その他紋 -笠、銭、紅葉、鞠挟み、升、鉄線、稲妻、芭蕉、柿の花...- 千利休、棟方志功、小泉八雲...

このエントリーでは、これまで取り上げた以外の家紋をまとめて取り上げる。

石畳紋:着物の柄としても人気の市松模様、石畳文様を家紋にした。


柳亭種彦。1783年6月11日 – 1842年8月24日、戯作者。
食禄200俵の旗本の高屋家の一人息子として江戸の本所に出生。洒落本『山嵐』を出版。山東京伝、葛飾北斎、歌川国貞らと交わる。長編『偐紫田舎源氏』はベストセラーとなり、キャラクターグッズまで販売されたが天保の改革により譴責された。


楠瀬幸彦。1858年4月28日 – 1927年3月20日、陸軍軍人。
土佐国出身。藩士・楠瀬正志の長男。読みは、くすせさちひこ。閔妃暗殺事件に係わったとされる。軍部大臣現役武官制改正問題でもめた木越安綱の後を受け陸軍大臣に就任。最終階級は陸軍中将。家紋は子持ち輪に一つ石紋。画像は多磨霊園にて。


仁科亜季子。1953年4月3日 – 、俳優。
東京都出身。父は歌舞伎俳優・十代目 岩井半四郎(本名は仁科周芳)。本名は仁科章子。元夫は松方弘樹。出演作品は映画「悪魔の手毬唄」「はつ恋」、NHK大河テレビドラマ「勝海舟」など多数。家紋は父親の葬儀の時の写真より石畳紋と判断。


井口清兵衛。江戸時代、侍。
藤沢周平著の短編小説、「たそがれ清兵衛」の主人公。庄内・海坂藩の御蔵役五十石取りの平侍。山田洋次監督による同名の日本映画が2002年に公開されている。清兵衛役には真田広之が起用された。時代考証に1年以上をかけたという。家紋は石畳紋。


山形紋:山を形象化した紋。


伊地知幸介。1854年2月3日 – 1917年1月23日、陸軍軍人。
薩摩藩士伊地知直右衛門の長男として生まれる。薩摩閥の1人。西南戦争、日清戦争、日露戦争に出征。最終階級は陸軍中将。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』より辛辣な評価が一般的に広く知られている。家紋は三ツ盛り山紋。青山霊園の墓所にて撮影。


田川大吉郎。1869年11月29日 – 1947年10月9日、記者、政治家。
肥前国大村藩の藩士の長男。読みは、たがわだいきちろう。元老山県有朋を批判する論文が新聞法違反で有罪とされる。明治学院大学総理、日本基督教連盟常議員を就任。戦後は社会党衆議議員となる。家紋は丸に違い山形紋。画像は多磨霊園にて撮影。


重宗雄三。1894年2月11日 – 1976年3月13日、政治家、実業家。
山口県岩国市出身。運輸大臣、自民党参議院議員会長などを経て、参議院議長となり、9年間務める。参議院のドンとして、池田勇人、佐藤栄作内閣を支える。その権力ゆえに「重宗天皇」などと称された。家紋は丸に違い山形紋。谷中霊園にて撮影。


都井睦雄。1917年3月5日 – 1938年5月21日、犯罪者。
岡山県苫田郡加茂村大字倉見に生まれた。2時間足らずで30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡し、3名が重軽傷を負うという、日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件(津山三十人殺し)の犯人。家紋は丸に違い山形紋。


笠紋:竹を立てると書いて「笠」、笠は元々神のより代であった。高橋姓の代表紋。


柳生宗矩。1571年 – 1646年5月11日、武将、大名、剣術家。
大和国柳生の領主で剣術家・柳生宗厳の五男。読みは、やぎゅうむねのり。関ヶ原の戦いで功を立て旧領の大和国柳生庄を取り戻す。将軍家師範(柳生新陰流の家元)としての地位を確立。家紋は柳生笠紋。画像は多磨霊園の別の柳生家の墓所で撮影。


熊沢蕃山。1619年 - 1691年9月9日、陽明学者。
京都稲荷の浪人・野尻藤兵衛一利の息子。通称は次郎八・助右衛門。母方の祖父、熊沢守久の養子となり熊沢姓を名乗る。中江藤樹の門下に入り陽明学を学び岡山藩に出仕。農業政策を充実させた。その思想は幕末期に吉田松陰などに影響を与えた。


月森十兵衛。元禄時代、侍。
池波正太郎原作のテレビ時代劇「編笠十兵衛」の主人公。将軍側近中根正冬の部下で、公儀隠密の資格を持つ。公儀の歪みを正す剣豪の活躍を描く忠臣蔵外伝である。テレビシリーズでは、高橋英樹、村上弘明等が主人公を演じている。家紋は二階笠紋。


升紋:升は昔から「増す」の意味で、めでたいものとされていた。四角い升を上からみたデザイン。


市川団十郎。江戸時代~、歌舞伎役者の名跡。
屋号は成田屋。歌舞伎の市川流の家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。現在は、十二代目。定紋は三升。写真は、青山霊園の市川団十郎の墓所の、花入れを上から撮影したもの。


三升亭小勝 (4代目)。1856年3月 – 1906年4月6日、落語家。
江戸出身の落語家。本名は石井清兵衛。日本橋箱崎町の船宿鈴木屋の息子。伊志井寛の父、石井ふく子の祖父、石井希和の曽祖父。初めは3代目春風亭柳枝門下で枝雀を名乗り、後に2代目の春風亭柏枝と改める。「狸の小勝」と言われた。家紋は三升紋。


市川左團次(四代目)。1940年11月12日 – 、俳優、歌舞伎役者。
本名は荒川欣也。長男に六代目市川男女蔵、孫に七代目市川男寅がいる。『勧進帳』の常陸坊、『助六』の意休などが当り役。テレビでは大河ドラマ『義経』で金売り吉次役を演じる。家紋は三升に左字紋。画像は本門寺の三代目の墓所にて撮影。


鞠挟み紋:平安時代の貴族の遊戯、蹴鞠を挟む道具を図案化した紋。


幣原喜重郎。1872年9月13日 – 1951年3月10日、政治家。
大阪府門真一番村の豪農の家に出生。読みは、しではらきじゅうろう。加藤高明内閣を始め4回も外務大臣になる。自由主義体制における国際協調路線は幣原外交と称された。後に第44代内閣総理大臣となる。家紋は鞠挟みに梅鉢紋。画像は染井霊園にて撮影。


小畑惟清。1883年6月2日 – 1962年7月23日、元日本医師会会長。
熊本県出身。読みは、おばたいせい。論文『胎児骨盤の化骨核』により医学博士となる。東京都特別区公安委員長、日本医科大学監事、東京都医師会会長などを歴任。藍授褒章受章。家紋は鉄砲角に八段鞠挟み紋。画像は多磨霊園にて撮影。


大西瀧治郎。1891年6月2日 – 1945年8月16日、海軍軍人。
兵庫県氷上郡芦田村出身。神風特別攻撃隊の編成を行なったことにより「特攻の父」「特攻生みの親」などと呼ばれている。最終階級は海軍中将。日本の敗戦を見とどけ8月16日に自決。家紋は鞠挟みに違い鷹の羽紋。画像は総持寺にて撮影。


杵紋:杵は餅つきの祝時に用いる。杵紋は慶祝を表す。


岡田以蔵。1838年2月14日 – 1865年6月4日、土佐藩郷士。
香美郡岩村の郷士・岡田義平の長男。武市瑞山の結成した土佐勤王党に加盟。井上佐市郎、本間精一郎などを暗殺し「人斬り以蔵」と恐れられた。吉田東洋暗殺・京洛における一連の暗殺の罪で捕縛。打ち首、晒し首となる。家紋は丸に並び杵紋。


井上毅。1844年2月6日 – 1895年3月15日、官僚、政治家。
熊本藩家老長岡監物の家臣飯田家に生まれ井上茂三郎の養子になる。明治政府の司法省に仕官する。大日本帝国憲法皇室典範教育勅語軍人勅諭などの起草に参加。第2次伊藤内閣の文相。家紋は折敷に三つ並び杵紋。谷中・瑞輪寺にて撮影。


内藤鳴雪。1847年4月15日 – 1926年2月20日、俳人。
伊予松山藩の上級武士内藤房之進の長男。正岡子規を俳句の師とし高浜虚子のホトトギス、万朝報、読売新聞等の俳句選者になる。家紋は内藤氏の「輪鼓に手鞠」の手鞠を三日月に輪鼓を杵に見立てた真向い月に杵紋。画像は青山霊園にて撮影。


杉紋:三輪神社の神紋。日本古来の自然信仰にルーツを持つ人々の紋といえる。


岩瀬忠震。1818年12月18日 – 1861年8月16日、幕臣、外交官。
旗本設楽貞丈の三男で、男系で伊達政宗の子孫にあたる。読みは、いわせただなり。列強との折衝に尽力。水野忠徳、小栗忠順と共に幕末三俊と顕彰された。島崎藤村の「夜明け前」にも登場する。家紋は丸に三本杉紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


杉孫七郎。1835年2月13日 – 1920年5月3日、長州藩士、官僚。
周防国吉敷郡に植木五郎右衛門の次男として生まれ杉家の養子となる。下関戦争では井上馨とともに和議に尽くし、四境戦争では長州軍の参謀として活躍。維新後には宮内大丞、秋田県令、枢密顧問官を歴任。家紋は重ね三本杉紋。青山霊園の墓所にて撮影。


戸川猪佐武。1923年12月16日 – 1983年3月19日、評論家・作家。
神奈川県平塚市出身。父親は小説家で平塚市長の戸川貞雄。新聞記者から評論家に転じ、TBSの『JNNニュースコープ』でメインキャスターを務める。代表作は『小説吉田学校』『小説三木武吉』等。家紋は藤原流戸川氏の代表紋の三本杉紋。


茶の実紋:橘紋に類似。お茶の名産地、静岡で29位に食い込んでいるが、他府県では少数派。


吉田豊彦。1873年11月1日 – 1951年1月10日、陸軍軍人。
薩摩藩士・大坂蔵屋敷詰吉田信之助の長男として出生。読みは、よしだとよひこ。陸軍造兵廠長官、陸軍技術本部長等を歴任。最終階級は陸軍大将。軍を退いてからは日本製鐵取締役や満州電業社長を務める。家紋は茶の実紋。画像は多磨霊園にて撮影。


柳川春葉。1877年3月5日 – 1918年1月9日、小説家、劇作家。
東京府下谷区にて出生。父は龍野藩の江戸詰家老。尾崎紅葉のもとに弟子入りする。後に紅葉門下の四天王と呼ばれ、家庭小説を多く残した。代表作は『白すみれ』『生さぬ仲』。家紋は折敷に違い茶の実紋。画像は芝・天光院の墓所にて撮影。


佐藤春夫。1892年4月9日 – 1964年5月6日、小説家、詩人。
和歌山県東牟婁郡新宮町に医師の長男として生まれる。代表作は『黒潮』『田園の憂鬱』詩集『我が一九二二年』等。門人に井伏鱒二、太宰治、檀一雄、吉行淳之介、柴田錬三郎、遠藤周作などがいる。家紋は三つ茶の実紋。文京区の伝通院にて撮影。


銭紋:貨幣は呪術的な側面がある。縁起物として紋として使用された。


真田昌幸。1547年 – 1611年7月13日、武将・大名。
甲斐武田氏家臣となった信濃の地域領主・真田氏の出自。真田氏は滋野氏流を称する海野氏の傍流。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退した。戦国時代きっての知将と言われる。家紋は六文銭。画像は月桂寺。柳沢信鴻側室で真田信弘の娘の墓所で撮影。


仙石秀久。1552年2月20日 – 1614年6月13日、武将・大名。
美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。秀吉最古参の家臣で、家臣団では最も早く大名に出世。信濃小諸藩の初代藩主。出石藩仙石家初代。家紋は丸に無の字紋と永楽銭紋。


鉄線紋:鉄線は、梅雨の頃るり色の花をつけるツル草の一種。根は通風の薬となる。


櫻間伴馬。1836年1月6日 – 1917年6月24日、能楽師。
熊本の中職人町で櫻間家の長男として出生。櫻間家の遠祖は藤崎八旛宮の創建に従って熊本に下り、現在同社の末社として祀られている藤田蔵人という神官。初世梅若実、16世宝生九郎とともに「明治の三名人」の一角に数えられる。家紋は鉄線紋。


笹川臨風。1870年9月2日 – 1949年4月13日、歴史家、評論家。
東京神田生まれ。本名は種郎。歴史書、美術批評、小説など幅広い著述活動を行う。肉筆浮世絵の偽造事件の共犯容疑で警察に勾留された。代表作は『支那小説戯曲小史』『和歌から見た日本女性』など多数。家紋は鉄線紋。画像は染井霊園の墓所。


独楽紋:独楽は子供の遊戯。遊び心とバランス感覚、不思議さを表現か。ホイノシ紋が起源(高澤等説)


千利休。1522年 – 1591年4月21日、茶人。
和泉・堺の商家(屋号・魚屋(ととや))の生まれ。家業は納屋衆(倉庫業)。わび茶の完成者として知られる。織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として雇われ、豊臣秀吉に仕えたが、後に対立し切腹させられる。画像は利休ゆかりの大徳寺・聚光院にて。


木下利玄。1886年1月1日 – 1925年2月15日、歌人。
備中・足守藩最後の藩主・木下利恭の弟・利永の二男。利恭の死去により宗家・木下子爵家の養嗣子となり家督を継ぐ。武者小路実篤や志賀直哉らと共に文芸雑誌「白樺」を創刊。白樺派の代表的歌人の一人。家紋は木下独楽と菊桐。画像は青山霊園にて撮影。


紅葉紋:藤原北家の閑院流の今出川家の代表紋。散りゆく紅葉は嫌われ、使用家は少ない。


福沢諭吉。1835年1月10日 – 1901年2月3日、教育者、著述家。
豊前国中津藩の蔵屋敷で下級藩士福澤桃介・於順の次男として生まれる。東京学士会院初代会長、慶應義塾創設者。新聞『時事新報』の創刊者。代表作品は「学問のススメ」「西洋事情」「福翁自伝」など。画像は多磨霊園の息子・福沢桃介の墓所にて撮影。


市川門之助(7代目)。1928年9月7日 – 1990年10月13日、役者。
東京市渋谷区宇田川町の生まれ。屋号は瀧乃屋。本名は相馬孝至。尾上菊五郎劇団に属する。菊五郎劇団賞、松竹社長賞等を受賞。日立新キドスカープのCMに出演、話題を呼ぶ。家紋は四ツ紅葉。画像は雑司が谷霊園の墓所にて撮影。


梨紋(唐梨紋):梨の切り口の形状とも異なり、元々何の紋だったのかが不明な謎の紋。


永井尚志。1816年11月3日 – 1891年7月1日、武士(旗本)。
三河奥殿藩の第5代藩主・松平乗尹とその側室の間に生まれた。外国奉行に任じられ、諸外国との交渉を務め、通商条約調印を行なう。また、禁門の変で朝廷と交渉。戊辰戦争では、榎本武揚と共に戦うが降伏。画像は本行寺の永井家墓所にて撮影。


永井龍男。1904年5月20日 – 1990年10月12日、小説家、随筆家。
東京市神田区猿楽町出身。文芸春秋時代は『オール讀物号』『文芸通信』誌の編集長、後に専務を務める。戦後、小林秀雄らと『新夕刊』を創刊するがGHQにより公職追放となる。代表作は『一個 その他』『わが切抜帖より』。画像は斎海寺にて撮影。


角紋:カク紋と読む。八角のものを折敷紋、六角のものを亀甲紋という。


出羽重遠。1856年1月17日 – 1930年1月27日、海軍軍人。
会津若松城下に会津藩士・出羽佐太郎重信を父として誕生。戊辰戦争では白虎隊に属して戦う。薩摩藩出身者以外で初めて海軍大将となる。軍事参議官在任中にシーメンス事件査問委員長を務めている。家紋は違い隅入角紋。画像は青山霊園にて撮影。


八千草薫。1931年1月6日 -、女優。
大阪出身。幼少時父を亡くし以後母一人子一人で育つ。本名、谷口瞳。旧姓、松田。第27回日本アカデミー賞「優秀助演女優賞」『阿修羅のごとく』。代表作は『宮本武蔵』『ハチ公物語』『田園に死す』『阿修羅のごとく』。家紋は、隅入鉄砲角。


熨斗紋:贈り物に供える熨斗(のし)をデザインにした紋。


大村清一。1892年5月4日 – 1968年5月24日、政治家。
岡山県津山市に生まれる。第1次吉田内閣の閣僚として日本国憲法の公布文に名前を残す。長野県知事、神奈川県知事を経て第1次鳩山内閣の防衛庁長官に就任。 子の大村襄治も鈴木善幸内閣では防衛庁長官。家紋は丸に熨斗輪紋、画像は小平霊園にて撮影。


高柳重信。1923年1月9日 – 1983年7月8日、俳人。
東京市小石川区生れ。富沢赤黄男に師事。金子兜太とともに前衛俳句の旗手となる。俳誌「俳句評論」代表、総合誌「俳句研究」(俳句研究新社)編集長を歴任。夏石番矢らを見出した。家紋は熨斗の丸に半源氏車紋。画像は冨士霊園にて撮影。


結び紋:水引を表す。人と人とのつながり、瑞祥的な意味合いのある家紋。


前野良沢。1723年 – 1803年11月30日、藩医で蘭学者。
母方の大叔父の宮田全沢に養われる。長崎への留学の際に入手した西洋の解剖書『ターヘル・アナトミア』を杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周ら盟友と3年5ヶ月で翻訳し『解体新書』を編纂した。家紋は角宝結び。画像は杉並区の慶安寺にて撮影。


伊地知正治。1828年7月21日 – 1886年5月23日、藩士、政治家。
薩摩藩士伊地知季平の次男として鹿児島城下千石馬場町に生まれる。精忠組に参加。薩英戦争や戊辰戦争で大きな功績を挙げた。後に左院議長、と参議を兼任し、修史館総裁、一等侍講、宮中顧問官などを歴任。家紋は丸に鮑結び紋。青山霊園にて撮影。


田字草紋:四枚の葉が田の字に似ていることから田字草紋という。


新井白石。1657年3月24日 – 1725年6月29日、政治家・学者。
先祖は、上野国新田郡新井村(群馬県太田市)の土豪。江戸生まれ。六代将軍・家宣、七代将軍・家継のブレーンとして正徳の治を行う。引退後は『藩翰譜』『読史余論』『西洋紀聞』『折たく柴の記』などを著す。家紋は花菱紋、竹雀紋、田の字紋。


ミヤコ蝶々。1920年7月6日 – 2000年10月12日、女優、漫才師。
東京市日本橋小伝馬町出身。神戸市育ち。本名は日向鈴子。長らく上方漫才・喜劇界をリードした、関西を代表するコメディ女優。紫綬褒章、勲四等宝冠章を受章。2008年にはミヤコ蝶々記念館がオープン。家紋は丸に田字草紋(丸に花勝見紋)。


蕨紋:比較的写実的な蕨紋に対して、花蕨紋は蕨にも似ておらず、謎が多い。


石黒敬七。1897年8月10日 – 1974年10月1日、柔道家、随筆家。
新潟県柏崎比角出身。警視庁で柔道師範を務める。渡仏しオペラ座で柔道のエキジビジョンを行う。戦後はNHKのラジオ番組「とんち教室」に出演。写真のコレクターとしても有名。著書「柔道千畳敷」がある。家紋は丸に花蕨紋。了ごん寺墓地にて撮影。


久和ひとみ。1960年9月25日 – 2001年3月1日、キャスター。
東京都武蔵野市出身。『CNNデイウォッチ』『JNNニュースの森』『TXNニュースアイ』等でキャスターを務める。好角家としても著名であった。死後、奨学金「久和ひとみスカラシップ」が創設された。家紋は丸に横花蕨紋。画像は、多磨霊園の墓所にて撮影。


分銅紋:財宝を意味する。商売繁盛を祈ったのであろう。


岩野泡鳴。1873年1月20日 – 1920年5月9日、小説家・詩人。
兵庫県洲本市出身。詩人として文壇入りし小説家に転進。田山花袋、島村抱月に次ぐ自然主義文学者として活躍。神秘的半獣主義、霊肉一致、刹那主義を提唱。奇矯な言動が多かった。家紋は鉄砲亀甲に丸に分銅紋。雑司ヶ谷霊園にて撮影。


岩田宙造。1875年4月7日 – 1966年2月22日、政治家。
山口県立野村に樋山彦七の二男として生まれ、岩田金蔵の養子となる。読みは、いわたちゅうぞう。貴族院議員勅撰。東久邇宮内閣で司法大臣。幣原内閣でも留任した。国民政治協会の前身の国民協会初代会長。家紋は分銅紋。画像は多磨霊園にて撮影。


稲妻紋:雷神の力にあやかった紋。通常「雷紋」


立見尚文。1845年8月21日 – 1907年3月6日、陸軍軍人。
父は桑名藩士江戸勤番・町田伝太夫。幕府陸軍に出向。北越戦争ではゲリラ戦を展開し、官軍を度々壊滅、敗走させる。明治以降は明治陸軍入り。日露戦争の黒溝台会戦で活躍。最終階級は陸軍大将。家紋は平稲妻紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


車寅次郎。1969年 – 1997年、「男はつらいよシリーズ」主人公。
東京葛飾柴又の門前にある老舗の草団子屋「くるまや」五代目主人・車平造と柴又芸者・菊の間に生まれる。葛飾商業を中退 して放浪の旅暮らしのテキヤとなる。あだ名は「フーテンの寅」。家紋はくるまやの紋の稲妻紋(画像は帝釈天で撮影)。


蓮紋:「日本家紋総覧」(能坂利雄著)よれば、明治時代以降の創作紋。


森敦。1912年1月22日 – 1989年7月29日、小説家。
長崎市出身。幼少期はソウルで暮らした。太宰治、檀一雄らと『青い花』創刊に参加。「月山」で第70回芥川賞受賞。代表作は『鳥海山』『意味の変容』。浅田彰、中上健次、柄谷行人等、崇拝者は多い。家紋は蓮の丸。画像は光照寺にて撮影。


柳紋:おそらく、柳家によって創作された新紋。


干刈あがた。1943年1月25日 – 1992年9月6日、小説家。
東京都出身。本名浅井和枝(旧姓柳)。全共闘世代の女性を鋭い同時代性を持って描いた。代表作は『ウホッホ探険隊』『ゆっくり東京女子マラソン』『ホーム・パーティー』『黄色い髪』。家紋は柳の丸紋。画像は青梅・宗建寺の柳家墓所にて撮影。


杜若紋:平安時代から、花山院家などで車紋として使用される。


花山院弘匡。1962年 – 、宮司。
佐賀県生まれ。花山院家は藤原道長の孫で関白師実の二男家忠を祖として創立。五摂家に次ぐ九清華家の一つで旧侯爵家。高校教師を務めた後、春日大社宮司に就任し、現在に至る。家紋は杜若菱紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


槌紋:財宝に恵まれること、敵を討つことを表す。


結城豊太郎。1877年5月24日 – 1951年8月1日、銀行家、政治家。
山形県南陽市赤湯出身。酒造業を営む結城家に生まれる。安田学園理事長、日本興業銀行第6代総裁、商工組合中央金庫初代理事長、日本商工会議所第5代会頭、大蔵大臣、拓務大臣、日本銀行総裁を歴任。家紋は丸に槌紋。画像は青山霊園にて撮影。


垣紋:垣とは、神社に張り巡らされた瑞垣のこと。名奉行、大岡越前守もこの紋を使用。


大岡昇平。1909年3月6日 – 1988年12月25日、小説家・評論家。
東京市牛込区新小川町出身。両親は和歌山出身で父・貞三郎は株式仲買人、母・つるは元芸妓であり、結婚後上京したという。代表作は『俘虜記』『武蔵野夫人』『野火』等。家紋は、丸に大岡玉垣。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


瓜紋:メロンの一種の真桑瓜が家紋となった。末代まで子孫を残すことを祈願した紋。


松尾國三。1899年6月8日 – 1984年1月1日、実業家・興行師。
旅役者から立身出世して興行界やレジャー産業で幅広く活躍、「昭和の興行師」、「芸能界の黒い太陽」の異名をもつ。雅叙園、富士興業、日本ドリーム観光株式会社の社長となる。家紋は丸に五つ瓜紋。画像は寛永寺第一霊園にて撮影。


烏紋:古代、烏信仰は絶大であった。八咫烏は神武東征を先導。サッカー日本代表のシンボルでもある。


鈴木(雑賀)孫一。1534年 – 1589年5月2日、雑賀衆の有力者。
和歌山市平井あたりを本拠地としていた土豪。石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り織田信長の軍勢を苦しめた。その後、関ヶ原の戦いでは鳥居元忠を討ち取るなどの軍功を挙げ、水戸藩に仕官。家紋は八咫烏。画像は芝の熊野神社で撮影。


竜紋:竜は神聖な動物で、雨を恵む竜神として崇められた。その力にあやかった紋。


瀬木博尚。1852年11月17日 – 1939年1月22日、実業家。
富山県富山市出身。東京都日本橋本銀町に教育雑誌の広告取次店・博報堂を開業。日刊『内外通信』を発刊、社名を「内外通信社」と改称する。宮武外骨のコレクションを元に「明治新聞雑誌文庫」を設立。家紋は雨竜の丸紋。画像は谷中霊園にて撮影。


蕪紋:蕪は春の七草の一つ。蕪は邪気を払うと言われている。


西寛二郎。1846年4月5日 – 1912年1月27日、陸軍軍人。
薩摩藩士、西太郎兵衛の長男として生まれ、幼少の頃から島津久光に仕えた。戊辰戦争・鳥羽伏見の戦い等転戦。維新後にも佐賀の乱、台湾出兵、日清戦争に従軍。陸軍大将に昇級する。家紋は抱き蕪の葉に蕪紋。青山霊園の墓所にて撮影。


打板紋:禅宗で食事などを知らせるための道具。宗教的意義として家紋となる。


財部彪。1867年5月10日 – 1949年1月13日、海軍軍人。
宮崎県都城市出身。読みは、たからべたけし。日清戦争に従軍。日露戦争の大本営作戦参謀。加藤友三郎内閣以降4度の海軍大臣を勤める。ロンドン海軍軍縮会議では若槻禮次郎と共に全権となり同条約を成立させた。家紋は丸に打板紋。青山霊園にて撮影。


羊歯紋:正月の門飾りの裏白羊歯の葉を家紋にした。瑞祥的に用いられる。


橋本虎之助。1883年6月6日 – 1952年1月26日、陸軍軍人。
愛知県出身。父も軍人で中佐を務めている。陸軍きってのロシア通。ロシア大使館附武官補佐官、ロシア大使館附武官などを歴任した。水師営の会見に於いては先導役を務めた。最終階級は陸軍中将。家紋は羊歯の丸紋。画像は多磨霊園にて撮影。


合子箸紋:合子(蓋付器)に箸を表すが、元々は蛇の目に二引両(高澤等説)と言われる。


蜷川式胤。1835年6月18日 – 1882年8月21日、古美術研究家。
京都出身。読みは、にながわのりたね。内務省博物館掛として奈良・京都の古社寺や華族の宝物調査を行い、正倉院の宝物模写図に奥書を残す。著作に『旧江戸城写真帖』『観古図説 陶器之部』がある。家紋は二つ合子に箸紋。画像は谷中霊園にて撮影。


琴柱紋:琴の弦を立てる道具。形状の面白さから家紋となったのか。


関義臣。1839年5月22日 – 1918年3月30日、政治家。
福井藩士・山本五郎の三男。読みは、せきよしおみ。藩幹事・橋本左内に認められ昌平坂学問所に学ぶ。亀山社中、海援隊に参加。維新後は大審院検事、徳島県知事、山形県知事、貴族院議員を歴任。家紋は丸に二つ立ち琴柱紋。青山霊園にて撮影。


繋ぎ馬紋:平将門が乱を起こしたとき、天から降ってきた天馬が家紋となる。


上山草人。1884年1月30日 – 1954年7月28日、俳優。
宮城県涌谷町出身。本名三田貢。読みは、かみやまそうじん。新劇から転身、渡米してハリウッド映画創成期の映画俳優となった。『七人の侍』では盲目の琵琶法師として出演。代表出演作『マダムX』『赤西蠣太』等。画像は青山霊園にて撮影。


鳥居紋:神社の鳥居を紋所とした。神職関係者で多く使用される。


天津乙女。1905年10月9日 – 1980年5月30日、女優。
東京都出身。本名は、鳥居栄子。宝塚歌劇団所属。「宝塚の至宝」と呼ばれた。芸名は僧正遍昭の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」から。紫綬褒章受章。勲四等宝冠章受勲。家紋は鳥居垣紋。画像は谷中霊園にて撮影。


山道紋:山道を表す。山道だから屈折している。


樺山資紀。1837年12月9日 – 1922年2月8日、海軍軍人、政治家。
薩摩藩士、橋口与三次の三男に生まれ、同藩士、樺山四郎左衛門の養子となる。読みは、かばやますけのり。第1次山縣内閣、第1次松方内閣では海軍大臣に就任。最終階級は海軍大将白洲正子の祖父にあたる。家紋は丸に二本山道紋。染井霊園にて撮影。


輪鼓紋:輪鼓とは中国伝来の遊具の一種。曲独楽とも呼ばれる。


松永安左エ門。1875年12月1日 – 1971年6月16日、実業家。
壱岐島出身。慶応義塾在学中に福澤桃介と知り合う。戦後、電気事業再編成審議会会長として9電力会社への事業再編、値上げを強行し電力の鬼と呼ばれる。茶人としても知られ耳庵の号を持つ。家紋は丸に中陰輪鼓紋。画像は壱岐島の松永家墓所にて撮影。


甲貝紋:甲貝は、テングニシとも呼ばれる貝。その味は、さざえと並び称され、美味と言われている。


渡辺崋山。1793年10月20日 – 1841年11月23日、政治家・画家。
田原藩士である父・渡辺定通の長男として生まれる。代表画は「鷹見泉石像」「佐藤一斎像」など。幕府の保守的海防方針を批判し、国元田原で蟄居(蛮社の獄)。地元、田原中学校の校章もこの甲貝を使用。画像は谷中霊園、息子の小華の墓で撮影。


額紋:神社仏閣の額を紋章化したもの。二八と描かれたものもある。小出姓の代表紋。


小出英尚。1849年10月18日 – 1905年9月27日、藩主。
丹波園部藩の第10代(最後)の藩主。吉親系小出家10代。幕末の動乱期では早くから朝廷に味方して、京都の警備などを勤める。幕府が大政奉還した後は完全に新政府側に与し、西園寺公望が指揮する山陰道鎮撫軍に従った。画像は天王寺墓地にて撮影。


源氏香図紋:香道で使用される組香の一種、縦5本の線を基本として構成される源氏香図の紋章。


泉鏡花。1873年11月4日 – 1939年9月7日、小説家。
石川県金沢市下新町出身。父・清次は象眼細工・彫金等の錺職人。尾崎紅葉の『二人比丘尼 色懺悔』を読んで衝撃を受け、文学に志す。代表作は「高野聖」「草迷宮」「婦系図」。家紋は源氏香紋の中の紅葉賀。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


蛙紋:蛙紋はめずらしい。おそらく、下記の澤田正二郎の蛙紋はオリジナル紋。


澤田正二郎。1892年5月27日 – 1929年3月4日、俳優。
松井須磨子と対立し、術座を脱退した後、新国劇を立ち上げる。歌舞伎よりもリアルな立ち回りを多用した時代物で男性客の人気を得る。1987年、創立70周年記念公演を終えた後、解散。柳に蛙紋とでも呼ぶべき紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


千鳥紋:平安時代から文様として使用されたカワイイ紋。


曽我廼家十郎。1869年5月27日 – 1925年12月4日、喜劇役者。
本名:和田 久一。大阪府堺市か岸和田市出身の二説あり。日露戦争をネタにした「無筆の号外」が大当たり。三十六歌仙にあやかり「36快笑」として天満天神に奉納する。舞台俳優として活躍する一方で、1000余りの脚本を遺した。家紋は陰千鳥紋。


幣紋:幣とは神道の祭祀道具。熊野神職の穂積氏に多い。


望月優子。1917年1月28日 – 1977年12月1日、女優、政治家。
神奈川県横浜市出身。「日本の悲劇」「おふくろ」「米」などで母親役を熱演し三益愛子と並ぶ母物映画女優と呼ばれた。ブルーリボン賞主演女優賞獲得。参院選に社会党公認で全国区から出馬し当選。家紋は丸に御祓幣紋。画像は多磨霊園にて撮影。


祇園守紋:京都の八坂神社の神紋。キリシタンのカモフラージュ紋としても使用される。


中村歌右衛門。1917年1月20日 – 2001年3月31日、役者。
明治の名優五代目中村歌右衛門の次男。本名は河村藤雄。屋号は成駒屋。替紋は裏梅。生涯を通じて歌舞伎の女形に専念。戦後歌舞伎界の最高峰といわれた。日本芸術院会員、重要無形文化財(人間国宝)に認定される。多磨霊園にて撮影。


糸巻紋:糸を巻くための道具。江戸中期以降に家紋となった。


大妻コタカ。1884年6月21日 – 1970年1月3日、教育家。
広島県世羅郡出身。コタカは忙しい時に『困った児』」が訛ったもの。主著に『現代裁縫全書』『模範裁縫教科書』がある。大妻学院(現大妻女子大学)の創立者。家紋は丸に平糸巻紋。大妻女子の校章もこの紋がアレンジされている。多磨霊園にて撮影。


髭の丸紋:歌川豊国の専用紋。筆で描かれた円か?


歌川豊国。1769年年 – 1825年2月24日、浮世絵師。
本名は倉橋熊吉。後に熊右衛門。芝神明前の人形師・五郎兵衛の息子。歌川派の創始者・歌川豊春の元で学び、歌川豊国を称する。理想の美しさを表現した役者絵や美人画で絶大な人気を得た。一方で数多くの弟子を育て歌川派の興隆をもたらした。


荻紋:荻野氏、荻氏など、名前に荻のつく家の代表紋の一つ。


荻昌弘。1925年8月25日 – 1988年7月2日、映画評論家。
東京都出身。TBSテレビ『月曜ロードショー』の解説者、日本レコード大賞の審査員を務めた。食通としても知られ、「男の料理」の先駆者でもあり、その方面の著書も多い。家紋は抱き荻に対い雀。新紋かと思われる。画像は谷中の本行寺にて撮影。


采配紋:軍の指揮具である采配を紋にした。長沼氏の専用紋。


長沼国郷。1688年 – 1767年、剣術家。
下野出身。山田光徳の三男として生まれる。通称は四郎左衛門。従来の剣道を形本位から実戦稽古にきりかえ、直心影流を大きく飛躍させた。現在の剣道の仕合を本格的に始め、近代剣道の礎を築いた業績は大きい。家紋は違い采配紋。


割り石紋:菱紋とにているが、四角形が菱型ではなく、正方形になっている。


大井憲太郎。1843年9月3日 – 1922年10月15日、社会運動家。
豊前国宇佐郡高並村出身。旧姓、高並。戊辰戦争では幕軍に属して官軍と戦う。明治維新後は弁護士となり自由民権運動急進派の指導者として活躍。片山潜らと普通選挙期成同盟会を結成。家紋は丸に四つ割り石紋。雑司ヶ谷霊園にて撮影。


船紋:海事に関係のある家がその印として用いる。


名和長年。生年不詳 – 1336年8月7日、南北朝時代の武将。
伯耆国名和で海運業を営んでいた名和氏の当主。元弘の変で鎌倉幕府の討幕計画が露見し捕縛されて隠岐島に流罪となっていた後醍醐天皇が、島を脱出すると、これを船上山に迎え、討幕運動に加わる。建武の新政でも活躍。帆掛け船の家紋を与えられる。


鷺紋:神の使いとしての鷺を神紋としたことから始まる。


小泉八雲。1850年6月27日 – 1904年9月26日、新聞記者・小説家。
日本国籍を取得する前の旧名は、パトリック・ラフカディオ・ハーン。名前の「八雲」は、一時期、島根県の松江市に在住していたことから命名。家紋の鷺は、ファミリーネームの「ヘロン(鷺)」からとも言われる。主著は『骨董』『怪談』等。


鎌紋:鎌は農民の象徴だが、いざという時に武器になる。怖い紋。


小早川秀秋。1582年 – 1602年12月1日、大名。
木下家定の子で、豊臣秀吉の正室・高台院の甥にあたる。筑前、筑後・肥前の一部30万7000石を継承する。秀吉死後、越前北庄15万石へ転封。関ケ原の合戦で西軍を裏切ったことによって日本の歴史に名を残した。家紋は、丸に違い鎌。


芭蕉紋:かつて芭蕉の葉を破ることは武士にとって必勝を意味した。尚武的家紋。


棟方志功。1903年9月5日 – 1975年9月13日、板画家。
青森県出身。刀鍛冶職人の子として生まれる。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。代表作は『釈迦十大弟子』。家紋は抱き芭蕉紋。棟方志功記念館にて確認。


綿の花紋:結綿は真綿を結んだもので、祝儀に用いられた。綿の花紋は中岡慎太郎のオリジナル。


中岡慎太郎。1838年5月6日 – 1867年12月12日、志士。
土佐国安芸郡北川郷の大庄屋・中岡小傳次の長男。土佐勤王党に加盟して本格的に志士活動を展開し始める。陸援隊隊長。京都二本松薩摩藩邸において薩長の和解および薩長同盟を結実させる。近江屋事件で襲撃を受け2日後に絶命。家紋は丸に綿の花。


柿の花紋:柿の花をデザイン。武市氏だけが使用。


武市瑞山。1829年10月24日 – 1865年7月3日、土佐藩郷士。
土佐国吹井村に生まれる。父は土佐藩郷士の武市正恒。武市半平太と呼称される。武市家はもともと土地の豪農であったが後に郷士に取り立てられた家である。土佐勤王党を結成。「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹を命ぜられる。家紋は柿の花紋。


椿紋:武家における使用家は少ないが水天宮の神紋として知られている。


山脇東洋。1706年2月1日 – 1762年9月25日、医学者。
丹波国亀山に生まれる。医家清水家の生まれ。父が法眼山脇家の養子となる。国内初の人体解剖は蘭書の正確性を証明し、医学界に大きな影響を与える。実験医学先駆者として日本の医学の近代化に大きく貢献した。家紋は八重椿。画像は水天宮の椿紋。


猿紋:猿は日吉権現の眷属として神紋となっている。


市川猿之助(三代目)。1939年12月9日 – 、歌舞伎役者。
三代目市川段四郎の長男として東京に出生。本名は喜熨斗政彦。屋号は澤瀉屋。最初の妻(浜木綿子)との間の息子に俳優の香川照之がいる。スーパー歌舞伎という新境地を切り開いた通称・歌舞伎界の異端児。定紋は澤瀉、替紋は三ツ猿。


八葉蓮華紋:創価学会のシンボルマーク。


アイ高野。1951年1月12日 – 2006年4月1日、歌手、ドラマー。
東京都出身。本名、高野元成。「ザ・カーナビーツ」を結成し『好きさ好きさ好きさ』が大ヒット。その後、「ザ・ゴールデン・カップス」「クリエイション」に参加。80年代以降はアニメ主題歌等もリリース。画像は御田いずみ霊園にて撮影。


創作紋:墓所には時に、故人を記念するようなオリジナルな紋が付けられることがある。


石川雅望。1754年1月7日 – 1830年5月16日、狂歌師、戯作者。
浮世絵師石川豊信の五男として江戸に生まれる。読みは、いしかわまさもち。狂名は宿屋飯盛。狂歌四天王の一人として版元である蔦屋重三郎から多くの狂歌絵本を出版。家紋は笹竜胆。但し、蔵前の正覚寺の墓所には画像の創作紋(丼?)がある。


田尻稲次郎。1850年8月6日 – 1923年8月15日、法学者・政治家。
薩摩藩京都上屋敷で出生。日本初の法学博士。日露戦争時に戦費調達、債務処理に功績をあげ退官後、東京市長を務める。また、専修大学創始者の一人。家紋は田尻の「田」と稲次郎の「稲」から「稲妻」を連想して作った。画像は護国寺にて撮影。


新海竹太郎。1868年3月3日 – 1927年3月12日、彫刻家。
山形県山形市生まれ。仏師の長男。北白川宮能久親王、有栖川宮威仁親王、大山元帥、南部伯爵などの著名な軍人の騎馬像を手がける。騎兵科出身である経験から馬の像を得意としたためか家紋は丸に三つ寄せ蹄鉄紋。画像は多磨霊園にて撮影。


内田吐夢。1898年4月26日 – 1970年8月7日、映画監督。
岡山市の菓子店の息子。日本映画の創生期から戦後にいたるまで、骨太な作品を撮りつづけた「巨匠」。代表作は『大菩薩峠』『宮本武蔵』『飢餓海峡』等。これは家紋というには若干違和感もあるが本願寺・和田掘廟所の墓所にて撮影した魚紋。


田村魚菜。1914年11月23日 – 1991年3月25日、料理研究家。
静岡県出身。本名は宗吉。京橋の割烹蔦屋で料理を学び本山荻舟、四条流石井泰次郎に師事。雑誌『魚菜園』を創刊、東京自由ヶ丘に魚菜学園を創立。「くいしん坊!万才」に出演し有名になる。画像は本門寺の墓所にて。魚菜の名前からの創作紋。


三浦綾子。1922年4月25日 – 1999年10月12日、小説家。
北海道旭川市出身。旧姓堀田。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念。代表作『氷点』は71万部の売上を記録したベストセラー。家紋は丸に十字架と魚紋。画像は北海道新聞社から出ている写真集「幼児のごとく」より。情報は三浦綾子記念館より。


ポール牧。1941年8月2日 – 2005年4月22日、芸人、タレント。
北海道天塩郡天塩町出身。実家は曹洞宗寺院。父親は米沢藩上杉家の菩提寺を継ぐ99代目の住職。本名は榛澤一道。関武志とともにコント・ラッキー7を結成し人気を博した。リズム良く指を鳴らす「指パッチン」で知られた。家紋は指ぱっちん紋(創作紋)


犬神佐清。昭和、「犬神家の一族」の登場人物。
那須出身。犬神財閥の創始者・犬神佐兵衛と妾・松子との間の子供。戦争から帰ると顔に火傷を負い白いマスクを被った姿で復員した。1976年公開映画では、あおい輝彦が、2006年の映画では尾上菊之助がそれぞれ演じた。家紋は犬神家の固有創作紋。

樺山資紀、田尻稲次郎、荻昌弘の紋に関しては、「家紋の真実」を主宰されている日本家紋研究会副会長の高澤等先生にご教授頂きました。
まさむね



3件のコメント

  1. 長文になるのでこちらでお話し致します。

    東条英機の東条家は南部家家臣ですね。
    私が見た小平霊園のものは幕臣東条氏の家紋なのかも知れません。
    もともと一族でしょうが、分かれて家紋も微妙に変えたのでしょう。

    泉鏡花の家紋は「紅葉賀」です。
    これは私の推測ですが鏡花が尾崎紅葉に師事していたことに
    因むのではないかと思います。

    西周の家紋は平一つ目の変形ではないかと思います。
    主家亀井家の四つ目紋に因んだものかもしれません。
    「変わり平一つ目」というのがよいでしょうか。
    これも西家では独自の紋名を持っているかも知れません。

    三宅雪嶺の家紋は三宅氏族に特有のもので「島形に児文字」ですね。
    「児」は三宅一族の有名人児島高徳に因んだものです。

    田尻稲次郎の紋は独自の紋だと思われます。
    田尻氏は九州大蔵氏、あるいは大神氏ですから
    巴紋や三つ鱗を本来は用いていたはずです。
    墓石の写真は田尻の「田」と稲次郎の「稲」から「稲妻」を連想して
    作った物と考えます。

    野中到の家紋も独自のものではないでしょうか。
    野中が経営していた御殿場馬車鉄道のマークに似ています(厳密には違いますが)。
    御殿場馬車鉄道は富士馬車鉄道、都留馬車鉄道の三社で連結したので
    それを表しているのかも知れません。また車輪も表しているのでしょう。
    これは想像でしかないですけどね。

    日本家紋研究会 高澤 等

  2. 高澤様

    ご丁寧な解説、誠にありがとうございます。
    そういえば、三宅雪零の紋は、宇喜多秀家の紋にも似ていますね。

    田尻稲次郎は創作紋ですか。バランスがいいなぁと感じました。
    野中到の紋は、御殿場馬車鉄道のマークからとったという推理さすが鋭いですね。

    いろいろと勉強になりました。

    今後ともよろしくお願いいたします。

  3. いま気が付いたのですが西周の紋は縦に線が入っていますね。
    「変わり連子に月」でしょうか。

    こちらこそよろしくお願い致します(^^)

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