとともに戦後日本を代表する流行歌手。代表曲は「古城」「哀愁列車」など多数。三橋美智也の家紋は丸に三つ引両紋だが、小平霊園の北沢美智也の墓には丸に橘紋がある。


オノ・ヨーコ。1933年2月18日 – 、前衛芸術家。平和運動家。
東京府出身。明治・大正期の銀行家、日本興業銀行の第4代総裁・小野英二郎の孫。ジョン=レノンと結婚。レノン死後も「愛と平和」のメッセージを世界に向けて発信し続ける。家紋は丸の内に一引両紋。画像は多磨霊園の小野家墓所にて撮影。


高橋悦史。1935年8月2日 – 1996年5月19日、俳優で、声優。
大阪府岸和田市に大工の息子。日活映画『私、違っているかしら』に出演し映画デビュー。岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』の青年将校役に抜擢され注目を浴びる。出演作『戦争と人間』『皇帝のいない八月』等。画像は春秋苑にて撮影。


片岡仁左衛門 (15代目)。1944年3月14日 – 、歌舞伎役者、俳優。
大阪府に生まれる。十三代目片岡仁左衛門の三男。芸術祭賞、毎日芸術賞、紫綬褒章等を受賞。テレビドラマ「太閤記」「太平記」「元禄太平記」等に出演。家紋は丸に二引両。また池上本門寺の片岡氏墓所には一つ銀杏巴の紋がある。


ピーコ。1945年1月18日 – 、タレント、評論家。
神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。本名:杉浦克昭。映画評論家のおすぎは一卵性双生児の弟。古舘伊知郎のスタイリストを担当。『とくダネ!』『笑っていいとも!』のレギュラー。『笑っていいとも!』出演時に家紋は丸に三つ引であることを告白。


有元利夫。1946年9月23日 – 1985年2月24日、画家。
岡山県津山市(疎開先)に出生。妻は日本画家の有元容子。独自の宗教的な画風で知られる。『花降る日』で安井賞特別賞、『室内楽』で安井賞を受賞。代表作は「厳格なカノン」「望郷」「出現」等。家紋は丸に二引両紋。画像は谷中・長久院にて撮影。


大原麗子。1946年11月13日 – 2009年8月3日、俳優。
東京都文京区出身。実家は老舗の和菓子屋。数多くの映画、テレビドラマに出演。サントリーCMの「すこし愛して、なが~く愛して」のキャッチコピーはよく知られた。代表出演作『おはん』『春日局』等。家紋は丸に三つ引き両紋。墓は烏山の妙寿寺。


三浦友和。1952年1月28日 – 、俳優。
山梨県塩山市出身。本名は三浦稔。山口百恵(妻)と共演した主演映画・ドラマが次々とヒットし百恵友和コンビ=ゴールデンコンビと呼ばれた。代表出演作は『赤いシリーズ』『独眼竜政宗』等。結婚式披露宴の紋付と姓名より三つ引両と判断。


河野太郎。1963年1月10日 – 、政治家。
出身地は神奈川県平塚市。父は、元衆議院議長の河野洋平。祖父は元衆議院議員河野一郎。総務大臣政務官、法務副大臣を歴任。谷垣総裁の下で幹事長代理に正式に就任。家紋は丸に三つ引両紋。画像は小田原・成願寺の河野家墓所にて撮影。


栃東大裕。1976年11月9日 – 、元大相撲力士。
東京都足立区出身。元関脇・栃東知頼の次男。玉ノ井部屋に所属。序の口から幕の内まで各段優勝を果たす。最高位は大関。現在は年寄・14代玉ノ井。幕内最高優勝:3回。通算成績:560勝317敗169休(75場所)。家紋は丸に三つ引両。


琴奨菊和弘。1984年1月30日 – 、大相撲力士。
福岡県柳川市に建設会社の三男として生まれる。本名は菊次一弘。佐渡ヶ嶽部屋所属。得意技は左四つ、がぶり寄り、突き、押し。2011月9月場所で12勝を上げ、念願の大関昇進を果たす。時津風部屋の豊ノ島とは良きライバル。家紋は丸に二つ引両。

まさむね



1件のコメント

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